坂田と彼女の話を聞くのが好きで、嫌いだった。隣で嬉しそうに彼女との惚気を聞かせる坂田が羨ましくてその幸せを聞いてるだけで、私まで幸せな気分になった。その一方でこんなに愛されてる彼女が羨ましくて妬ましかった。
どうして坂田はこんなにも彼女一筋なのだろう、いいな、仲睦まじくて。そう思うのは本心なのに、いつだって私の中にいる高杉がちらついて私を黒く暗い方へ引きずり落としていく。
今もそうだ、昨日彼女がーとデレデレ鼻の下伸ばしきって嬉しそうに話す坂田へ言葉に言い表せないドロドログチャグチャした感情が湧き出る。


「って、体調悪いの?お前。すげェー顔してんぞ」


閉じた拳がギリギリと痛かった。慌てて笑顔を作ってみたけどそんなのもう、手遅れだ。坂田の顔が曇る、心配そうに私を覗き込んで「大丈夫か?」と頭に手を乗せた。
何度も何度も考えたことがある。坂田の優しさを独り占め出来たらいいのにと。何度も何度も考えて、その度に同じ結論に達する。欲しいのは坂田の優しさじゃない、行き着きたいのは坂田の隣じゃない。


「大丈夫、ちょっと考え事してただけ」


今までの私なら絶対に手を払い除けたりなんてしなかったが「ありがとう」と笑って、坂田の手から離れた。坂田の優しさをもっと、もっとと欲しくなる。しかしそれを求めたところで虚しさが募って、喉が乾くように高杉を欲してしまうことに気づいた。


「考え事?」
「うん、考え事」


払い除けた手を少し眺めて坂田が歩き出す。私も続いて歩みだした。きっと、優しくて勘のいい坂田のことだから言わなくても私が手を払い除けたことが、拒絶じゃないことは分かってくれているだろう。いつまでもこのままじゃダメなんだと、もうずっと前から思っていた気がする。その事実から目を反らして、耳を塞いでいた。


「なんのって聞いても、答えねェーんだろーな、お前は」
「大したことじゃないよ」


恋愛をしたことがない私は、坂田と彼女の関係に憧れを抱き普通はあんな風に愛し合っていくものなんだと、ずっと望んで望んでもがいていた気がする。理想と現実の違いが大きすぎて、その分満たされないものが余計に苦しかった。苦しいだけならまだ良かったのに、それが妬みに変わり憎悪になってしまう。そして話したこともない坂田の彼女を嫌な女として脳がインプットして、高杉のことも最低だ最低だと繰り返し罵りたくなる。


「大したことねえって、ダチがなんかに悩んでたら話くらい聞いてやりたくなるでしょうが」
「本当に大したことないんだって。坂田が気にするほどのことじゃないんだって」


そう笑った私が気に食わなかったらしい。坂田が少し不機嫌そうに振り返った。


「ずっと突っ込もうか悩んでたんだけどさ、ソレ大丈夫なんだよな?」


ソレと言われるものがなにか、気づくのに少しだけ間が空いた。私を指差した坂田が、自身の首元を指差す。二度、トントンと坂田が示した場所は背中寄りの首筋だった。
意味が分かって、心臓が縮こまる。冷えて冷えて、寒くなる。髪の毛で見えないと思っていた。一瞬の快楽の為につけられた痕は、一体いつから私に存在していただろうか。


「大丈夫って、どういう意味?」


少し震えた声。坂田に知られたくなかった。幸せそうな坂田に私のことは何も知られたくなかった。逃げ出したいと一歩後ろに引いてしまった。それがマズかった。坂田が私の腕を掴む、それはもう真剣な目をして。


「なんで、怖い顔してる……」
「逃げんだろうなーって、聞く前からわかってた」


掴まれたところが圧迫されて、脈を打つのがよく分かる。ああもう最悪だ。


「付き合ってる相手か?」


坂田の顔も声も、好奇心から聞いているわけじゃないと分かった。だからこそ、はぐらかすのを躊躇ってしまう。まさか、見えてるなんて。どうしよう、この場をどうやって切り抜けよう。グルグルとその場しのぎの言い訳が頭の中をループする。しかしどれもこれも突っ込みどころ満点で、苦しさしか残らないだろうと簡単に予測できた。


「あ、の」


高杉には息をするように嘘を吐けるのに、坂田相手だとパクパクと間抜けな顔を晒しめて口を動かすしか出来ない。それは高杉の前では私じゃない他の誰かに成りきっているつもりだからだろう。


「その付け方は普通じゃねえぞ。ロクでもねえ男に引っかかってんのか?」


ロクでもない、かも知れない。好きでもない女を抱けちゃうような男だ。多分最初は好奇心だったのだろう。どうしてこうなったんだっけ、と思い出す。高杉と再会して、それで……。
ああそうだ、これは私の望んだことか。


「大丈夫だよ、私がそうしたいんだから」
「苗字、何かあった時リスクを持つのは女の方だぞ」
「……坂田ってさ、本当にいい奴だよね」


はあ?と顔を歪める坂田はお世辞じゃなく、本当にいい奴だと思う。話してる内容は別に面白いことなくて、笑えることなんてなかったけど坂田が真剣な目をして見てくるからふふっと笑みが溢れてしまった。


「は?なに、なんで笑ってんの」
「んー?別にー?」
「あのなぁ、ふざけてんのか?俺は真面目にっ、」


掴まれた肩が痛いと思った。その真剣な目が痛いと思った。分かってる、私がやってることは正しくないことくらい、どんなに恋愛経験がないと言ったって分かってる。


「でも好きなんだよ」


消え入りそうな声は坂田に届いたらしい。頭に乗せられた手が暖かくて、泣きたくなった。あーあもう、勘のいい坂田のことだ、きっと大体のことは把握しただろう。