絡まった糸を解くのは一苦労


「適当に座ってて下さい、今ご飯の仕度しちゃうんで」

そう言って慌ただしく台所に立つなまえ。この部屋に入るのは二度目だが、この部屋ってこんなに広かったか…?以前見た時よりも片付いているその部屋に、安心した。その反面、こいつはもう俺がいなくても生きていけるんだなと少し心寂しいような、そんな気分だ。冷蔵庫を覗いているなまえは少しいい女になった気がした。初めて会った時は自立してねえ、甘やかされて育った良いとこのクソアマかと思っていたが今じゃ年相応に見える。

「なんか手伝うことはねえか?」

「えっ?!あっ、じゃあ、テーブルの上拭いてもらっても…あっやっぱり大丈夫です座ってて下さい。土方さんにそんなことさせられないです」

後ろに布っ切れを回して首を横にブンブン振っている姿はやっぱり幼く見えて自然と口元が上がってしまう。なんだよ、全然変わってねえじゃねえか。相変わらずガキ臭え奴。緩んだ口元を見てなまえが「えっ、なんで笑ってるんですか?」と今度は顔を歪めた。

「なんでもねえよ。ほら、貸せ」

「い、いいですいいです座ってて下さい」

「二人で仕度した方が早えだろうが」

「でもお客様ですし」

「めんどくせえな、いいから貸せよ」

ほら、ともっと手を伸ばせば申し訳なさそうに眉を下げてすみませんと言われた。すみませんって、別に大したことじゃねえだろうが。
台所から聞こえる包丁の音だとか炒める音だとかが何故か気持ちを落ち着かせる。下ろしていた髪を結ったらしいなまえの細い首筋にムラっとした。触れてえなと思って手を伸ばしかけた時、振り返ったなまえと目が合う。

「土方さん…?」

「あ?」

「何してるんですか?」

「見てる」

「なにを?!」

近い、と顔を背けられて冷静になった。おいおい後ろ姿にムラついて真後ろに立つとか変態じゃねえか、俺。何してんだよ本当に。
慌てて手を下ろす。いやいや本当に何してんの俺…!盛りのついたガキじゃあるめえし、そんな首筋に発情だとか欲情だとかあり得えねだろ。

結局他に手伝うことはなく、そのままなまえが作った飯を食うことになった。店で食うやつよりも美味く感じた。

「口に合いましたか?」

「不味くはねえよ」

「なら良かったです」

ごっそーさんと言った俺にお粗末様でしたと笑うなまえ。俺の食器を片付けようとする。

「洗いもんくらい俺がやる」

「大丈夫ですよ、座ってて下さい。あっ何か飲みます?」

ビールとお茶とコーヒーと…どれにします?と言われた。酒の力に頼りたくはねえが、アルコールでも飲まなきゃ言えねえ気がする。ごめんの一言だけでいいのにそれさえこいつに言えねえ気がした。責めてくれりゃいい、俺のせいで危険な目に遭ったんだと責めてくれりゃいいのに多分こいつはそんなことしない。責めてくれねえから余計謝り辛い。

「ビール」

「はいどうぞ」

片付けが終わるまでテレビを観ながらビールを煽った。早く酔ってくれと願うほど頭が冷静になる。あまり強い方じゃねえと思ってんだけどな…どうにも酔えない。気づけば短時間で六本目に突入していて、なにしてんだよまじでと自己嫌悪へ落ちそうになった。

「結構飲むんですね」

「悪い、」

「そうじゃなくて…別にいいんですけど。土方さんはあまりアルコールに強くないイメージがあったんで」

空き缶を片付けながら「なにかつまむもの作りますね」とまた台所に立たれてしまう。要らねえと立ち上がってクラっとした。流石に一気に流し込み過ぎたらしい。

「土方さんっ?!」

「要らねえ」

「水、水飲みます?!」

ほらやっぱり強くないと慌てて水を持ってきたなまえの顔が二重に見えた。
そう言えばこいつが話したかったことってなんだったんだ?まだなにも聞いてねえよ。こいつの話は酒なんか飲む前に聞いてやるべきだったな。ああでも俺もまだ話してねえや。帰る前にきちんと言わねえと…

「なまえ」

「はい?なんですか?ていうかその前に水、」

「悪かった」

「…え?なにが」

「万事屋から聞いた。俺のせいで、その…悪かったな」

目をかけるなら最後までー…その通りだ。くだらねえことに腹立ててもう知らねえとか言っちまう俺の方が誰よりもガキ臭えなんてこと、俺が一番分かってる。守ってやりたいと思っていたってそれは難しい。四六時中側に居てやれるわけじゃねえ。なんでもないただの町娘に自分の身は自分で守れなんて言えねえ。それが俺のせいで巻き込まれてんなら尚更だ。
身を引けば守ってやれるのかと聞かれても分からねえ。実際俺とこいつになにがあるわけじゃねえんだから。奴らには俺たちがただの客と店の者だろうが関係ねえ、俺とこうして会っているだけで襲う価値を見出すのだ。

「もうそんなことが起こらねえようにきちんと対策を考える」

悪かったともう一度口を開こうとした時、口にコップを押し付けられた。無理矢理流し込まれた水を飲み込みきれず溢れてしまう。

「てめっ、何しやがる!」

「土方さんこそ!なに言ってるんですか!腹立つ!」

「はあ?つかタオル寄越せ、濡れちまっただろうが!」

「そんなのは後回しです」

「ふざけんじゃねえぞ。濡れてんのは俺なんだよ!」

「あとでちゃんと洗濯機に入れます」

「帰りどうすんだよ!冬だぞ冬!」

「泊まっていけばいいじゃないですか!そんなことより、」

「泊まるわけねえだろうが!お前話聞いてた?俺とこうしてるとまたっ、」

「いいです別に!その時は土方さんが助けてくれるんですよね?いつもそうじゃないですか!あ、あの時は銀さんでしたけど」

キッと目を釣り上げて睨むなまえはいつだかパトカーの中で声を荒げた時と被って見えた。言葉を飲み込んで言いたいことを我慢するタイプのくせに、割と頭の切れる女のくせに。これがいつもギャアギャア煩え奴ならどうとも思わないが。

「銀さんとか…呼んでんじゃねえよ」

「他になんて呼ぶんですか」

「万事屋」

「それ名前じゃないですよね」

あーあびしょびしょだ、と着流しを拭くなまえに口元が緩んでしまう。

「助けてくれる、か」

「え?なんですか?」

「いや、なんでもねえよ。手のかかる女だなって思っただけだ」

「それは本当毎度すみません。そしていつもありがとうございます」

脱ぎます?と普通の顔して聞いてきた女の頭を引っ叩きそうになっちまった。脱ぐわけねえだろうが。密室でパンイチなんざ誰がなるかよ。

「それでお前の話ってなんだよ」

「あー…えっと」

土方さんのことが好きですって話?と首を傾げられて「はあ?!」とでかい声を出してしまった。好きですってなんだ?人間として?人として?それとも男、として…?いやないないない。もしも万が一こいつが俺に惚れてるとして、まさかこんなムードもへったくれもねえこの状況で言うわけがない。

「そ、そうかよ」

「避けられてたし嫌われたのかなとか、いろいろ思うところはあったんですけど…なんか全部吹っ切れました今ので」

いやこれどっちの好き?ライク?ラブ?
やべえ、酔いが一気に醒め出した。ちょっと待て落ち着け俺、落ち着け俺の煩悩。考えろ、今ので吹っ切れたってなんだ。こいつが俺のことを男として好き…だとか言ってるとして、なんでだ?そんな素振り全く見せてなかったじゃねえか。つかむしろ苦手だとか、言ってなかったか?でもここでどっちの好きなのか聞けねえ。聞けるわけねえ。なんて返せばいいか分からず黙っていれば「それで聞きたいんですけど」となまえが顔を上げた。

「土方さんが私を好きになる可能性って…ありますか?」

「はっー…?」

真っ赤な顔して、耳まで赤く染めて。そのくせ目は真っ直ぐこっちを見ている。少しも反らさずに揺れる黒目が俺を捉える。
着流しの上に置かれたままのタオルを握る手が少し震えていて、言葉の意味を理解した。

「お前、」

"俺にゃ女は要らねえ"
"俺じゃ幸せになんかしてやれねえ"
それはずっと変わらないことだと思っていたのに、その目から逃げられない気がした。違う、この女のこの目に映っていたい気がした。

「俺といても幸せになれねえぞ」

「つまりそれって可能性あるんですかないんですか」

ゆっくり息を吸い込み吐き出す。
ミツバ、どう思うんだろうな。総悟は?どう思う?
あの頃してやれなかったのに、あの頃は見て見ぬ振りしてたのに。
今こいつに応えるのは裏切りのようにも思えた。

「…分かんねえ」

なんて答えればいいのか、俺自身はどうしたいのか。分からねえ。ちっとも分からねえ。守りたいだとか万事屋と話してるだけで苛立つだとか、この感情がどういったものから起こるのか、それは分かっているけど…

「じゃあ、少しでも可能性が見出せるように頑張らせてください」

簡単に諦められなそうですと泣きそうな顔して笑うなまえへ衝動的に伸びてしまった手。「え、なんですか?!」と言ったなまえを腕の中に収めた。

「良かった。拒絶されるかもと思ってました…」

泣き出したこいつになんて言えばいいか分からず、かといって手を離してやることもできず。中途半端なこれが、一番こいつを傷つけることになると分かっているのに両手に力を込めた。
可能性云々じゃねえよ、もう惚れてんだよと言ってやれたら良かったのにな。