生憎休みでも予定なんてものはない


ううっ、と体の怠さと嫌な汗のかきかたで目が覚めた。つい先日買ったばかりのマットレスが柔らかくて腰が重く沈んで感じる。まだ重い瞼をゆっくりと開けながら枕元にあるはずの携帯へと手を伸ばして、いつもなら触れるはずのない人肌ほどの体温に体が強張った。慌ててそちらを向けば布団から少し見える艶のある黒髪。ちょっと待ってちょっと待って、誰なの何なの何事なの?と恐る恐る顔まで引き上げられている掛布団を捲って悲鳴が上がる。

「あああぁぁあああああ?!」

私の声に反応したその物体は眉間に皺を寄せ、こちらが引くほどの目つきで目を覚ました。目が合ったことにより恐怖と戸惑いとで勢い余ってひったくってしまった掛け布団で身を隠すように包まったまま冷めぬ興奮状態で声を掛けてみた。

「なっ、なにしてるんですか!」

「…朝から煩えわ」

つか寒いから返せと身包み剥がすように強奪された掛け布団。あっあっと騒ぐ私なんかに少しも、ちっとも、目をくれず掛け布団に包まったその人は「お前が泊まってけ泊まってけって煩かったんだろうが」と言った。まさかそんなことがあるだろうか。昨夜のことを思い返してズキズキと痛む頭を押さえ込む。

「昨日、のこと、覚えてますか?」

「なめんじゃねえぞ。酒は呑んでも呑まれねえ達だ」

「いやだって、昨日っ」

貴方私に呑まれてなきゃ説明できないようなこと言ってましたけど?!なんてことは言えず、そうですか…と返すのがやっとである。いつもと変わらずしれっとした態度にもしやこれは昨日から引き続き行われているドッキリではないかとしか思えなかった。何なのだ一体、どうしてこうなった。とりあえずベッドの空いたスペースに正座した私と、背を向け掛け布団に包まる土方さん。状況を整理しようと、これが夢や幻もしくは妄想ではないのか頬をつねってみる。

「痛い」

「朝からどんな目の覚まし方してんだよ」

呆れた口調でそう言った土方さんは首をこきこきと鳴らしながらベッドから降りていく。そして我が家かのように洗面所へ向かい、我が家かのように歯ブラシを咥えて戻ってきた。

「なに、してるんですか…?」

「見りゃ分かんだろ。歯磨き」

そりゃ見れば分かるけど、分かるけども。状況がちっとも分からず瞬きが増える。まだ完全に理解できていない状況に順応すべく私も洗面所へと向かう。いつも通りピンクの歯ブラシを咥えながら鏡を覗き込み、映る土方さんの横顔に何とも言えない苦笑いを浮かべた。

朝食にベーコンエッグをリクエストした土方さんと向き合って食事を摂る。この家で土方さんと朝を迎える、そんなイベントが発生するとは思わなかった。未だよく分からないこのイベントにどこから突っ込めばいいのか分からず無言でソースへと手を伸ばしたその時、土方さんは「今日の予定は」と口を開いた。

「予定は、特にありませんけど…」

「本当に店が休みだと暇なんだな」

「いや、そういうわけでも」

咄嗟に否定してみたが全くその通りである。世間がGW真っ只中なのに、たまたま被ってしまった店の定休日。どこへいく予定もなく今日は一日中ベッドの上で寝腐る予定だった。土方さんはお仕事ですか?と聞いてみれば休みだと返されて戸惑う。GWなのに土方さんが休みなんて、そんなこともあるらしい。

「珍しい」

「近藤さんがこの日はやたらと休ませたがるんだよ」

ごっそーさんと置かれた箸にお粗末様でしたと返す。そして洗濯機を回しに立ち上がった。

「おい、あと何分で出掛けられるんだ?」

「はい?」

寝起き素っぴんボサボサの髪。ヨレヨレの寝間着で洗剤片手に洗濯機の前に立っている女に、土方さんは前触れもなくそんなことを言う。

「出掛けるんですか?」

「暇なんだろ?」

「暇では、ありますけど、も」

一体どこに?動き出した洗濯機の音がやけにクリアに脳内で聞こえるなと思った。

遅いだの、まだかだの、やたらと急かされ支度を終えたのは起床して三時間が過ぎた頃。これでも急いだ方だと思うが、待たせてしまってる間土方さんが私の部屋のいるという事実で手が止まったりしてしまった。行き先も告げられず二歩後ろを歩いていれば連れてこられた呉服店。店主の方が土方さんを見るなり笑顔で近づいてくるもんだからどうしていいか分からずそっと土方さんの後ろに隠れる。

「それで今日はどのようなものをお探しで?」

世間話をしていた二人の邪魔はすまいと息を殺していた私の腕をいきなり掴み引っ張る土方さん。え、ちょっ、なんて言っている私は御構い無しらしい。

「この女に似合う着物を誂えて欲しい」

「は、えっ?土方さん?!」

私の言葉はこの二人の耳には届かないらしい。かしこまりましたと頭を下げた店主と店内に設置されている椅子に腰を下ろす土方さん。あの?!っと慌てる私をにこにこしながら店主が見ているかと思えば中から女将さんのような人まで出てきて強引に奥へと連れて行かれる。

「ひじっ、土方さん?!これは、」

「はいはい動かないでくださいねー暴れないでくださいねー」

「土方さん?!?!」

土方さんにどういうことなのか説明してもらおうと振り返る私を一体どこから出てるんだってくらいの力で奥へと連れて(引きずって)いく女将さん。気づけば見慣れた道具に囲まれる一室で寸法されていた。

「あの、すみませんこれって」

黙々と測っては紙に数字を記入していく女将さんに声をかければ「ん?」と顔を上げられる。その顔にどきりとした。忘れかけていた母親がダブって見えた気がした。

「いえなんでもありません、すみません…」

そう?とにっこり笑顔を見せてくれた女将さんに笑顔を返す。あんな親だったけど、あんな親だけど、親には変わりないらしい。まさかこんなところで思い返すとは思っていなかった。あの二人はどうしているだろうか。元気でやっているのだろうか。そんなことを考えていれば寸法は終わったらしく、お疲れ様でしたと言われた。店内へと戻った女将さんが土方さんに生地やらなんやらの相談をしている。

「留袖で…家紋はどうなさいますか?」

「左三つ巴で」

ふふっと笑った女将さんが土方さんにおめでとうございますと言う。それに対して土方さんは後頭部を少し掻きながら困ったような顔をしていた。
留袖、家紋…その会話から憶測できることに今度は私まで困った顔になってしまう。困ったといってもどうしようとかそういうのではなくて、こうなんというか。

「なに泣きそうな面してんだよ」

「だって、土方さん、昨日のっ」

「だから覚えてるつったろうが」

仕上がりは二ヶ月後だと、と言った土方さんの顔は私と同じくらい困った顔に見えた。