ベランダで一服

慣れないパンプスを玄関で脱ぎ捨て、そのままベッドに体を投げやった。新社会人として2週間が過ぎた頃、私は心身ともにお疲れモードだった。
スーツが皺になるとか、化粧を落とさなきゃとか、頭ではベッドに寝っ転がっている場合じゃないと分かっているのに体が言うことを利かない。今までは当たり前のように食べていた夕食も、一人暮らしの今は自分で用意しなきゃ有り付けない。期待していたお洒落な一人暮らしも社会人としての自由もここにはなかった。

「もう寝ちゃいたい〜」

ベッドで足をバタつかせ、寝てしまいたいと言葉にしても寝ていいわけがないと分かっている。そういえば最後に洗濯機を回したのはいつだったっけ?
のそのそとベッドを降りて脱ぎ散らかしてある洗濯物を拾い集める。女の一人暮らしには到底見えない荒れに荒れた部屋により一層疲れが増す気がした。
すっきりとしたくなって、夜風にでも当たろうとベランダに出る。本日何度目か分からない溜息を吐けば、隣から「社会の荒波に揉まれてんのか?」と笑い声に混じった声がした。

「ベランダで何してんの」

「食後の一服」

引っ越しの挨拶から一度も顔を合わせていなかった銀時。ベランダから顔を乗り出せば「よっ」と煙草片手に銀時が腰を下ろしていた。

「ヤンキー座りがよくお似合いで」

「仕方ねえだろ、椅子とかベランダにねーんだから」

まだお互い実家にいた頃、その頃も銀時は未成年のくせに煙草を吸っていた気がする。気がするというのも、吸ってるところは見たことがなくてただ銀時からする煙草のにおいだけを知っていただけだった。初めて目にした喫煙姿になんだか妙な気分になった。当たり前のことだけど、3つ年上で私よりも先に社会に出ていて…

「大人みたい…」

「何言ってんだ?二十歳超えたらみんな大人だっつーの」

甘党のくせに缶コーヒーなんか灰皿がわりにしちゃってる。ミルクたっぷりとは書いてあるものの、私の知っていた銀時は缶コーヒーなんて飲まなかったのに。
急に寂しくなって、疲れもあった私は少し視界が揺らいでしまった。顔を髪で隠すように俯いた私に銀時は飯食ったのか?と言う。

「食べてない…」

「食わねえと生き抜けねえぞ!新社会人なんつーのは戦士だからな。理不尽な上司と社会と戦う戦士なんだよ」

「なにそれ。ごめん分からない」

「…だからアレだよアレ」

「ドレなの」

泣きそうなのに銀時が訳のわからない戦士がどうのとか言い出すから涙が出そうで出なくなる。はあーと深い溜息が聞こえたかと思えば頭を撫でられて胸が痛い。

「残りもんでいいなら食いにくれば」

頭を撫でるその手が、頑張ってるんだよなと言ってくれている気がしてポタッと一粒頬を伝った。もっと頑張ってる人は絶対いるだろう。私よりも仕事が大変な人もいるだろう。しかし私にとって、新しい生活はいっぱいいっぱいだったのだ。

「…そうやって」

「あー?」

いつだってそうだった。銀時はいつだってこうして私の心の奥を見透かして…なのになのになのに。

「ご飯なに?」

「豆腐ハンバーグ」

「大根おろし付き?」

「それお前ん家だろ。うちはケチャップなんだよ」

ピーピーと鳴った洗濯機。ふふっと笑った私に「気持ち悪い」と言った銀時だった。