心配で夜も眠れない

"3年前"と言われて胸が強く脈を打った。3年前、忘れもしない、なまえが震える声で俺を好きだと言ったこと。あの時の俺も今と同じように頭の中が冷えていくのを感じていたと思う。

「お兄ちゃんとしての好きだろーが、バカヤロー」

誕生日以来めっきり会うことが減ってなんだか落ち着かない。かといってなんて会話を切り出せばいいか分からなくて結局俺は同じことを繰り返す。

「じゃあなんですか、なまえちゃんは俺とあんなことやこんなことできるんですかー」

できねーだろうな、無理だろ?だってこーんな小せー頃から知ってんだぜ?一緒に風呂とか入ったり同じ布団で寝たりしてたんだぜ?それなのにいつからか女としてみてましたぁとか気持ち悪いだろって。
誰に言うわけでもなく自分の中に秘めてきた思い、だとか。結局俺はどんなにあいつの前でいい兄貴分を演じていても、頭のどこかで二の腕柔らかそうだなとか少し腰回りに肉が付いてきたなとかそんなこと考えてるわけで…

「あいつの好きと俺の好きは違ェーんだっつーの」

ああくそ、モヤモヤする。誰にぶつけるわけにもいかないその感情をソファーにぶつけてみた。ガタンと音がして足の小指を負傷、痛え。
銀ちゃん銀ちゃんと懐くあいつをいつから女として見ていたのか分からねーけど、まさか隣に引っ越してくるとは思わなかった。久しぶりに会ったなまえはなにも変わってなくて…

「3年会わなかったらもう流石に彼氏とか出来てんかな」

気になってるのに怖くて聞けない。でも見た感じ男がいそうな素振りはねーし…

「あーチクショー!隣にいんのに顔も見れねーとか」

まじやってらんねーわと文句を垂れてみる。
どうせなまえの中で優しくて頼りになる兄貴分なら、幻滅されねーように尊敬してもらえるようにと隣にあいつが引っ越してきてから始めた自炊だとか整理整頓だとか…そんなことしたところであいつが俺を男として好きになることはねーんだろうけど。

「頼むからブラコン卒業しろよ」

パタンと隣の玄関が閉まる音に呟いた。
"3年前さ"と言われて、同じ気持ちでいてやれない自分が恨めしくなった。そしていつかは幼馴染じゃなくて男として見てくれんじゃねーかなって期待しちまう自分が滑稽に思えた。
あいつの中で俺は、唯一無二の存在で友達以上家族未満の幼馴染だっつーのに。

「こんなお兄ちゃん嫌だよな〜どうしよ、お兄ちゃんキモいとか言われたら。俺立ち直れっかな〜」

あいつが男といるところを想像するだけでイライラしちまうからキモいなんか言われた日にゃー首でも吊りそうだ。
その日、なまえは帰ってこなかった。出掛けた音は聞こえたのに、帰宅を知らせる足音は聞こえなかった。


なまえの帰宅を確認できないまま朝を迎えた。ベランダに出ていつも通り煙を吸いながら隣のベランダを確認する。やっぱり帰ってきてねーかと腰を下ろす。友達んとこにでも泊まりに行ってんのか?いやいやいや、あいつこっち出て来てから友達のとの字もなかったよな。じゃあなんだ?俺が知らねーだけで男がいたとか?男と一夜を共にした、とか?おいおいおいその男はちゃんとお前を大事にしてくれてんだろーな?避妊とかその辺しっかりしてくれるやつなのか?少し抜けてるお前をいいように使いような男じゃねーだろーな?なんて膨らむ妄想。
悪い妄想は徐々にエスカレートしていって、居ても立っても居られなくなった。あいつが幸せならそれでいいんだけどよ、もしもどっかのへのへのもへじみてーな野郎に悲しませられてたりしたら…?
気づけば咥えていた煙草は火種をなくし、足元に落ちる灰。慌てて携帯を起動させた。
何度目かのコールの後、眠そうな声がして一気に全身の力が抜ける。

『はい?』

「…俺だけど」

『…?どちら様?』

「ー…坂田ですけど」

ああ銀ちゃん?なんて明るい声に電話に出たのが誰だか分かる。あいつだと思って俺だけどとか言っちまったじゃねーか、恥ずかしい。声似過ぎんだよ、てめーら親子は!!

「あれ?おばさん?あれ?」

『ああなまえ?なまえならまだ寝てるけどどうしたの?何かあった?』

やだ、久しぶりねー!なんておばさんが言う。喋り方まで似てんだから嫌になる。でもまあ、あいつがどこぞのへのへのもへじのところじゃなく実家にいると分かって安心っちゃ安心したけど。

「いやっ、大した用はねーんだけど…」

なにも考えず、ただあいつがもしかしたら地元に戻ってるかもなんて考えだけで電話したことを後悔した。こんな早朝に用もなく電話するなんざ、いい迷惑じゃねーか。おばさんに不審がられたらどうしたもんか。

『あ、そうそう!銀ちゃんがあげたんだって?あの腕時計。あの子が自分じゃ買いそうにないブランドでしょう?有難ね、良くしてもらって〜』

「え?腕時計?」

『違うの?白いやつ。銀ちゃんから貰ったってあの子…』

ああ、使ってくれてんのか。良かった。
それだけのことでだらしなく緩む頬に手を添えた。なんとなく使いたかったからだとか、一応貰ったものだし使ってやるかとか、そんな気持ちからでもいい。あいつが使ってくれただけでいい。嬉しくて黙り込んでいればおばさんが『銀ちゃんはこっちこないの?』と言った。

「あー…次の休みには帰ろうかと思ってるけど…」

『そうなの?その時はなまえも帰ってくるのかしら?またみんなでご飯でも食べましょうね』

声を弾ませるおばさんに、なまえはいつまでそっちにいるのか聞けば不思議そうに聞いてないの?と返されてしまった。

『また喧嘩でもしたのかしら?昔はそんなことなかったのにね、あの子我儘だからね』

今日の夜帰るみたいと聞いて夜が待ち遠しくなる。早く夜になればいい、早くあいつの顔を見てえ。

『あっ、ねえねえ銀ちゃん』

"あの腕時計、同じ時を刻もうって意味かしら?"と言ったおばさんはいたずらっ子のようにクスクスと笑っていた。部屋は昨日から付けっ放しの冷房で暑いわけがねーのに、顔から火が吹くんじゃねーかってくらい熱くなった。