夏の終わりと二度目の手錠


斬られるはずだったのに私は無傷だった。男の短刀が音を立てて転がっている。首を締めていた腕も緩められ、後ろから勢いよく体を引っ張られた。

「大丈夫だった?」

強く引っ張られ尻餅をつきそうになった私を受け止めてくれた山崎さん。イテテとお尻をさすりながら「あーあ、また顔に血ついちゃったね」とハンカチを渡してくれた。何が起きたのか分からないけど、頬を拭ったハンカチには血が付いている。でも私どこも痛くない。男の方を見れば腕を抑え、真選組の方を睨んでいた。

「貴様、俺はなにもしていない!倒幕を掲げて活動だってしていない!いわば善良な一般市民だ!それをこんな風に斬っていいと、」

「なに言ってんだお前。善良な一般市民は短刀なんざ持ち歩いてねえよ。それからお前がやってんのは立派な犯罪だ。分かっててその女連れて来たんだろーが」

まあ失敗だけどな。その女は俺たちとは無関係だ。
土方さんと目が合う。やっぱり怖い顔をしているのに酷く安心した。土方さんの手に握られた刀に少し血が付いているように見えて、誰がどうやって私を助けたのか分かる。あの日もそうだった。したくもない結婚を阻止してくれたのは土方さんだ。

「動くなよてめーら。動いたら公務執行妨害もつけんぞ。罪は軽い方がいいだろ」

土方さんの言葉に、私と一緒に荷物を運び出してた人たちが両手を挙げた。何もしませんっていう意味だろう。土方さんの指示のもと一人一人に手錠がかけられる。総悟くんが私を見て「なに人質に取られてんでさァどんくせェなァ」と言う。立てと言われて立ち上がりたいのに足に力が入らない。

「なんでィ。こんなんで腰抜かしてんですかィ?アンタラッキーだったんですぜ。相手が馬鹿で良かったな」

「どういう、」

「人質で済んで良かったって言ってんでさァ。もしもこれが武器商人じゃなくて攘夷志士だったら人質なんかじゃ済みやせんぜ?俺たち誘き出すため、俺たちを慌てさせ撹乱させる為爪剥がれたり指切り落とされたり、もしくは俺たちへの復讐のために殺されててもおかしくねェってことでさァ」

それは極論だけどな。と隣に腰を下ろした総悟くんが笑った。他の人はせっせと働いてるのに総悟くんは一緒に座り込んでていいんだろうか。

「人質って?」

「俺たちの仲間だと思われてたんだろィ。つまり、アンタを抱き込むことで俺たちの目を欺けると思ったんでしょう。馬鹿な野郎でさァ。学ばねェーなァ」

過去にも同じようなことがあったかのように話す総悟くんは遠い目をしているようだった。
一通り指示を出し終えた土方さんが私の方へやってくる。総悟くんが「腰抜かしちまったらしいですぜ」とご丁寧に鼻で笑って報告してくれた。

「なにしてんだよてめえは」

「す、みません」

「知らねえやつについて行くなって習わなかったのか」

「習っ、たかも知れません」

「下手したら殺されてたかも知んねえんだぞ」

ごめんなさいしか言えない。また迷惑をかけてしまった。また手間を煩わせてしまった。すみませんと言った私に舌打ちをして土方さんが手を差し伸べる。

「事情聴取すんからパトカー乗れ」

立てない私を気にかけてくれたんだろう。もうあの男はいない。パトカーで先に屯所へ連れてかれたのだろう。もう私の命を狙う人なんてこの場にいないのに、総悟くんの「殺されてもおかしくない」や土方さんの「殺されてたかも知れない」が重くのし掛かる。
土方さんの手を取った私の手は震えていた。暑いほどではないけど、寒くなんてないのに指先は冷たい。

「これに懲りたらほいほいついてくんじゃねえよ」

おやっさんも心配してたと言った土方さんは、私の隣に腰を下ろし胸ポケットから煙草を取り出した。カチャカチャとライターを回し大きく息を吸う。口から吐き出された副流煙を眺める。重なった指先を温めるように握ってくれた土方さんの手は大きくて暖かかった。

「あの、また私迷惑かけました」

「今回のは俺たちにも落ち度があった」

「土方さんたちはなにも。助けてくれたし」

「俺たちが店を出入りしてたからこうなったんだろ」

悪かったな、なんて言い出すから指がピクッと動いてしまった。謝られることなんてされてない。私の方が謝らなきゃいけないのに。

「土方さん」

「あー?」

「私、土方さんに助けられたの二度目です」

「…今回と、バイトクビになりそうだった時か?」

「ああ…それも入れたら三度目ですね。夏バテで倒れたことも含めたら四度目です」

不思議そうにこちらをみた土方さんが「他になにかあったか?」と言う。

「私結婚したくなかったんです。見ず知らずの人となんて」

へへっと笑った私に土方さんは「あんなの助けたうちに入らねえよ、大袈裟だ」と言った。握ってくれた手にもう少し力を込めれば、手の中で土方さんの指が少しだけ動いた。絡まるように重なった手を離したくないと思った。

「そろそろ行くか」

煙草を二本吸い終わった土方さん。腕出せと言われて素直に右手を差し出せば両方だ馬鹿と言われる。

「両方ですか?」

「当たり前だろ。手錠かけんだから」

手首に回った手錠。人生で二回も手錠をはめるとは思っていなかった。え?え?と首を傾げた私に「なに不思議そうな面してんだよ。犯罪の片棒担いでたろーが」と引っ張る土方さん。

「え?!私また拷問ですか?!」

「尋問な。調書取るだけだやましい事がねえなら心配すんな」

「調書取るだけ?前回だってそんなこと言って、」

「今回は俺が責任持ってやってやるよ」

さっさと歩けと言った土方さんは、先ほどとは違いいつも通りだった。離したくないと思ったのは私の勘違いだと思いたい。引っ張られながらそれでも土方さんの横顔から目が離せなかった。