時計の秒針が進む音がやけに大きく聞こえる。テレビ台の上に置かれた時計は小さいものなのに、ここまで無音だとそれすらも存在感を増すらしい。
結局、高杉の聞きたいことは聞けなかった。いつもなら抱かせろとか言って荒々しく抱くくせに、その日はそのまま何もせずに二人揃ってベッドへ入った。それがもう、終わりへの合図な気がして眠れなかった。
遅めの起床をして、大学に行こうか迷って、やめた。坂田に合わす顔がない。あんな不自然な帰り方をして、心配してるかもしれない。彼女はどう思ったんだろう。スマートフォンの電源を入れる勇気もなくて、もう一度布団を被る。


「まだ寝るのか」
「え、起きてたの?」


横を見れば高杉がスマホを弄っている。いつから起きてたんだろう。何もしないで一緒に寝たのは初めてだった。なんだか照れくさくなる。いつもは裸で、今日は服をきちんと着ていて、なにも恥ずかしいことなんてないのに。


「銀時が心配してんぞ」


そう言って見せられた画面には坂田から高杉に「苗字大丈夫か?生きてる?つか詳しく説明しろよ!なんなんだよお前ら!」と連絡が来ていた。


「あー……うん」
「連絡返してやれば」
「……今はいい」


ふうんとまたスマホを弄りだす高杉。ブーブーと枕伝いに振動が来た。


「来るって」
「なにが?」
「銀時」
「は、ちょ、え?」


ピンポーンとインターホンが鳴る。ガチャガチャと回されるドアノブ。高杉の方を見れば「着いたってよ」と画面を見せられる。


「私今は嫌だって言ったじゃん」
「知らねえよ、銀時に言えよ」
「だって、高杉も居るのに、なんで、」
「あぁ、そうだ俺お前に聞きてえことあったんだわ」
「はあ?今?そんなの後にしてよ、それより坂田がっ」


ああもう、とベッドから抜け出そうとすれば高杉がそれを阻止する。今から抱かせろと言われたら、今まで断ったことなんてないけど断る、絶対断ると意気込み「なに」と睨みを利かせた。


「お前、俺のこと好きだろ」
「今は無、え」
「だから俺のこと好きだろ」
「は、なに言って」


坂田のことが一気に頭から消えて、音も消えて、目の前の高杉だけが頭を支配する。血の気が引いていく。なんで、そんなこと。だから、昨日抱かなかったのか。ああそうか、情を持った女は面倒くさいのかな。
また嘘を吐いて、この関係を続けるか。頷いてこの関係を終えるか。こんなに急いで答えを出す事になると思わなかった。


「答えろよ」


高杉の声が、言葉が、目が、凶器に思える。手を汚さずにこの人は私を殺せる。本気でそう思う。


「おーい、苗字ー、高杉ー、いんだろ?開けろよ!入れろよー」


玄関で騒ぐ坂田の声にハッとした。頭がクラクラとして上手い嘘が思い浮かばない。


「違えならいい。銀時入れてやれよ、俺帰るから」


そう言って財布と煙草、それから鍵とスマホ。必要最低限のものだけをポケットにつめて高杉が玄関へ向かう。
いいの?このままで。そんな疑問が浮かんだ。
いいも悪いも、だってなんて言えばいいか分からない。


「もう他の男に慰めてもらえよ」


振り返った高杉が今までのどの時よりも情けなく見えて胸が締め付けられた。あ、この顔、知ってる。坂田がよく見せる顔だ。私はこの顔をずっとずっとー……。
待ってと言いたかったのに緊張して上手く言えなかった。その代わり後ろから思いっきり抱きついた。広い背中から煙草と香水、それから私がいつも使ってるボディーソープの匂い。


「……やめろ」
「うん、やめる。もうやめる」


だから最後に聞いて欲しい。今までずっと嘘ばかりだったけど、これから言うことを聞いて欲しい。都合のいい話だけど、多分高杉は嫌気をさしてもう二度と会ってくれなくなるんだろうけど。


「ずっと、好きだった。初めて会った屋上から、ずっと」


玄関で、言ってやった。ガチャガチャという喧しい音もいつの間にか止んでいて、高杉はなにも言わない、発しない。
これが答えか。これが現実か。
今からなんてね、と笑えばいいのだろうか。もう分からない。どう転んでもなるようにしかならない。
もう一度腕にギュッと力を込めてから、緩々と緩める。初恋は少し長めの思い出と引き換えに終わるらしい。


「ごめん引き止めた」


笑え。そう思っても視界が揺らぐ。いつだって終わりを覚悟していたつもりだったのに、いざ終わると思えば簡単に涙が溢れる。
泣き顔なんて見られたくないと腕で顔を隠した。早く帰って、鍵は約束通りポストに入れといて。ああでも荷物を持って帰ってからにしてね。


「お前、本当に馬鹿だろ」


見上げた高杉の顔は、こんな関係になる前のように怒ったような困ったような、難しい顔をしている。


「馬鹿って、今それ、」
「やっぱ抱かせろ」
「えぇ?今?」


そう言って私の腰に手を回して首元に顔を埋める。吸われて痕をつけられて「んんっ」と声が漏れた。


「バカスギ!てめぇ、俺忘れて発情してんじゃねえよ!聞こえてんだよ!いいから開けろよ!余計わけわかんなくなったわ!!」


ガチャガチャと回り出すドアノブ。
忘れてた、坂田のこと忘れてた。思い出して顔が熱くなる。恥ずかしくてそのままベッドへ逃げ込んだ。
ギシっと沈む。おいと高杉の声がめちゃくちゃ近くで聞こえた。


「無視してんなよ」
「だって、なんかいろいろ起こりすぎて訳分からなくなって、」
「なにが」
「今の状況全て」


ああもう、なんだろう。好きとか言っちゃったし、それに対してが抱かせろだし。いやでも、抱かせろってことはとりあえず終わりではないのだろうか?ああ、ああ、ああ。


「はぁ。面倒くせえな」


名前と呼ばれて驚いて布団から顔を出してしまった。高杉が涼しい顔して「とりあえず銀時どうにかしろよ」と言う。


「いま、私のなまっ、名前……」
「名前だろ」
「そうじゃなくてっ」


なんだよ煩えなという高杉はやはり涼しい顔をしている。初めて名前を呼ばれた。嬉しくて嬉しくて、苦しい。胸が痛い。もっと好きだと言いたくなる。でも言えなくてジッと高杉を見るしか出来なかった。


「あー無理、いまのはお前が悪い」
「えっ、ちょっと高杉っ」


キスだけさせろ、と唇を重ねられる。もう分からない、本当に分からない。けど、そのキスは今までしたことないほど優しくて愛おしかった。