天使の皮を被った悪魔もいる


「だから知らないですよ。あの人と会ったのだってあの日が初めてだしっ」

「アンタねェ。知らねェー知らねェーって見合いしたのは確かなんだろィ?それで名前も知らねェ?家も知らねェ?んなのがまかり通ると思ってんですかィ?」

聞きたいことがあると連れて来られたはずなのに、先ほど私を無理矢理パトカーに連れ込んだ男の人はいつの間にか居なくて代わりに私より十歳くらい年下の可愛い顔した男の子が目の前に座っている。初めこそ可愛い男の子に代わってくれて良かったなんて思ったが、目の前の男の子は私を見るなり手錠を嵌めてきたのでやっぱりさっきの人の方が良かったかも知らない。これじゃあまるで犯罪者にされたみたいだ。

「本当に何も知らなくて…」

早くここから解放されたい。つかなんも悪いことしてないんだから手くらい自由にしてくれてもいいじゃん。私より年下のくせにさっきから偉そうにしやがってこんチクショ。可愛い顔してるからって何しても許されるわけじゃないんだからね!!心とは裏腹に少ししおらしくしてみれば、少年だか青年だか知らないが男はキョトンとした顔をしたあとニヤァと嫌な笑みを浮かべた。

「アンタ、顔と言葉が全く一致してやせんぜ」

それを言うならあんたもだ。可愛い顔してさっきボソッと"この女どうやって吐かせてやりやしょうか"つったのちゃんと聞いてたからな。どうやってって、絶対良からぬこと考えてたでしょうが。

「そんなことないですよ。本当に何も知らなくて…」

お願い、ちょっとでいいから涙出てくれない?ほんのちょっとでいいの、この男の子の良心が痛む程度でいいの。ほら、昔可愛がってた野良犬が死んじゃった時のこととか思い出して、ほらお願い涙ちょっとでいいから!

「おいやめなせェーよ。ブスの泣き顔なんて破壊力半端ねェーだろィ。ウプッ。吐きそう…」

「…え、ちょっと」

「やべェー。アンタ鏡見たことありやすかィ?半端無くっ…おえええええええええ」

「ちょっと待ってちょっと待って!あっ、ねえ!私に向かってゲロ吐かないっ、おええええええええええ」

なにこれ。なんの仕打ち?なんで私の涙見てこの人吐いてんの?そんなに?そんなにキツイの?私の泣き顔って。私までもらいゲロしちゃったんだけど。本当に涙出てきたよ、この部屋ゲロ臭いし口の中気持ち悪いし。最悪だよ。犯罪者にされた挙句ゲロまみれだよ。なんだこれ。

「…あー口ん中気持ち悪ィー。ちょっとアンタ待ってて下せェ。うがいしてくるんで」

「待って私もうがいしたいんだけど。つかこの部屋臭くて待ってるとか無理なんだけど」

「そんなことありやせんぜ。俺のゲロはフローラルな香りだかんな。アンタのは臭ェーけど」

「どこがフローラル?どの辺がフローラル?」

「じゃ、そういうことで。ちょいとお待ちを」

「待って、ねえ待ってって!!」

ジャラと音を出した鎖。バタンと閉まったドア。ゲロまみれの部屋。出て行った男の子。もうなんだこれ、私が何をしたって言うんだろう。そんな突然連れて来られて会って何分かで殺された相手のことを根掘り葉掘り聞かれて、知らないって言ったらゲロまみれにされて。警察のやることなの?これ。善良な市民にすることなのこれ?私の家結構税金とか納めてるんだけど。毎年父が税金が高いって嘆いてるんだけど。
もうだめだ、私このままゲロにまみれて一生を終えるんだ…きっとそうなんだと項垂れていればドアが開く音がした。もう顔面はゲロと涙と鼻水ですごいことになってるんだろうけど、この際気にしてられない。兎に角この状態をどうにかして欲しい。知ってるって言えば満足なのだろうか。

「…なんだこの部屋。ゲロ臭ェーな」

「あっ、さっきの」

「つかなんで手錠されてんだよ」

うっわ、総悟の野郎この後始末押し付けてきやがったのか…
そう言った男は先ほど私をパトカーに無理矢理乗せた、怖い顔した男だった。ズビズビ泣く私にトドメでも刺しに来たのだろうか。この人が私を助けてくれるわけがない。むしろ元凶だ。できたら運転してた人に来てもらいたい。あの人が一番優しそうだったし。
なんだか何もかもに嫌気が差して、もうどうにでもなって欲しかった。いい歳してゲロまみれになって泣いているのだ、もうどうでもいい。

「私、なんて答えたらいいんですか」

「は?つか手出せ。外してやんから」

「何を言えば出してもらえるんですか」

「いいから手出せ。兎に角ここから出ろ。臭くて敵わねェーよ」

かちゃっと手錠を外され、ゲロ部屋から出してもらってしまった。怖い顔の男に。まさかこの男が私を救ってくれるなんて思わなかった。顔と行動がちぐはぐすぎて涙がもっと流れる。さっきの人よりこの人の方が全然いい人だ。見た目は真逆のくせに。
手錠をつけられた時暴れたからか、手首が少し赤くなっていた。それを見て男が「話を聞けつったのになんでゲロまみれの上に怪我までしてんだよ」と言う。そんなこと私の方が聞きたい。

そこへ今度はなんだかまた違う男がやって来る。「トシ、その子どうしたの?」なんて眉を下げながらやって来た。

「こないだの件でちょっとな…」

「ちょっと?ちょっとって感じじゃないんだけど。なんかもう目が死んでるんだけど?!」

「総悟に任したのが間違えだったらしい」

「総悟?!なにしたの?なにしたらこんなに夢も希望も奪えるの?」

大丈夫?なんて優しい言葉をかけられて私の涙腺が決壊した。今やめて、今優しい言葉は痛いの。声を上げて泣き出した私に驚いたように目を丸くしてあたふたし出した男がトシ!と怖い顔した男を怒る。こんな可愛い子になにしたの!なんて言ってくれる。可愛いって、可愛いって言われたとまた涙が流れる。先ほど泣き顔で吐かれた私はどんなおぞましい顔をしてたんだと傷ついていたのだ。

「だから俺は知らねえって」

「あーあーもう。こんなに…風呂でも入る?新しい着物も用意するから、入っておいで。大丈夫だよ、もうなにも怖くないからね」

「おい近藤さん。そいつは、」

「トシは新しい着物買って来ること!男が寄ってたかって…」

「はあ?!」

「ほらシャワー浴びて来るといいよ。可哀想に」

一刻も早くゲロをどうにかしたかった私は、ゴリラみたいな風貌の優しい男の人に背中を押され浴室へと向かわせてもらった。人は見かけによらないらしい。今後可愛い顔した人には気をつけようと思った。