「なあ苗字って好きなやつとかいねェーの?」
「……んー、坂田のお守りで手一杯だから今は居ないかな」
「え、なに、お前俺のこと好きなわけ?」
「なわけ」
「やめろやめろ。俺、アイツしか見えてねェーから」
「だからそれはないって」


ズズッとラーメンをすすりながら坂田が「ごめんな」と揶揄う。態とらしく溜息を吐いてやった。坂田を好きになりたかったとは思うけど、なんてことは口が裂けても言わない。
午後の講義を受けて小腹が減ったという坂田とラーメンを食べにやってきた。食堂名物の特盛カレーライスを何時間前に食べていたはずなのに男はおやつの如くラーメンを食べるらしい。杏仁豆腐を食べながら吊るされたテレビのニュースを見ていたら、急にそんな話題を振られたのだ。今日の坂田は彼女と仲直りをしたとかで機嫌がいいらしい、少しうざいくらいのテンションだった。


「でもよー、中学の頃から知ってんけど男といるところ見たことねェーなって」
「勝手に私のこと見ないでよ、ストーカーなの?」
「委員会一緒だったろ?あんだけずっと委員会一緒だったら嫌でも目につくわ」
「あ、分かってたんだ」
「はあ?」
「委員会一緒だったこと」
「そりゃーな。つかお前有名だったし」
「え?」
「根暗だけどよく見たら可愛いって」
「悪口じゃないの、それ」
「褒めてんだろ?多分」


スープまで飲み干し箸を丼に突っ込んで手を合わせている。根暗って……まあ確かに明るくはないと思うけど。
帰ェーるか、とお代をカウンターに乗っけた坂田の真似をして私も小銭をカウンターに置いた。こういうところに来るのは初めてだ。


「来年にはもう就活始まるんだよなー、なんか早えわ」


太陽が一日の仕事を終わろうとしている。オレンジがかった空を見上げながら背を伸ばす坂田の背中は初めて見たときよりもずっと広くなっていた。なんとなく、あの頃の坂田と今の坂田を比べてしまった。大人になったんだよなぁ坂田も。


「ああ?なんか言った?」
「ううん、なにも」
「あ、そう?つか言ったか忘れたんだけど、俺就活とか諸々終わったらあいつにプロポーズしようと思うんだよね」
「プロポーズ?」
「そ、プロポーズ。なんつーの?なんだかんだやっぱアイツのことずっと守ってやりてェーつーか。まあまだ先の話だけど」


内緒な?と照れ笑いを浮かべる坂田はやはり初めて知り合った時よりもずっと大人になっていた。
両親を思い出す。あの二人も確か大学卒業してすぐ結婚してたはずだ。喧嘩もよくしているけど幸せそうな二人を思い出して温かい気持ちになった。


「結婚かぁ……いいね、そういうの」
「お前もいつかすんじゃねェーの?」
「どうだろう。まず相手がいないからなぁ」
「そのうち巡り会うって。あーでも、あんま夢見んなよ、多分結婚してェーって思うやつと理想って違えから」
「なにそれ一気にマイナス染みた発言じゃない?」
「うーん、そうでもねえんだけどな。言葉にするのは難しいけど、結構いいもんだよ」
「まだ結婚してないじゃん」
「そっちじゃなくて。ま、そのうち分かるって。惚れる相手と惚れてえ相手は違うらしい」


至極真面目な顔をした坂田の頬は赤く照らされていた。幸せそうな顔してる。


「その理論で言ったら彼女は理想じゃないってこと?」
「まあそうなるよな。めちゃくちゃ好きだけど理想ではねェーと思う」
「よく分からない」
「どっちかっつーとお前の方が理想なんだろうな」
「え?」
「どっちかっつーとって話」
「……坂田って私のこと好きだったの?」
「なんでそうなるんだよ。だから俺はアイツにしか興味ねェーんだって」


難しいよな、と首を捻られる。全然難しくない。なんだ、そうか、私だけじゃ無かったのか。嬉しくなった。
私は坂田の一言一言に思考が寄っていく気がする。


「私もどちらかというと坂田の方が理想」
「は?なにお前好きなやついんの?」


さあ?と笑った私に「出たよ秘密主義」と坂田が口を尖らせた。握りしめたトートバッグの持ち手がグチャと変形する。
言えるわけがないじゃないか。そんな幸せなやつに。


「俺の知ってるやつ?」
「いないってば」
「嘘だね、さっきの感じからしていんだろ?誰だ、大学のやつ?いやでもお前俺としか話してねェーよな?じゃあなに、一目惚れ?陰から見守ってる系?」


「なあなあ、誰?超気になんだけど」と楽しそうな坂田を見ていたら顔が緩んでしまった。


「……やっぱお前可愛いと思うぜ?」
「は?なに、急に。口説かれてるの?」
「さっきの。密かに人気あったもんなぁって」
「さっきの?」
「根暗だけどよく見たら可愛いってやつ」
「フォローしてくれてるの?坂田のくせに」
「はあ?違ェーわ!!」


はいはいお世辞でもありがとー。そう言った私の頭に手を乗せた坂田は髪の毛をグチャグチャに撫でた。


「は、なにしてんの」
「俺が褒めんのはあいつとお前だけなんだぞ、自信持てって」
「なにそれ、励まし?」
「だから違ェーって。なんなのお前、今日凄え面倒くせえんだけど」


私はいつだって面倒くさいよ。坂田が知らないだけで。高杉の前ではいつだって面倒くさい女なんだよ。坂田がなにも知らないだけで。
「そうかな?ならごめん」と坂田相手にはするすると言葉が出てきた。高杉にはなに一つ素直に言えないのに。


「……うん、やっぱ可愛いわ。あいつの方が何万倍可愛いけど」
「はいはいごちそうさま」


私も坂田くらい背中が広くなって、大人になれればいいのに。
きっと坂田が変わったのは外見だけじゃないのに。
剥げたネイルを睨んだ。私は中学の頃から何か変わったのだろうか。