大学に入学した当初の私は、孤独だった。実家を離れ一人暮らしを始めた事により会話相手を失った。今までも変わらず友達は居なかったけど、家族とは会話をしていたのだ。
今でこそ坂田と仲良くなり、話し相手もでき友達と言える存在も出来たが、入学当初は本当につまらない毎日だった。大学と家の往復、会話相手はコンビニの店員さん。「袋入りますか?」とかそんな内容。
朝は晴れていたのに昼過ぎ辺りから急に雨が降ってきた。傘を持ってきていなかった私は雨空を見上げながら濡れる覚悟をする。もういい、今日は濡れて帰ろう。急ぎもせず歩いていれば当たり前のようにびしょ濡れになった。出来ればどこにも寄らずに帰宅したかったが、今朝見た冷蔵庫の中身を思い出しいつもとは違うコンビニへ寄った。滅多に来ないコンビニだから、びしょ濡れでも抵抗がなかった。よく使うコンビニは少し躊躇われる。
安くなってるお弁当を手にしてレジへと向かう。バッグから財布を取り出していれば「風邪引くぞ」と愛想のない声がした。その声は懐かしくて、一瞬で脳内を半年ほど前の記憶が駆け巡る。


「たか、す、ぎ」


相変わらず冷たい目をしてると思った。接客業のはずなのに、見下ろすように客を見るのはどうかと思う。あ、そうか、びしょ濡れだからそんな風に見られてしまうのか。床も濡らしてしまったし仕事増やすなって思っているのかも知れない。あの時はもう一度会いたくて、高杉の受けそうな大学まで受けたのに。最近はすっかり忘れていた。


「おい、聞いてんのかよ」
「え?あっ、ごめん」
「だから390円」


不機嫌そうな顔。慌てて500円玉を出した。レジ操作をしている高杉。忘れていたはずなのに、思い出したその感情は以前よりも数段と熱を持っていた。初めてなのだ、初めて他人にこんなに興味を持ったのだ。


「なに、レシートいんの?」


お釣りを受け取ったのに動かない私を迷惑そうに見ながら高杉が言う。慌てて「いらない」と声を絞り出した。胸が煩い、顔が熱い。会いたかった、やっと会えた。高杉は私のことを覚えているだろうか?いやきっと覚えていないだろう。たった一度しか話したことがないのだから。風邪引くぞって言ったのだって私だから言ったんじゃないだろう。きっとそう思ったからそう口に出しただけだ。
よく接客業を選んだな、と振り返れば目が合ってしまった。慌てて目を反らす。私って相当気持ち悪くないだろうか。見知らぬ女に何度も見られたら気持ち悪いだろう。外はまだ強い雨が降っている。


「傘買わねえのかよ」


さあ帰ろうと思った矢先、真後ろから声がして体がビクッと反応した。高杉がビニール傘片手に立っているもんだから、私はまたジッと見てしまう。


「それ止めろ。高校ん時も思ったけど」


ほら、と渡されたビニール傘。650円の値札が付いたままだ。
買えってことなのだろうか?財布を取り出した私に高杉は「傘の一本くらい大丈夫だろ」と言った。


「多分、ダメだと思うんだけど」
「どうにかなんだろ」
「ならないと、思う」


払うよ、と言った私に「しつけェーわ」と傘を押し付けそのまま店の裏に入って行った。もう一人の店員さんの方を見れば笑顔を向けられる。


「あの、これ」
「あぁ大丈夫だよ。高杉くんがもうお金払ってあるから」


値札取る?と聞かれて首をブンブンと横に振った。お礼を言うべきなのに恥ずかしくて、そのまま逃げるように家に向かった。買ったお弁当に温めた痕跡は無かった。

それから何度かお礼を言おうとコンビニの前を通る度に高杉の姿を探したが、見つけられずそのまま二週間、一ヶ月と退屈な日々が過ぎていった。
夏が本格的にやって来た頃、私は坂田と仲良くなる。高校の頃委員会が同じだったこと、学部が同じことから徐々に会話をするようになり、ある日「そういえば彼女は元気?」と高校の頃よく坂田の隣にいた女について聞いてから本格的に距離が縮まった。毎日のように彼女の自慢話を聞かされ、惚気を聞かされ喧嘩した時は愚痴を聞かされ……そんなことを繰り返しているうちに坂田は生まれて初めて出来た異性の友達として私の中で大切な存在になった。というか同性の友達も今じゃいないようなもんだし、兎に角坂田は私の退屈な日々に色をつけてくれたのだ。


「悪ィ、アイツ予定なくなったらしい。ちょっくら行ってくるわ。ここ奢るからさ!まじごめん!」


ファミレスで暇をつぶしてた私と坂田。坂田から呼び出したくせに彼女からの電話一本で私はそのまま置いて行かれた。これももう慣れた。坂田の世界にはいつだって彼女がいるのだから。テーブルの上に置かれた千円札はくしゃりとしていた。くたびれた千円札が、その日なんだか妙に寂しさを募らせた。


「千円じゃ足りないっしょ」


一人呟きコップに残るレモンスカッシュを飲み干す。私も帰ろうと会計を済まし店を出たところで、なんの偶然か道の反対側に高杉を見つけた。気だるそうに歩くその姿に胸がいっぱいになる。また、だ。胸が苦しくなるのは3度目だった。高杉と同じ大学に落ちた時、コンビニで会った時、そして今。
気づけば走っていて、気づけば高杉の腕を掴んでいた。


「は、なに、」


驚いた高杉の顔。上がった息が苦しい。呼吸がうまく出来なくて苦しいのか、それとも高杉と会えて苦しいのか。いいや、どっちでも。


「傘、ありがとう」


少し考える素振りを見せた高杉は「一人で何してんだよ」と言った。


「さっきまで友達といたんだけど……」
「あぁ帰りか」
「まあそんなところ、かな。彼女に呼ばれたんだって」
「は?」
「え?なに?」


唇が少し動いた。なにか言葉を言ったはずなのに、声が小さすぎて、周りがうるさ過ぎて聞き取れない。


「ごめん、高杉、もう一回」
「彼女持ちなんて、大人しい顔してえげつねえな」


そう言った高杉は、口元が笑っているのに目は笑っていなかった。