「……今までになく、禍々しいこの気は。」

邸に戻って来たは良いが人の気配が全くしない上に館を覆う空気の重さに眉を寄せた。今までとて、普通ではないほどには重かったがこれは常軌を逸している。いうならば、得体の知れぬ不気味さか…

「なんか、来てるな。」

畳を擦る音に振り返ると和仁がそこには居た。どうやら、件の五芒星を用いて御所から来たらしい。

「何故、来たのです…和仁さま」

ここに御上が来てるなどと信玄に露見したらどうなることやら。最も天上人(てんじょうじん)である彼の姿を知る大名などいないのだから、無用な心配ではあるのだが。彼にもしものことがあったら、と考えるだけで身が縮む思いである。だからこそ、普段から危害が加わらない安全な場所に居て貰うのに、

この世界には和仁様を守る彼らが居ない。

そういう意味では、目の届く範囲に居て貰える方が私にとっては良いのかもしれない。今の和仁様は今までになく神の加護をその身に受けているのだから、そのような心配もあまり必要ないと言えるだろう。

「なんか嫌な予感がしてな、騒ぐんだ…この神剣が。」

和仁の手にあったのは、すらりとした邪魔にならない程度に装飾がされた太刀だ。銘は分からないが、私達が居た世界にも存在していたその刀はこの世界にも存在していた。久脩さんの見立てでは、刀そのものに神の力が宿っており邪気を祓う力を持っているそうだ。

「…そうですか、ならばそうなのでしょう。」

邪気が最も濃く出ているのは不動堂からのようだ。向かうと、無理矢理こじ開けられたかのように空間に穴が開いていた。

「結界を張り、この禍を封じようとしたのでしょうか…?」

毒々しい空気が漏れ出しているのだ。これは邪気という言葉に収まるものではない。瘴気、いや、人々に災厄をもたらす禍の源とでも喩えようか。

「こじ開けられてるとこを見ると、先に烙印の娘並びに痣を持つ武将らが入ったようだな。行くぞ、三夜。」

「…はい。」

踏み入れた、不動堂は漆黒の闇と瘴気が纏わりつくように続いている…本来の不動堂ではなく次元が歪められているようだった。進む道が分からぬ中、和仁はさも最初から決まっているかのようにずんずんと歩みを進める。和仁が持つ神剣によって瘴気は姿を一時は消すが、またすぐに増殖して行ききりがない。すると、一陣の風と共に黄金の矢が降り注いだ。と、同時に今まで纏わりついていた瘴気が消え金色の光が降ってきた。

「…なんだ、これは。」

それは、あまりに一瞬の出来事だった。思わず和仁が歩みを止めた。

「すべての瘴気が破魔の矢によって浄化された、といったところでしょうか。最もこれ程の瘴気を祓うとなると人間のなせる技ではないのが気がかりですが。」

陰陽道に通じるものならば、瘴気を浄化させることは誰でも出来る。しかし、これほど悪意の篭った瘴気を浄化するとなると話は別だ。それこそ、神の力を借りないと出来ない芸当である。

「神託を聴き、天の神を降ろした覡に待ち受ける運命は……消滅。己の存在自体も。為してきたことも。関わってきた者の記憶からも、生きてきた全ての因果が消え失せる、ただの無だ。そんな神の力になんの意味がある!」

そう考えていた矢先に叫び声に似た言葉が聞こえてきた。放たれた内容からして、宛てたのは先ほどの破魔の矢を放った者に対してだろう。つまり、神の力を使った代償は使った人間の存在の消滅ということか。

「…目的の場所は、近いな。」

だんだんと話し声が近くなってきた。

「そう…狂気へ導く円環には、僅かな『ずれ』が存在した。歪んだ神の、完全なる狂気。晴信のあとをピタリと追うはずの信玄の狂気は、僅かに差異を持った。」

聞こえてきたこの声は兼続殿のものだった。彼とは幾度か会ったことがある。爽やかな好青年ではあるが、腹に一物抱えた食わせ者。

きっと、彼がいう『ずれ』に私達は含まれているのだろう。

和仁さまが足を止め、曲がり角の陰から様子を伺う。そこには消えた黒蝶の娘と武将達の姿があった。

「不動明王の御霊ごと、私を滅するか。愛染明王の覡よ。」

不動明王の御霊を宿しているのが、この瘴気の原因の人物であり、先ほどの悲痛にも似た叫び声を上げた主か…その容姿は武田信玄と瓜二つである。女房達が感じた違和感というのは、彼のことだったのだろうか。そう考えると、靄が掛かっていた記憶が鮮明になった。確か彼女らは晴信様が…と言っていたはずだ。つまり、彼が武田晴信。

「……ええ。」

そして、返事をした所を見ると愛染明王の覡が直江兼続なのだろう。つまり、兼続殿は全てを終わらせたらその存在そのものが消滅するということ…それはあまりにも哀しすぎる。愛を掲げる彼らしいといえば、それまでかもしれないが、それでも…良き茶飲み友達である彼の存在を喪うのは惜しい。

兼続殿は光の矢を番え、真っ直ぐと武田晴信へと狙いを定める。

「貴方を引き剥がし、不動明王の御霊を返して貰うつもりでしたがここまでの怨霊と化した今では、私の力を以ってしても分離出来ない。神の光で貴方ごと焼き尽くした後、永き時は掛かるでしょうが…不動明王の御霊は聖なる焔より復活する。」

気が付いた時にはすっ、と和仁様は行動に移していた。

「…ならば、俺たちが不動明王の御霊を分離させよう。」

太刀を武田晴信に向けそう言い放った。慌てて、後ろから追いかけると、和仁様は此方を向き「三夜なら可能だろう?」と言った。堂々と言い放っておいて、無計画だったのか…と相も変わらぬ様子に嘆息すると同時に小さく頷いた。もちろん、武将達は新たに現れた第三者に対し敵意が剥き出しである。織田信長が鋭い声で「誰だ!」と問う。仕方なしに、彼の前へ出てその視線を遮った。最も、今の私の背丈では和仁様の腰あたりしかないのだからその視線を防げたとは言い難い。

「…三夜ちゃん?」

そう呟きを漏らしたのは烙印の娘である優殿だった。驚きに目を見開いている彼女は今までの色めかしさは感じない。彼女の胸元に見える烙印の華が咲いたことにあるのか。

「何故、三夜が此処に…いや、そうだ…なぜ今まで気付かなかったのだろう!彼女が廻る世界で姿を現したのは今回が初めてだということに。」

それは存在感が極めて薄くなっていたことが関係しているのだろう。

「…今更じゃないですか、兄上。」

その様子に一番驚いているのは、兼続殿のようだった。目をまん丸にしている。彼の手で全てを終わらせるつもりだったのだろうから、その反応は至極当然なのかもしれないが。兼続に微笑みかけ、その手に今まで枷としてつけていた髪紐を解き、手首に結び付け言った。

「その大役、私が引き受けましょう。」



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