▽ その男、腹黒につき要注意
「らっしゃいっ!」とおやっさんの弾んだ声がして、その後に「いらっしゃいませ」と中からあの女の声がする。なまえがこの店に戻ってきておやっさんは嬉しそうだしうちの奴らも(主に近藤さんが)喜んでいた。
「土方さん、今日はなにか食べたいものありますか?」
「は?」
カウンターに着いた俺になまえが冷やを出した。少し照れたように笑い「特になければ…」と口を閉じる。言葉の続きを催促すれば小さなメニュー表を取り出した。
「土方さんには何度もお世話になったというか…感謝と謝罪の意を込めてこんなのものを作りました」
卓に置かれているメニュー表よりも大分小さい、ラミネート加工されたミニメニュー表。そこには土方スペシャルと書かれカツ丼、親子丼焼き鳥丼等の丼物メニューが書かれていた。最後には申し訳程度の薄い字でオムライスと書かれている。
「…なんだこれ」
「ひじ、」
「土方スペシャル犬の餌でしょう」
なまえの言葉に被さった皮肉。振り返ればニヤァと笑う総悟が立っている。ゲプッと人の頭上でゲップをこいた野郎はなまえの手からそのメニューを取り上げケッと唾を吐いた。
「何の為にこんなもん作ったんでさァ。どっかの味覚障害しか喜ばねェー汚物ばっかじゃねェーか。あっ、ちゃんと名前が入ってらァ」
「ちょっと返してよ!」
「そんな身乗り出さなくたって返してやらァ。俺はこんなもん食えやせん。あっ、デザートに杏仁豆腐持ってこいよ」
「ありません〜今日は杏仁豆腐じゃありません〜。総悟くんに出すデザートは今のところありません〜」
「はあ?杏仁豆腐じゃなきゃ何があるんでィ?」
「今日はコーヒーゼリーです。自家製の」
「おやっさんが作ったなら食いやさァ」
「残念ですね、私が作りました。お帰りください」
ギャアギャアと言い争う二人。いつの間に仲良くなった?いつの間にそんな会話をするようになった?違和感、と言うのだろうか。俺と話すよりも自然に言葉を返すなまえに沸々と何とも言えない感情が込み上げる。ザキにしろ近藤さんにしろ総悟にしろ。どうして俺以外とは普通に会話をするんだろうか。
「俺には何も言わねえくせに」
「え?」
すみません聞き取れなかったです、と慌ててこちらに目を向けたなまえになんでもねえよとしか返せない。これが総悟ならもっと他の言葉を返すんだろうか。
「あっ、えっと…何にしますか?」
普通の、いつもあるメニューを手渡してきたなまえ。おいさっきのメニュー表はどうした、小せえやつ。あれは俺のためにお前が作ったんだろうが。そっち寄越せそっち。
メニュー表を受け取らないで、かといって「あっちのメニュー寄越せ」とは言い辛い。何故なら隣に馬鹿が座ってるからだ。ニヤニヤしながらこっち見て座ってやがるからだ。別になまえが俺のために作ったメニュー表から注文したいわけじゃねえけど、どうしてもそっちから注文したいわけじゃねえけど。でもおかしいだろう、俺のために作られたはずのメニューなのになんで俺じゃなく総悟が持ってんだよ。
「あー…じゃあいつものやつ」
考えるのがめんどくせえってのもあるけど、ニヤニヤしながらこっち見てくる総悟に余計なことを詮索されたくなくて。いつものなんて言った後にいつものってなんだ?と自分でも分からなくなった。
「いつも、の?」
え?なにそれ、みてえな面したなまえだったが人の面見て「あーいつものやつですよねいつもの。分かりました」と伝票に書き込んでいく。ちょっと待て、いつものってなんだよ。俺ここでは結構いろんなもん食ってんと思うんだけど。ほとんど丼物だけど、それにしたっていろんなもん頼んでんだろーが。
「じゃあ俺はこのオムライスにしやさァ。小せえのな、ミニマムサイズにしなせェーよ」
「えっ!まだ食べるの?何時間いるつもりなんですか?」
「なんでィ。俺が居ちゃ何か困ることでもあるんで?」
「そうじゃないけど…」
ちらっとこちらを見たなまえ。すぐにその目はそらされてしまう。二人のやり取りを不思議に思っていれば総悟が「折角土方さんが来たんでィ。たまには一緒に飯でも食ってこうかなって。どうです?土方さん」と言う。
「お前…俺と飯食うの嫌だって言ってなかったか?」
「やだなァ。なんのことですかィ?」
あっ、近藤さんもザキもみんなで食いやしょうよ。なんて総悟が立ち上がる。二人が飯を食ってるテーブル席の方へと俺の腕を引いた。
「おっ!トシもこっち来るか?」
もう俺たち食べ終わるけど来い来いと近藤さんが席を詰めた。断る理由もないからそのままそこへすまねえなと断りを入れて腰を下ろす。ちらりと見たなまえはもうおやっさんのところへ注文を伝えに行っていた。
▽
「土方さァん。飯でも行きやしょう」
時刻は午後一時半過ぎ。見回りも終え屯所に戻った俺を待っていたかのように総悟が声をかけてきた。ここ最近ずっとこんな調子だ。総悟がえらく俺を誘いたがる。初めこそ何か良からぬことを考えているんじゃないかだとか、これは何か俺を嵌める為の罠なんじゃないかと疑いもしたが、今のところ何も被害は受けていない。それでもあの総悟が、隙ありゃ俺の玉を狙っていたあの総悟が俺を昼飯に誘うなんて俄かに信じ難い。
「…どうしたんだ?」
何か相談でもあるのだろうか。近藤さんに言えないようなことで、何か思い悩んでるんだろうか。どんなにクソガキだと思っていても俺の中で総悟はやっぱり他の奴らとは違う、特別な存在らしい。「なにがですかィ?」と元から丸い目を更に丸くした総悟にほんの少しだけ、罪悪感なんてものを感じてしまう。
「まーだ疑ってんですかィ?酷ェー野郎でさァ」
俺ァただ、昼時に飯を食わない多忙の土方さんに休憩を取って欲しいだけなのになァ。
これが総悟以外の誰かが言った言葉なら素直に信じられる。やっと俺の苦労を分かってくれる奴が出てきたのかと喜べる。しかしそれが総悟となると話は別だ。今朝もバズーカ片手に人の寝室へ乗り込んできた男である。上っ面の言葉を鵜呑みにはできねえ。
「別に疑ってるわけじゃねえよ」
「ならそんな睨まねェーでくだせェーよ」
「…なにが食いてえ」
「なまえの至って普通の、なんの変哲も無い一週間も食ってるとそろそろ飽きてくるオムライスでも食いに行きやしょう」
そう言って歩き出した。いやお前それ全然食べたそうじゃねえんだけど。他の食えばいいんじゃねえの?つかあの店行くなら別に俺と一緒じゃなくていいんじゃね?俺、静かに食いてえから昼時は避けてるし…お前はいつも十二時ぴったりに飯食いに行ってたろーが。
「土方さん?」
早くしてくだせえよと振り返った総悟の真意は読めない。あいつの腹ん中は常に真っ黒過ぎて読めない。いつだか嵌められた時のことを思い出した。あいつは俺なんかじゃ測りきれないほど腹黒いのだ。読者さえ騙す男だ。
「なに企んでやがる?」
ボソッと一人呟いて、くぐったばかりの門をもう一度くぐる。本当に、もしも仮に本当に、俺と飯を食いたいだけだとか俺に休憩を取らせたいだとか、善意からきた行動だとしたら…
「やべえ。俺死亡フラグ立ってんのか?」
重い足取りの俺とは違い、軽い足取りで歩む総悟。すれ違う人が全員暗殺者に見え、俺の死を待ち望んでるように感じる。ふざけんじゃねえぞこの野郎。まだ絶対死んでなんざやんねえぞこら。