坂田銀時




先ほどから全く進まない書類。集中したいのに、がやがやと騒がしいこのオフィスでは無理な話だった。いつもそう。出張から戻ってきた坂田さんがいる日はいつもこうである。臭いほどに香水を振りまいた女どもが群がり、いつもより高い声だ話しているのだ。そしてそれを満更でもないかのように受け入れる坂田さん。あんたらは何しに会社に来てるんだと言ってやりたくなる。あーうるさいうるさいうるさい。きっと私の他にも思ってる人はいるが、誰も文句を言わないのは坂田さんがなぜか成績だけはいいからである。やる時はやる男らしい。

「あーつっかれた。あいつらいつもあんなうるせーの?少し黙ってらんねーのかねー」

きゃっきゃっしてたのがいつの間にか静かになったと思えば、ドスンと隣に腰を下ろした坂田さん。久しぶり苗字ちゃん、とお土産をくれた。

「坂田さんが居るときだけですよ」

ありがとうございます、とお土産を受け取った。坂田さんがにこにことしたまま「それ苗字ちゃんに凄え似てたから」と言う。一体今回は何をくれたのだろうか。小さな袋の中を覗き込めば赤べこのストラップが入っていた。これに似てる私って…

「どう?気に入った?似てたでしょ?」

「はあ…似てますかね?」

「そっくりそっくり。この首が動くところとか」

坂田さんは私の先輩にあたる。入社時、教育係になってからこうして出張の度にお土産をくれる。可愛がってくれているのだと思うけど、私と坂田さんではタイプが違いすぎて会話がいつも続かない。明るくてみんなから慕われる坂田さんと、根暗で仕事関係以外の会話を滅多にしない私。坂田さんだけがいつも話しかけてくれていた。

「で?さっきからなに険しい顔してんの?」

「これなんですけど…グラフ化が上手くできなくて」

「おーこれか。これはここのなー?」

マウスを握っていた私の手の上へ坂田さんの手が重なる。大きくて暖かい手。かっこよくて仕事もできる。人気があるのも頷ける。ただし少し騒がしすぎるが。

「はい、できた。どう?分かった?」

「ありがとうございます」

「んなに改まるなってーの。俺と苗字ちゃんの仲っしょ?つーかこの量一人でやんの?無理じゃね?」

なんで?と坂田さんが私のディスクに積み重なっていた書類の束を指差した。言えない。坂田さんが私の教育係ってだけで嫌がらせしてくる低脳な女どもの話なんて言いたくない。坂田さんはなにも悪くないのだから。少し騒がしいところを除けば完璧な先輩なんだから。

「坂田さんが出張から戻ってくる前に少しでも仕事を覚えられるように部長に頼んだんです」

「へえ。相変わらず仕事熱心だな。手伝えることあれば言えよー?」

頑張れ、と私の頭をくしゃくしゃに撫でた坂田さんに強く頷いた。私は坂田さんに媚びを売る女たちと一緒になりたくない。だから必要以上に坂田さんに話しかけたりなんかしない。坂田さんのことは好きだけど、それは仕事ができる先輩としてである。尊敬を含めた好きである。人として、先輩として。
それ以上、話すこともなく仕事に打ち込んだ。
しかし退社時刻になっても終わらず、結局持ち帰って続きをすることになった。家へ帰ればベッドの淵に並べられた坂田さんからのお土産が出迎えてくれる。ワンルームに住んでいるから、部屋のどこからでもそのお土産たちが見える。これがあるから、坂田さんが居るから頑張れる。妬みを買ってしまった女たちから押し付けられた仕事だって、苦じゃない。
しかしまだまだ新人の私では簡単にできないものばかりに心が折れそうになることもある。理不尽だ。私は別に坂田さんに特別扱いをしてくれなんて頼んだ覚えはない。たまに悔しくて嫌になる。ふと思い出して赤べこを鞄から取り出した。そして今までに貰ったお土産たちの中に一緒に置く。
顔に触れば揺れるそれに少し和んで元気が出た。残りも片付けようと書類に向かった。



朝、いつもよりも早く会社につけば珍しく坂田さんがいた。いつももっとゆっくりだから驚いて「おはようございます?」と声が上ずる。

「おー。やっぱ早く来たか。昨日の感じだと終わってねえーだろーなって思ったからよ。手伝う」

ほら貸しなさい、と手をひらひらした坂田さんに胸が痛い。優しい。坂田さんは優しい。多分、言わなくても全部筒抜けなんだろうなと思った。

「すみません」

そう言って鞄から書類を出せば坂田さんは私の頭をぐりぐりと少し強めに撫でた。

「別にー。苗字ちゃんだけが悪いんじゃないっしょ。俺もなー、結構分かりやすく可愛がっちゃってるし?つーか持ち帰ってやってたの?手伝うって言ったでしょーが!本当俺の後輩は仕事熱心で困るわ」

ちゃんと寝てんの?飯は食ってんの?と坂田さんが呆れた声で言う。どうしてこの人はこんなに優しいんだろうか。

「俺がさー、言ってもいいんだけど。そういうの苗字ちゃん嫌っしょ?ただ限界来る前には教えろよー」

よし、やっちまうか。とキーボードを叩いた坂田さんに強く頷けば、坂田さんは白い歯を見せて「やっぱ苗字ちゃんって赤べこに似てるわ」と笑った。


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