この壁が踏み込めるギリギリライン

やっと休日らしい休日を迎えたと溜まりに溜まった洗濯物を朝からずっと処理していた。ベランダでパタパタと洗濯物を干していれば隣から物音がして銀時もベランダに出てきたのだと分かる。

「おっはよ」

「うおっ!?ビビるわ身ィ出すなっつーの心臓にわりー」

柵から少し身を乗り出し顔を覗かせた私に大袈裟とも取れる驚き方をした銀時が「はよ」と眠そうに目を細めながら答えてくれた。実家にいた頃の私も、銀時の姿を見つけては部屋の窓から身を乗り出してたっけなと懐かしくなった。へへっと笑った私になに笑ってんだよと呆れたように言った銀時が鼻をすんすんと鳴らし「いい匂いすんな」と言う。

「なに?柔軟剤?」

「知らねーけど、柔軟剤なの?」

「洗濯物干してるからかな?」

「お前いつもこの匂いじゃね?」

「実家と同じやつ使ってるから?好きなんだこれ」

どんなやつ?と聞かれてそんなに気になる?と笑った。ちょっと待っててねと一言残し急いで洗濯機の方へ走る。ドタバタと部屋の中を走り、柔軟剤のボトル片手にベランダへ戻れば銀時が煙草を吸っていた。

「朝から元気かよ。うっせーっつーの」

その姿からはスーツを着てる銀時が想像つかない。その姿からは自炊をしているなんて想像つかない。今私の目に映る銀時は昔と変わらずだらしなくてずぼらで、めんどくせえが口癖の銀ちゃんだった。

「朝弱いのは変わらないの?」

「休みの日くらいダラダラしてーだろ」

「煙草似合わないよ」

「煙草なんつーのは似合う似合わないじゃねーのよ。分かってねーなー」

餓鬼と言われたわけじゃないけど、その口調が私を子ども扱いしてる気がして気に食わない。強がり混じりに「おっさんくさいよ」と言えば銀時は「3つ違いだろーが」と睨むように言った。
3つが大きいこと、銀時は知らないのだろうか。たかが3つ、されど3つ。人のことを勝手に妹扱いして振ったやつがなにを言うかと思いながらも、私を女として見てくれないのが年齢のせいだけじゃないのだとしたらこの恋はどうすればいいのだと目をそらした。

「…で、柔軟剤どれよ」

銀時は察しがいい。銀時にとって私の心は考える必要がないほどきっと手に取るように理解出来るものなのかも知れない。一気に声色さえも変えて話を振った銀時に笑みが溢れた。
ほっんとうに、幼馴染なんかで産まれなきゃ良かったのに。なんて。

「これこれ。いい匂いでしょ?まあ安くはないんだけどね」

「安月給の新社会人頑張るねー」

「柔軟剤が少し高いくらい余裕です〜」

パッケージをまじまじと見た銀時が「俺もそれにすっかな」と言うもんだから「へ…?」と口がだらしなく開いてしまった。

「今使ってるやつ、そろそろ飽きたっつーかニオイ分かんねーっつーか」

「慣れたんじゃなくて?」

「つーかなまえより安いの使ってるっつーのが納得できねーっつーか」

「なにその闘争心、怖いわ」

ベランダにいつも置かれている缶に煙草を突っ込み、背を伸ばすように腕を頭上で伸ばした銀時が「それドラッグストアで売ってんの?」と顔だけこちらに向ける。

「どこでも売ってると思うけど…」

「そ?なら買ってみるわ」

そう言って部屋に戻ろうとする銀時を「ねえ!!」と呼び止めた。思ったよりも大きな声に銀時だけじゃなく私まで驚いてしまった。

「うっせーっつーの!なに!なんなの?びっくりするでしょーがっ」

「いや、私もびっくりしたんだけど…」

「知るかよ!寿命縮まるっつーの!」

「ご、ごめん」

恥ずかしい…。かなり大きな声だったよね?びっくりした…とドキドキしてしまっている心臓部に手を当てる。小さく息を吐いて落ち着きを取り戻すのを待っていたかのように、少し置いてから銀時が「で、なにさ」と声をかけてきた。

「あっあっと…」

「ん?」

一緒に買いに行こうよ!と言いたかったのに、断られた時のことを考えると怖気付く。振られてから顔を合わせていなかった、たまたま隣に私が越してきて会話は今までと同じようにしているけど…多分それは幼馴染として見られてるからだ。銀時も私ももう子どもじゃないんだから、柔軟剤を買いに一緒に出掛けるなんて「なんで?」と理由を聞かれたらどうしたらいい?もうお母さんにおつかいを頼まれて一緒に行く年じゃない。

「…なに言おうとしたのか忘れちゃった」

もう一度好きだと言う勇気もなければ、もう一度銀時に振る辛さをさせるのも嫌だった。銀時は優しいから、きっと私を振ってからわざと私に会わないようにしてたんだろう。盆休みも正月も実家に帰ってきてたくせに私が会えなかったのは銀時なりの優しさなんだと、分かっているから憎めない。

「ふーん。じゃあ俺部屋戻るかんな?」

「うん、驚かせてごめんね」

別に〜と言った銀時が部屋に戻ったのを後で確認してベランダに腰を下ろした。近づけるのは幼馴染としての距離までだと、分かっているのに顔を合わせれば触れたくなる。忘れかけていたはずの好きが止めどなく溢れ出てくるようで、怖くなった。
次振られることがあったら、本当にもう会えなくなる気がした。