帰郷

蝉の声が耳障りにさえ聞こえる、夏。有難いことに私の就職した企業はホワイトだった。

「3日も休み取れるもんなんだなー」

盆休みを手に入れた私は特に予定もなく朝からクーラーを効かせた部屋でゴロゴロ寝腐っている。こうも暑いと出掛ける気も起きないわ、と部屋着のまま実家から持ってきた漫画を読んでいた。
ガタンと隣から物音がしてページを捲る手が止まる。私の誕生日から、銀時とは必要最低限の会話しかしていなかった。勿論貰った腕時計も箱に入ったまま、埃さえ被らないように気をつけてはいるものの一度も身につけたことはない。香水やら化粧品やらが置いてある台の上に、私の持ち物にしては大人びたその箱を見る度にあの時の銀時の声が頭の中で再生される。

「ごめんなんか言われてもなあ…」

2回目だ。銀時が私にごめんと言ったのは。いつだって飄々としていて、なにも考えてなさそうに見えるくせに器用で頭のキレる奴。そんでもってとんでもなくお人好し。だから昔から私の我儘に銀時はめんどくせえだなんだと文句を言いつついつも付き合ってくれていたのに、なのに。私の想いだけは受け入れてくれないらしい。

「諦めてくれってことなんだよなあ」

私が諦めれば銀時は安心するのだろうか。私が他の人を好きになって、銀時を男としてじゃなく幼馴染として見ることができれば喜ぶのだろうか。…無理だ。離れていた3年だって忘れたことがないのに隣に住んでる今、諦めるだとか幼馴染としてだけ意識するだとか、そんなこと簡単にできていたら今頃こんな気まずくなっていない。まあ私が勝手に気まずくなっているだけだけど。
隣から聞こえる物音一つでここまで考え込めるなんて末期だと自分を嘲笑う。考え込んでも仕方ないから、と読みかけの漫画を本棚へと戻した。この際休みの間だけ、銀時から離れてみようか。


半年ぶりくらいに帰ってきた地元は、もちろん何も変わっていなかった。 駅前の商店街は相変わらず寂れているし、家の近くの公園は雑草だらけだ。今住んでるところと比べると何もないな、なんて皮肉にも笑みが浮かぶ。そんな何もないところなのに、どこを通っても銀時がチラついて何のために離れてみようと思ったのか分からなくなった。

「ただいま」

たった半年程度離れていただけなのに実家を懐かしく思う。何の知らせも入れないまま帰ってきた私にお母さんが目を丸くした。

「えっ?なに?なんであんたこっちにいるの?」

「…愛する娘が帰ってきたっていうのに少しは喜びなよ」

「だってね〜あっちで銀ちゃんと一緒だったんでしょう?なのに帰ってくるなんてね〜。ああ、一緒に帰ってきたの?」

「は?」

「え?またお隣さんなんでしょ?」

あんたは音沙汰なかったけど銀ちゃんはちゃんと連絡くれたわよ、なんてお母さんが笑う。ちゃんと連絡くれたって何?なんでいちいち親に連絡入れてんの?誰目線なの?
銀ちゃん銀ちゃんと繰り返すお母さんに返す言葉が見つからない。あーそうなんだよね、と適当に返せばお母さんは「あんたたちが仲直りしたみたいでよかった」と言った。

「仲直りってなに?別に喧嘩した覚えなんてないんだけど」

「じゃあなに?なまえが我儘すぎて銀ちゃんが呆れただけ?あんなにべったり一緒に居たのにね」

お母さんが私と銀時の空白の3年間を言っているのだと分かって頭が痛い。さすがの銀時も私が告白したことは言っていないらしかった。それだけは救いだわと冷蔵庫から麦茶を取り出す。

「女の子の一人暮らしだから一応心配もしたんだけど、銀ちゃんがね〜」

"なまえに変な虫が寄らないように見張っとくって"
それなら安心ってお父さんも〜と話を続けるお母さん。冷えた麦茶が気持ちいいくらいに喉を滑っていく。やっぱり銀時は私を女として見るつもりが無いんだと思い知らされた。

「保護者気分かよ」

「ん?何か言った?」

ぽつり呟いた黒い塊はお母さんの耳に届かなかったらしい。なんでもないよと、興味をそそらない夕方のニュース番組をぼーっと眺めた。
ラフ過ぎる服装に白革の腕時計は少し浮いていた。