給料日前の金欠率は今の所80%超え


おじさんにキャベツとトマトを買ってくるよう頼まれた。八百屋でお目当ての物を買って店へ戻る途中、前から歩いて来た人物と目が合う。どきりと一瞬で体が強張った。会いたかったはずなのに、実際会ってしまうと呼吸の仕方さえ危うくなる。弁慶の立ち往生ってやつだ。

「…店は」

バツの悪そうに目をそらした土方さんだったが知らん振りをするほど子どもじゃないらしい。ぶら下げたキャベツとトマトの入った袋を見て「買い出しか」と言った。

「土方さんは、」

「見回り」

会話が続かない。久しぶり過ぎて今までどうやってなんの話をしていたのか分からない。気まずい空気が重々しくのし掛かる。話したいことはたくさんあったはずなのに、そのどれもがこの場では相応しくない気がした。自己満のお礼も謝罪も、きっと土方さんはたった一言そうかだけで終わらせてしまう。
会わなかった期間で、何かもっと決定的なことが変わってしまった気がした。

「ついでだ、持ってってやる」

貸せ、と差し出された手。キャベツ一玉とトマト一袋だけで重いわけじゃない。大丈夫ですと言った私に舌打ちをした土方さんは強引に奪った。

「ありがとうの一言でいいだろーが」

歩き出した土方さんの後ろ姿がやけに遠く感じた。荷物を持ってくれた時に触れた手は冬なのに少し温かくて、以前触った時と変わらなかった。短めに揃えられた爪も温かくてゴツゴツした指も、広くて厚い手のひらも。何も変わらないのに、接し方だって今までと変わらないはずなのに何かが違う。違和感の波がどっと押し寄せてくる。

「ああ?何してんだよ」

置いてくぞと振り返った土方さんの顔にああ、そうかと納得してしまった。面倒見が良くてなんだかんだ優しい人。だからこその違和感だ。私を見る目が無に近く何を考えてるか読めない。怒りもしていなければ笑ってもいない。この状況だったら普通のことなのかも知れないが、そうじゃない。そうじゃなくて、まるでー…

「土方さん、」

「ああ?」

何かありました?と聞こうとしてやめた。きっと私には何も言わないだろう。私と土方さんはそれまでの関係なのだ。
私の方を見ているはずなのに全く私なんてその目に映ってないかのような土方さんに、胸の痛みが増した。

久しぶりに店に土方さんが来たからか、おじさんは嬉しそうだった。そこでちょうど会って荷物を持ってくれたことを説明すれば「いつも悪いね」と言いながら何か食べて行くように勧める。

「いや…今日は忙しいんだ。気持ちだけ貰っとく」

一瞬悩む素振りを見せた土方さんはおじさんに申し訳なさそうにそう伝え、足早に店を出て行こうとする。それはまるで、私を避けているようだった。また来るとおじさんに挨拶をした土方さんは、私の方を一切見ずに戸を開けた。何も不自然なことはないのに、寂しさが一杯になって溢れ出す。いつもはもっと私に話しかけてくれていたじゃないか、もっとくだらない話をしてくれていたじゃないか。土方さんが忙しいことは十分に理解できているのに納得できない。視界に映してくれないことも今までのことを後悔してるかのように無かったことにされているのも。どうして私の目を一度も見てくれないの?

「おじさんっ、ちょっと土方さんに話がっ」

閉まってしまった戸を見て居ても立っても居られなくなった。追わなきゃ、今追わなきゃ多分あの人はもう私の前に姿を見せてくれなくなる気がした。一線引かれた今日の出来事がここ最近会えなかった答えな気がしたのだ。そんな私を見ておじさんがニカッと歯を見せる。

「行ってきな!ちゃんと仲直りして来るんだよ!」

喧嘩したわけじゃないんだけど、というのはこの際後で説明するとして…勤務中に私情で抜けるのに笑ってくれたおじさんに頭を下げる。急いで土方さんの後を追いかけた。

少し走ったところで見つけた後ろ姿。ふわふわと煙草の煙が上がっている。「土方さんっ」と呼べばビクッと肩が跳ねるのがわかった。

「おまっ、店は?!」

「ちゃんと許可取って来ました!」

「はあ?なんの為にっ」

「土方さんと話がしたくて」

眉間にしわを寄せ「はあ?」と不機嫌そうな声を出す。咄嗟に出た「すみません」に舌打ちをされて決意は簡単に折れかかってしまう。でもここで私が折れたらきっともうこんな機会は訪れない気がする。

「忙しい、なら!夜はどうですか?!何時でもいいです、土方さんが暇な時間に!」

「夜って、お前明日も仕事だろーが」

「大丈夫です、起きれます!」

「別に話ならいつでも、」

「今日がいいです!少しでいいんで話をっ」

いつでもなんて言ってたらその日は拝めない気がする。強引な気はするけどこうでもしないと話せなくなる気がした。いつもならあっさり引き下がるはずなのに、目をそらさずいれば深い溜息が落ちて来て少しだけ後悔しそうになる。しつこくて嫌われてしまうかも知れない。でも、ちゃんと話したい…。

「店終わる時間に迎えいく。何か食いてえもん決めておけ」

「…え?」

「話したいことがあんだろ」

「そ、うですけど…」

え?迎え?食べたいもの?ええ?
私の頭はついにおかしくなったのだろうか。それとも耳がおかしい?
土方さんのそれは、つまり、えっと

「ご飯、食べ行くんですか?」

「この寒ィー中道端で話すのもアレだろ」

「でも、忙しいのに」

「そう思ってんなら今日じゃなきゃ嫌だなんてガキ臭えこと言うんじゃねえよ」

「いやそこは譲りたくないんですけど」

「だろうな。お前がそんなに言うんだから」

呆れた口調で「ガキ」と言った土方さんの瞳にやっと私が映った気がした。それだけで涙が出そうになってしまう。胸が苦しい痛い。なのにどうしようもなく嬉しい。
ったく、とまた溜息を吐いた土方さんの手が伸びて来て頭の上に乗った。真剣な顔で真っ直ぐ私の目を見て来るもんだから「え?」と小さく漏れてしまう。
なに?なんで?えっ??

「俺も話してえことがあった」

後でな、とそのまま背を向け歩き出した土方さんから目が離せなくて…その話したいことが私にとって良いことなのか悪いことなのか分からないけど、何故だか安心して全身の力が抜けてしまった。へなへなとその場にしゃがみ込んでから頭を撫でられたことを思い出して一人顔を覆い隠した。


隊服ではなく着流し姿で迎えに来てくれた土方さんは新鮮で、緊張してしまう。昼間の気まずさはなくなり土方さんは私の目をちゃんと見てくれている。その様子を確認して安心した私はゆっくり息を吐いて「私の家に来ませんか?」と聞いてみた。

「は…」

「外食もいいんですけど、今給料日前で…」

私から話があると誘っといてとても申し訳ないのだが、金欠です。
だからといってファミレスに誘うのはなんだか気が引けてしまう。土方さんって美味しいもの食べてそうだし庶民の味は好まないかも知れない。でも料亭に行けるほど今の私の財布は温かくない。

「別に最初からてめえに財布開かせようなんざ思ってねえよ。誘ったの俺だしな」

「尚更うちにしましょう!奢ってもらうなんて嫌です」

何か作るんでうちじゃだめですか?と聞けば睨まれた挙句「馬鹿だろお前」と辛烈な言葉返ってくる。

「ほいほい家に男上げんじゃねえよ」

「上げたことないですよ」

「今まさに上げようとしてんじゃねえか」

「土方さんはいいんです、大丈夫です」

土方さん以外入れたことないんですよ、うち。
ちょうど今朝掃除をしたしゴミも捨てた。今うちは結構綺麗な方だと思う。最近はカップ麺じゃなく自炊もしてるし、土方さんを呼んでも大丈夫だろうと踏んでいるのだ。そしてその生活ぶりも見せてお礼が言いたい。土方さんのおかげでまともに生活を送れてるんだと感謝を伝えたい。

「嫌なら無理にとは言わないんですけど…」

「オムライス…」

「え?」

「店で食ったオムライス作れよ」

そんなのでいいのだろうか。もっと手の込んだものも作れるし、スーパーに寄ればもっと気合いの入ったものを出せるのに。

「オムライスでいいんですか?」

「最近食ってねえからな」

歩き出した土方さんに続いて私も歩き出す。一歩先を歩く土方さんに、これが最後になってもいいからきちんと全部話そうと心に決めた。