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高杉が大学に行った日、今まで鳴らなかったインターホンが鳴った。今日は平日で銀ちゃんは仕事のはずだ。なのに、モニターに映る人影は私のよく知った銀ちゃんだった。
もちろん居留守を使おうとした、モニターに映る銀ちゃんに聞こえないだろうとごめんなさいと呟いた。

「あ…」

通話を押したわけじゃない。モニター越しに、しかも小さく落としただけの声量なのに、銀ちゃんが顔をあげた。その顔は最後に見たあの時の顔よりも随分とやつれている。
聞こえはしなかったが、その口は「なまえ」と動いたように見えた。その後に、ごめんなと動いたように見えて、その場にしゃがみ込んだ。
好きじゃなかった、気持ちに応えてあげられなかった。嫌なことをされた、浮気だってされた。無理矢理、やめてと言ってもやめずに抱かれた。そんな記憶もきちんと残っているはずなのに、楽しかったこと嬉しかったこと二人で笑い合ったことが一気にフラッシュバックする。
どれだけ銀ちゃんにされたことを憎いと感じても、私は愛されていたことも知っている。なまえちゃんと笑う銀ちゃんを思い出して、気づけば玄関へと向かっていた。
ドアノブに手をかけて、どうしたらいいのだろうと不安に思う。私は銀ちゃんから逃げ出したのだ。そして高杉を選んだ。私の首には赤い跡がこれ見よがしに残っている。

「あっ…なまえ…」

悩んで、悩んで、開けてしまったドア。そこにいたのは私の知ってる銀ちゃんとは程遠く、情けなく目に涙を滲ませる銀ちゃんだった。
伸ばされた手にビクッと肩が跳ねてしまう。殴られたことはないけど、首を絞められたことを思い出してしまった。

「そ、うだよな、悪い。こんなところまで来て、ごめんなぁ」

弱々しく涙を流す銀ちゃんは、私が大人っぽいと、高校卒業以来ずっと見ていた姿とはかけ離れ過ぎていてどうしていいかわからなくなる。

「もう、俺のこと嫌い?」

なあなまえ、と言われ肩を掴まれ揺さぶりれる。嫌いとか、そういうのじゃなくて…最初から私は、と言いたくなる。言ってしまえば私は楽になる。今までごめんねと謝るのは私の方だ。でも銀ちゃんは?そんなこと言われて、どう思う?ここが高杉の家だと知っていて来たのだろう。だとしたら銀ちゃんは…。

「高杉がいいのか?そんなに、何がいいんだよ。あいつだって、好きでもない女抱いてんだろ?なあ、俺とあいつ、何がそんなに違うんだよ!」

拒絶をしなかった私が悪いんだと思う。泣きながら私の胸ぐらを掴んだ銀ちゃんは、利き手を握りしめた。拳が私の目線の高さまで上げられて、殴られると目を思いっきり閉じればガタンと音がした。

「何してんだテメェは」
「たかす、ぎ…っ」

大学に持って行っているバックがコンクリートの廊下に落ちていて、目を見開いた高杉が銀ちゃんに殴りかかった。後ろに少し蹌踉めいた銀ちゃんの口元に血が滲んでいて小さな悲鳴を上げてしまった。

「何してんだ?そりゃこっちのセリフだろ。人の女に手出しといて、ヒーロー気取ってんじゃねえよクソガキが」

ぺっと血が混じった唾液を吐き捨てた銀ちゃんが私の頭を撫でる。そんな姿に高杉がより一層目を鋭くさせた。

「高杉、大丈夫、大丈夫だから。何もされてないからっ」

また高杉が銀ちゃんを殴るかも知れないと、高杉に縋るように抱きついた。ごめんなさい、言われてたのに玄関を開けて。ごめんなさい、私はまた高杉に迷惑をかけた。

「なまえちゃん、騙されてんだよ?そいつ、俺と変わらねえよ?」
「やめろ銀八」
「そいつ、好きでもない女抱くからね?なまえちゃんを俺に取られて、他の女抱くような奴だよ?」
「銀八っ」

高杉の背中に回した手はきっと震えている。銀ちゃんの言葉が頭をグルグル回る。否定しない辺り、高杉はいい人すぎる。嘘だと言えばいいのに、今の私なら銀ちゃんより高杉の言葉を信じるのに。否定せず銀ちゃんに「気が済んだか」と言ったそれが答えだろう。

「それでもそいつがいいのか?顔上げて見てみろよ、なまえちゃんを自分のものにしたいだけの男だぞ。俺だけがおかしいんじゃない、高杉だって同じだろ」

恐る恐る顔を上げれば、高杉と目が合う。その目は苛立ちを含まれているように感じた。

「俺は無理強いはしねえ。お前が銀八がいいなら引き止めねえよ。その代わり2度と俺の方には来るな」

突き離すようなその言葉に、胸が痛い。そりゃそうだ、守ってやると言われていたのに、玄関を開けたのは私だ。銀ちゃんの前に姿を出したのは私だ。
ゆっくりと深呼吸をして、手に力を込めた。

「高杉と、一緒にいたい」

その言葉に高杉はそうかと私の頭に手を乗せた。銀ちゃんは舌打ちをした。これでいい。これがいい。私が全て望んだことなのに、何故か高杉のことまで怖く思えてしまった。
私を家の中へと押し込んだ高杉が、銀ちゃんに「諦めろ」と言っていた。私はその様子を高杉の後ろから、守られるように見ていた。最後にちらりと私を見た銀ちゃんが「知らねえぞ俺は」と言った。

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