背中は鈍器で押してくれ


刀の手入れをしていると近藤さんがやって来た。「ちょっといいか?」と顔を覗かせる近藤さんに「どうしたんだ?」と返す。いやあ…と言葉を濁らせながら腰を下ろした。

「なまえちゃんと喧嘩…した?」

「っゲホ、はっ、喧嘩?してねえよ、してねえ!」

「おいトシ、落ち着け大丈夫か?変なところに入っちゃった?」

ゲホゲホと咳き込む俺の背をさすってくれる近藤さん。まさかあいつのことを言われるとは思ってなかった。驚いて煙が変なところに入っちまう。

「急になんで、」

「最近二人の様子がおかしい気がして…」

"別におかしくねえよ"と言おうとして口を開いたのに、言葉を吐き出さず閉じた。様子がおかしい、か…ふうっと吐き出した煙草の煙が窓の方へと流れていく。
あいつは俺を好きだと言った。それに対して俺は受け入れることも拒絶することもしていないつもりだった。

「なまえちゃんのことどう思ってるんだ?」

「別にどうもこうも、」

思っちゃいねえよと後に続くはずだった言葉は総悟の「それは俺も聞かせてもらいてェーなァ」という言葉に遮られた。総悟?!と襖の方を向いた近藤さん同様、俺もそちらへ顔を向ける。

「俺も気になってたんでさァ。いつになったら一発しけこむんで?」

ドサっと近藤さんの横に腰を下ろした総悟はキョトンとした顔で言った。しけこむってなんだよ、このマセガキが。

「悪いな、近藤さんや総悟が思ってるようなことはなにもねえんだ」

そう自分に言い聞かせてるかのようにゆっくりと、しかし一言一言確実に吐き出した。なにもねえんだよ、なにも。瞼を閉じれば浮かぶなまえの照れた顔も腕の中に収めた感触も、なにもかも無かったことにできたらいいのに。

「トシ…」

眉を下げ、悲しそうに困ったようにこちらを見る近藤さんの言いたいことなんざ分かってる。そしてその隣で溜息を吐いたマセガキが言いたいことも分かってるつもりだ。

「俺にゃ女なんざ要らねえよ」

要らねえんだよ今も昔も。そう思っているのは嘘じゃない。だからといってなまえへの言動だって本心からだった。

「アンタ自分がなに言ってるか分かってるんですかィ?あいつの気持ち知ってやすよね?」

「総悟っ」

総悟の声色が変わって近藤さんが声を張った。総悟がこうやって感情を露わにすることは珍しい。いつものらりくらりと腹ん中を隠して生きてるような奴で、人にてめえの胸の内を晒したりなんてしない奴だ。

「…女弄べるなんざ、流石モテる男は違いやすねィ。羨ましいや」

弄ぶ?いつ誰がそんなことしたんだよ。そう反論したくなって、でもそんな権利自分にねえんだって分かってて聞こえないふりをするしかできない。
頭では分かってんだよ。受け入れられ無かった時点で抱きしめるべきじゃなかったんだってことくらい。応えてやれねえのに独占欲丸出しになんかすんじゃねえよって。俺に女は必要ねえってことくらい。全部分かってんだよ。

「知ったような口聞いてんじゃねえよ」

「知るわけねェーでしょう、テメェでさえ理解できてねェー野郎の気持ちなんて」

総悟を睨んでみたが口笛でも吹き出すんじゃねえかってくらい涼しい顔をされた。トシ!総悟!と近藤さんが膝を立てる。俺たちがいつ取っ組み合いをし始めても止められるようにだろう。
なんだこれ、なんでこんなことになってんだよ。別に付き合ったわけでもねえのになんで他人にとやかく言われなきゃなんねえんだよ。

「トシは、本当にいいのか?それで」

「俺はいつだってそう選択してきたつもりだ」

それは今までもこれからも変わらねえ、変えるつもりはねえよ。もういいだろ、掘り下げることじゃねえよ。あいつを知らなかった頃には戻れないとしても、今ならまだ間に合う気がすんだよ。傷つけちまうことは分かってるけど、今ならまだ引き返せるんだよ。

「それが本音じゃねェーかィ、クソ野郎」

総悟の声に感情がさらに乗せられた。横目で表情を確認すればその目は真っ直ぐこちらを睨んでいる。こんな喧嘩買う価値もない。だから目は反らさねえよ。お前、成長してますます顔が似てきたよな。

「お前もミツバも関係ねえよ。これは俺の、」

「そうやって引き合いに出してる時点で関係してんでさァ。なんで分からねェ、なんでっ」

「総悟っ!」

感情に任せて柄に手をかけた総悟を近藤さんが一喝する。そうさせちまった自分を責めない近藤さんの心遣いさえ痛え。

「トシ、総悟が言いたいのはっ」

「分かってる、分かってんだよ」

でも分からねえんだよ。仕方ねえよ、分からねえんだから。
あいつには見て見ぬフリして知ってて知らねえフリをした。あいつには応えられねえと突き放して、幸せになってもらいてえと願ってそのくせあいつの最期すら顔を合わさねえで…
それなのに今になって気持ちが変わりました?今になって俺の手で守ってやりてえ?言えるかよそんなもん。言えるわけねえだろ、そんなこと。

「分からねえんだよ」

「トシ…」

情けなく溢れた言葉は重く落ちていった。空気さえも重く感じて顔を上げることさえ億劫だ。

「今日は武州からの奴等でも誘って一杯やりに行かねえか?」

近藤さんが俺と総悟の肩を抱く。総悟が「俺も飲んでいいんですかィ?」と言った。

「おう!飲め飲め!俺の奢りだ!そんでたくさん話をしよう、過去の思い出話から未来への予想話まで」

勿論ミツバさんのこともなまえちゃんのことも。
なんだよそれ、俺への嫌がらせかよ。何が悲しくて同郷ってだけで全て話さなきゃなんねえんだよ。男はそんな簡単に好きだ嫌いだなんて語らねえよ。

「近藤さん、悪いが三人にしてくれ。俺と総悟と近藤さん」

「俺ァ別に土方さんと話すことなんざありやせんぜ。強いて言うんならなまえの話くらいでさァ」

「奇遇だな。俺もお前にその話がしてえよ」

総悟が俺を睨んで溜息を吐いた。アンタ…と口を薄く開く。

「姉上がアンタに惚れてたと思ってんなら勘違いも甚だしいですぜ。姉上がアンタなんかに惚れるわきゃーねェーでしょう」

自惚れてんじゃねェーぞ土方のくせに、テメェの片思いでさァ!姉上とアンタじゃどう足掻いたって釣り合うわきゃーねェー。
そう言って人を馬鹿にしたような笑みを浮かべた総悟の目元が、口元が、髪が…

「勝手に誰とでも付き合って勝手にどっかの馬の骨と結婚でもしてりゃーいいんでさァ」
「姉上は幸せだって言ってやした。俺みてェーな弟を持って幸せだって。そんな優しい姉上はきっとアンタの幸せを私の幸せとか言っちまうに決まってらァ」

総悟を力一杯抱きしめた近藤さんの後ろで声を押し殺した。そんなことを総悟に言わせて、俺はまだ知らねえ分からねえと言い続けるつもりか?