それは五月五日、月がとても綺麗な夜だった


江戸に戻ってきた頃には月が出ていた。朝から晩まで土方さんと過ごしたのは初めてのことで、変な気の張り方をしていたせいかお腹も大して空かなければ疲れも感じない。夕飯の話になり私はなんでもいいですと答えた。

「土方さん?」

「ああ?なんでもいいんだろ?」

「なんでもいいとは言いましたけど、まさか定休日の店に連れて来られるとは思いませんでした」

なんでもいいと答えた私が連れて来られたのは定休日のはずのおじさんの店。もちろん看板も出てなければ暖簾もかかっていない。休みですよと土方さんに言ってみても、こちらをちらりと見るだけで店を変えるつもりはないらしかった。

「いやだから、今日はっ」

休みなのに戸を引いた土方さん。開くはずのない入り口が開く。え?と驚く私と正反対に中へ進む土方さん。どうして戸が開くの?もしかしておじさん施錠し忘れた?なんて思いつつ私も中へ足を踏み入れる。その途端、暗闇から放たれたクラッカーに心臓が飛び跳ねた。ヒャアでもキャアでもなく、ギャァと潰れた悲鳴を上げた私に「おめでとう!二人とも!」という歓声が聞こえた。

「え?おじさん…?」

今の声はおじさんだよね…?聞き慣れたおじさんの少ししゃがれた声。え?と辺りを見渡せばぱちっと店内の照明が点けられた。暗闇から一気に明るくなり目がチカチカする。拍手が起きて、余計になにがなんだかわからなくなった。

「…まあ、あれだ。お前の言ってた夜景の見えるレストランとやらではねえがな」

「あっー…」

目が明るさに慣れてきたと思えば目の前に広がる大きな花束。スーツでも袴ではないけれど、今日一日共に過ごした紺色の着流し姿の土方さんが大きな花束片手にくわえ煙草で目の前に立っていた。周りにはおじさんは勿論、近藤さんや総悟くん、山崎さんに原田さんその他にも店を贔屓にしてくれていた真選組の皆さんに銀さん神楽ちゃん新八くんにお妙さん…土方さんと出逢ったことによって出会えることができたみんながいた。

「え、っと…あの、」

「生憎俺には早着替えの才能はねえからこれで勘弁しとけよ」

照れたように口を尖らせ顔を斜め下へ反らしながら花束をグッと顔に押し付けられる。ふわっと鼻いっぱいに広がる花の香りと店全体に響く拍手の音。当然だが私の視界はゆらゆらと揺れて、次第にぼやけていった。じーんと目頭が熱くなって痛みさえ感じる。感無量とはもしかしたらこのことなのかもしれないと言葉を詰まらせる私に土方さんは早く受け取れと真っ赤な顔して言った。

「ありがとう…ございます…」

鼻水をズビズビさせながら少し震える手で花束を受け取る。土方さんは小さく「おう」と返してくれた。そんな幸せ過ぎる私にヒックと喉を鳴らしながら銀さんが近づいてくる。そして肩を抱かれ「つか遅くね?遅いよね?昼からスタンバッてたんだけど?!」と言った。

「え?昼から?」

「そうそう。もう俺たち先に飲み始めちゃってんからな?」

そういえば土方さんからのサプライズが朝から凄すぎて気づかなかったけど、店内が物凄くお酒臭い。辺りを見渡して転がる空き瓶やら空き缶に目を見開いた。

「ちょっと待って銀さん。これってみんな大丈夫なの?宴会騒ぎとかそういう…」

「大丈夫なわけねェーでしょう。アンタ等が遅かったんでねィ。もう完全に出来上がってらァ」

「そうなの、大丈夫?って総悟くんそれ私の花束だよね?!何してくれてんの?何毟ってんの?!?!」

「あ、わりーわりー。俺ァ花粉症なんでねィ」

あっいっけねーこれ薔薇だったなァ、なんてわざとらしく大声で言いながらぽきっと折られた真っ赤な薔薇。あああああっと叫んだ私よりも先に土方さんが総悟くんから花束を取り上げた。

「てめえは何してんだよ!えらく協力的に段取りしてると思ったら最後の最後でぶち壊してねえのか!!」

「やだなァ土方さん。酔っ払いのやったことに一々目くじら立てちゃって〜」

あー手が滑ったとまたもや花を引きちぎる。気づけば花束は所々禿げて無残な姿にされていた。しかし悲しいとは思わない。そりゃ少しは綺麗な花が床に散っていれば思うところはあるけれど…でも、あっちでもそっちでもこっちでも騒がしくて、どんな高級なレストランよりも私はこっちの方が嬉しいのだと思った。

「お取り込み中のところ悪いんだけど、料理が無くなる前に二人も食べてよ」

ヘヘッと笑いながらそんなみんなを見ていればおじさんが私と土方さんの肩を叩いた。料理?と奥のテーブル席へと目を向ければ、おじさん自慢の手料理が所狭しと並べられている。

「二人の門出だ、気合い入れて作りすぎちゃってさ」

「お、おじさん…!!」

神楽ちゃんが両手に肉を持っている隣で新八くんと山崎さんがタッパに料理を詰めていて、ウルっときたはずが途端に乾く。

「え、何してるの?二人とも」

「ああなまえさん!この度はご結婚おめでとうございます。これ僕と姉上からお祝いと、今は料理が余っては勿体無いので持ち帰ろうとタッパに」

「いや、まだ私食べてないっていうか…」

「僕たち明日から納豆ご飯が続きそうなので。あ、あっちのエビチリ凄く美味しかったですよ」

「ああ…はい…」

物凄い速さでタッパに詰めていく二人を見ていたらなんだか楽しくなってきた。もうなんでもいいや、今日は幸せなのだ。今日はとんでもなく幸せなのだ。
私もみんなに負けじとたらふく食べようとお皿に次々と料理を乗せていく。神楽ちゃんの隣で骨付きお肉を頬張っていれば後ろから「なまえ」と肩を叩かれた。

「はひ?」

もぐもぐしたまま手にはタレのたっぷりついた骨付きお肉。土方さんの声だ!と勢いよく振り返って、後悔した。

「おい…てめえ…!」

「いやっ!今のはわざとじゃないです!えっ、だって、なんでそんなの持ちながら近づくんですか!」

「そんなのじゃねえよ!!なにてめえは花束も俺もそっち退けで両手に食いもん持ってんだコラ!」

振り向いた拍子にビチャと音を立てタレがべっとり付いてしまった婚姻届。まさか婚姻届を持ちながら真後ろに立っているとは思わなかったのだ。

「どうすんだよこれ…せっかく今日書いて出しに行こうと思ったのによ」

「まあまあ…そんなに怒らないでくださいよ。眉間にシワ寄ってますよ落ち着いてください」

「誰のせいだと思ってやがる。女はロマンチストなんだろ、記念日だのなんだのを忘れると煩えらしいから今日が良かったんだよ」

「今日?こどもの日に思い入れでもあるんですか?」

俺の誕生日なんだよと言った土方さんにハッとした。驚いたように目を丸くした私に土方さんは「誕生日ならもしも忘れちまったとしても必ず思い出せんだろ」と言う。

「忘れて…」

ぽつりと呟いた私に土方さんが「いや、忘れちまったとしてもだ。忘れると言ってるわけじゃねえ」と早口で言った。
違う、記念日を忘れるとか忘れないとかそうじゃなくて…

「土方さん誕生日なんですか?!」

「あ?」

「私も!私も今日誕生日でした!今思い出しました」

同じ日だったんですね、へへっと笑った私を見て今度は土方さんが驚いたように目を見開く。

「おま、は?誕生日?今日が?」

「はい。別に誰かに祝われることもなかったので忘れてましたけど、誕生日です今日」

運命ですかねなんて言った私の手を勢いよく引っ張った土方さんはそのまま店を走り出した。後ろから「土方さん?なまえちゃん?」とお妙さんの声がしてその後近藤さんの「トシィィイイ?!」と叫ぶ声が聞こえた。

「ひじ、土方さん?!どこ、一体どこに!」

骨付きお肉を持ったまま町内を引っ張られている。私の言葉は無視して土方さんは走っていた。

「尚更今日だろうが!」

ボソリと聞こえた言葉。もしも今日世界が終わったとしても私はきっとなにも後悔しないだろう。
足元を照らす月明かりはとても綺麗だった。これからの未来を照らしているのかも知れないと、満たされた心で柄にもなくそんなことを思った。