土方十四郎




視線を感じて顔を上げれば、凄まじい形相をした部長、土方さんと目があった。なんで怒ってるんだろう、私次はなにした、なにやらかした…?どんな顔をすればいいか分からず、少しでも和ませればと笑顔を作ってみた。

「なにへらへらしてんだ、ちょっと来い」

…失敗だったらしい。土方さんの眉間はより一層皺を作り、声はいつもよりドスが効かされている。キーボードの上でぴくりと反応した指はこれから起こるであろう出来事を察しているようだった。

「えっと、今回は、」

自分のディスクを立ち部長の前へやって来た。土方さんはハア、と大きく溜息を吐き席を立つ。え?と顔を上げれば「なにしてんだ、ついて来い」と不機嫌な声が投げかけられた。すたすたと歩く土方さんの後を追う。私が土方さんに怒られるのはいつものことだけど、周りからの視線が突き刺さる。ひそひそと「また怒られてる」「いつものことでしょ」「部長もなんで苗字さんにはあんなに厳しいのかね」「苗字さん優秀なのに」「異動の話知ってる?苗字さんの希望異動、反対したの土方部長らしいよ」など言われている。肩を落とし土方さんの後を追えば喫煙所へ着いてしまった。胸ポケットから煙草を取り出した土方さんは、ふうっと一口吸ってから私を睨む。

「頼んでおいた翻訳は終わってるか?」

「あっ、あと少しで終わるかと思、」

「遅え。なんでそんな時間が掛かるんだよ。お前語学が活かせる部署を希望してんだろ?そんなんで異動できると思ってんのか?面接ん時言ってたよな?その為にこの会社受けたんだよな?お前程度のやつならごろごろいんだよ、気合い入れろ」

怒鳴るわけでもなく、声を荒げるわけでもなく。淡々と煙草片手に言われた。私に非がないわけではない。これを言われるのはもう何度目だろうか。手を抜いているわけじゃない。頑張ってる、頑張っていると思うのだ、自分では。握りしめた拳に力がこもる。

「何度も言ってるが、頑張ってる頑張ってないなんつーのはどうでもいいんだよ。結果が全てだ。結果を出せない限りお前はこのまま自分の希望してる部署に行けねえんだぞ」

土方さんは正論を言う。いつだって正論を言っている。そして私の為に言ってくれてるのもわかる。でも、それでも、理解できていても納得できないこともある。土方さん以外は認めてくれているじゃないか。土方さんだけが異動に反対しているじゃないか。頑張っても評価されていない気がして、このまま一生認めてもらえない気がした。

「あ?なんか異論があんのか?」

ジュッと煙草が消える音がした。土方さんの鋭い目が怖くて、なにも言い返せないのもいつものことだ。いえ、と短く返した私に土方さんは「次のプレゼン資料、中国語と英語版も作っておけ」と言ってそのまま喫煙所を出て行った。
頭が痛い。怒られたあとに次の仕事を言い渡されるのはプレッシャーが大きくなる。土方さんの気配が完全になくなってから溜息を吐いた。



んんっ、と背を伸ばす。首を回せばコキコキと音がした。昨日も残業、今日も残業。もっと言えば一昨日も残業だしきっと明日も残業だ。昼休みも返上して資料作り。次は怒られたくなくて、次こそ認めてもらいたくて、睡眠時間も食事時間も削っている。それでも期限ギリギリの提出になってしまうのが、恨めしい。もしかして土方さんは私が嫌いで、無理難題を言いつけているのではないだろうかと考えてしまい慌てて首を振った。そんな訳ない、そんなはずない。だっていつも私の為に怒ってくれているではないか。怒る方だって気力体力、その他いろいろと削っているだろう。目の前の画面に浮かぶ、文章途中の日本語と中国語に深い溜息が出てしまった。やっぱり土方さんは私が嫌いなんじゃないだろうか。

「煮詰まってんな、まだ終わらねえのか」

「えっ、あっ、土方さん?」

急に声をかけられてタンっと叩いてしまったキーボード。画面に浮き出た"削除しました"の文字に心臓が冷えた。

「なにしてんだてめえは」

マフラーを外しながら私の後ろを通り過ぎ自身のディスクに腰を下ろした土方さんが、「またか」と呆れた声で言った。早く直させなければとファイルを見直していた私は、その言葉に驚き目を見開いた。どうしてこの失態が初めてじゃないと知っているの?

「お前は注意力が足りない。落ち着きがない。だからくだらないミスをする。能力的には申し分ないのに勿体ねえ」

新着メッセージを受信、と出た画面。送り主は土方部長と表示されている。メッセージにはファイルが付属されていて、私が今さっき消してしまったものが全部整理されていた。自分でもどこになにを保存しているか分からないほどのファイルに、もう無理かと思っていた。安心からか、力が一気に抜けるのを感じた。

「すみません、ありがとうございます」

はあ、と歓喜から漏れた息。土方さんにお礼を言えば「飯食い行くぞ」と返されて間抜けな声が出た。飯?今から?なんで?
それにどうして土方さんがいるんだろう。もうみんな帰ったのに、どうして土方さんは会社にいたんだろう。助かったし、本当に感謝しているけど脳裏に浮かぶ疑問符が消えない。

「毎回毎回そうやって自滅してんだろーが、学習しろ。効率悪いことに気づけ。寝不足で鈍った頭で効率よく仕事ができるわけねーだろ」

さっさと保存して支度しろ、と急かされ言葉の意味を考える時間を取り上げられてしまった。急いで土方さんが送ってくれたファイルを保存する。あれ?どうして土方さんは私のファイルを持っていたんだろうか。"保存しました"の文字を確認して電源を落とした。

「だから、そうじゃねえんだよ。もっと手を抜けって言ってんだ」

「だって結果を出せって」

「今のやり方じゃ出せてねえだろーが」

「でも、頑張らないとっ!」

「他のはできてんだろ。肩に力入れすぎて得意分野なのに毎回くだらねえミスしやがって」

土方さんと食事の後に流れたラウンジで、私はついに泣いてしまった。ここは同じ親会社が運営するバーラウンジで、先ほどカウンターの男の人と土方さんが知り合いだと知ったばかりなのに。私が泣いたら迷惑をかけると分かっていたのに。なのに、土方さんが私をいつもみたく責めるから…

「泣くな」

「すみません」

もう頑張り方が分からない。いつもいつも、凡ミスをしてしまう。土方さんが責めているんじゃない、私がマイナス思考な上にめんどくさい性格だから嫌な役をさせてしまっている。

「あのなァ、この際だから言っとくが。俺は苗字が嫌いで言ってるんじゃねえんだよ」

「はい」

「今のままだと、異動させたとしてお前が辛くなるだけだろう。ほっとけば自滅するようなやつ」

「はい…」

ああ、痛い。胸が痛い。仕事でも、プライベートの今でも迷惑ばかりかけてしまっている。何もかもが上手くいかない気がして、思考が負の方へばかり働く。顔を上げることさえできない。情けない。本当に情けない。自分の足しか見えないほど顔を伏せていたのに、土方さんが強引に私の顎を持ち顔を上げさせた。ひくひくと情けなく肩を震わせて顔を歪ませている私を土方さんがにやりと笑った。

「お前が泣いてんの、初めて見たな」

土方さんの笑った顔、初めて見た…。こんな風に、こんな綺麗な顔して笑うの?呆気に取られている私に土方さんは「お前だから他より強く言ってんだ。優秀なお前ならこの意味くらい分かるだろう?」と口をつり上げたまま言った。
涙はぴたりと止まり、肩の力が抜ける。

「俺の下で誰にも文句言われねえくらい育ててやりてえんだよ。じゃなきゃこんなに目をかけるわけねえだろ」

頭がついていかない。久しく泣くなんてしていなかったからか、頭が重い。ぼーっとしてしまう。顎を抑えていた手が離れて、頭の上に乗せられた。

「一人でどうにかしようとするな、頼れ」

「でも、私に任された仕事は私がちゃんとやらないとっ」

「チームワークも大事だろ」

「でもっ、部長に迷惑をかけるわけには、」

「迷惑だと思ってたらこんなに気にかけてねえよ」

一人で終わる量じゃなかっただろう、と土方さんが笑う。

「なのにお前、どうにかこうにかして終わらせようとするよな」

「え?」

わけがわからなくて、なにがなんだかわからなくて、間抜けな顔をした私に土方さんが「お前には教えなきゃならねえことがまだあるってことだ」と言った。
頭を二、三度子どもをあやすように叩いた土方さんの手は、暖かくてひどく優しかった。ピンっと張っていた糸が弛む。もう一度流れた涙は少しだけ温かく感じた。


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