名も知らぬ女から逃げて逃げて、何月かが経ったある日、家へ帰ろうと駅前を歩いていれば後ろから思いっきり腕を引っ張られた。誰だよと苛立ちながら振り返れば会いたくなかったあの女が、あの目で俺の腕を掴んでいた。走ってきたのだろう、上がっている息とその目に欲情しそうになる。


「傘、ありがとう」


それだけ?それだけの為に追っかけてきたのかよ、暇だなお前。そんなことを言ってやりたくなったが、その目を真っ直ぐ見れなくてやめた。なんなんだよお前、もう構うなよ。そんな風に思うのに、体が熱く火照る。細っこい体はどれくらい力を込めたら折れるのだろう。簡単にボキッと折れてしまいそうだと思う。


「一人で何してんだよ」


口にしてから、聞いたところで俺はどうしたいんだと焦った。そんなの聞くつもりなかったのに。ああもう面倒くせえ、この女凄え面倒くせえ。えっと、と口籠りながら答える仕草にすら理性が遠退く。盛りのついた猿でもねえし、性欲が強いわけでもねえ。女に困ってるわけでもねえし、この女がタイプだとかいい女だとかそんなんでもねえ。自分でもよく分からなかった、よく分からないけど俺のことを好きだと隠すつもりがあるのかないのか、熱の籠った計算も何もない目が腹立つほど癪で、なのにどうにも止まらなくなる。


「彼女に呼ばれたんだって」


適当に話を聞いていた俺は耳を疑った。そう言った女は困ったように笑っている。
なんだよそれ、俺をあんな目で見といてそりゃねえだろ。なんだこれ。じゃあ俺が勝手に舞い上がって……
馬鹿みてえじゃねえか。こんな、純そうな面してヒシヒシと俺を好きだと伝えといて。ふざけんな、そう呟いてみたが聞こえなかったらしい。女が「もう一回」と聞き直す。ああもうだめだ、この女めちゃくちゃにしてやりたい。めちゃくちゃにして、傷つけてやりたい。
今まで味わったことのない喪失感が体を侵食していく。
ヒタヒタと巡る血液が黒くなっていく気がした。あんな目で見といて、そりゃねえだろうと思えば思うほど笑えてくる。


「大人しい顔してえげつねえな」


口元が上がっていく。馬鹿みてえだわ本当に。
間抜けな面して不思議そうに俺を見てくる目が憎い。その目で他の男も見てたのかよ、笑える。


「家どこだ?送ってく」
「あ、え?いいの?」
「構わねえよ。帰るんだろ?」


早くしろよと急かせば、女はありがとうと笑った。何笑ってんだこの女。
こっちだよと歩き出した女に続いて歩き出す。この女の泣き顔を見れば少しは何か変わるんじゃないかと思った。家まで送り届けながら、どうしてやろうかと考えていれば「お茶でも飲んで行って」と無邪気に笑う。どこまでこの女は俺の感情をバラバラにしたいのだろうか。ああもうよく分からねえ、頭が痛い。
部屋はあまり女らしくなく殺風景だった。ピンクのものがない、黒ばかりが目につくそんな部屋。窓際に置かれたベッドに目がいって、余計に頭痛が酷くなりそうだ。


「あ、コーヒーもあるけどどっちがいい?」


冷蔵庫を開けしゃがむ女のうなじが白く赤色がよく映えるんだろうとか、細い手首は少し強く握れば赤く痕を残すだろうとか。
もういいや、こんな女。泣いて喚いて傷つけばいい。
定まらない思考が俺を食い尽くす。


「え……なに?」
「人のもんに手を出すなんざ、最低だってことだろ」
「どういう、」
「大して仲良くもねえ男、家に入れんのもどうかと思うぜ」
「高杉?」


怯えた顔をしてる女をベッドに投げて、股がる。両手を頭上で押さえて、首筋に舌を這わせた。高杉、と呼ぶ声が段々上ずり下半身が硬く熱を集める。その声もあの目も何もかも気に食わねえ。もう考えたくもなかった、面倒くさかった。これで終わり、これで今までこの女がチラついてた日々も終わりだと前戯も早々に自身を無理矢理突っ込んでから、我に返った。


「痛い、無理ッ、痛い」


まだ少ししか突っ込んでないのに、痛い痛いと女が下で泣く。必死に掴まれている枕が白くて目眩がしそうだった。


「お前……初めて、かよ」


めちゃくちゃに泣かしてやりたいと思ってたのに、いざ泣き顔を見ても全然腑に落ちない。寧ろその涙に手を当てていた。自分でもなにをどうしたいのか分からない。


「痛い……」


漏らされた言葉を飲み込むように、キスをした。悪かったなんて言ってやらない、初めてだと分かってこんなにも興奮するなんて。


「力抜け、その方が楽になる」


握りしめていた手を解き、指を絡ませる。ゆっくりキスをして、先ほどとは違い少しづつ奥へゆっくり解すように進む。
うっ、と声を漏らしながら必死に舌を絡ませる女にもどかしく胸が締め付けられる。苦しい。歪んだ顔が綺麗だと思った。
俺が果てるその時まで、女はずっと苦しく痛そうだった。そのはずなのに、果てる瞬間あの目で俺を見た。


「たかす、ぎッ」


握りしめられた指に少し女の爪が食い込む。
ドクドクと欲を吐き出しながらその目をえぐり出してやりてえと思った。