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夜な夜な京の都を徘徊するのは毎晩のことである。最近は昔に比べたら夜でも灯りがついている家が多くなったように感じる。と言っても、今も灯りの油は貴重なためこの時間までついてるのは相当な金持ちの庄屋か、藩邸だったりするのだが。
「……相変わらず、この時期は寒い。」
夜に都を徘徊するのは、無論見回りのためである。昔に比べ、妖の個体数は減ったが人間に悪さをしようとするモノは依然いる。最も、最近は人間による辻斬りや天誅、粛清といったもののが横行しているように感じるが。三夜も下手人として疑われそうになったことがあるため、昔のように狐面をし、闇夜に紛れやすいようにその身に黒の狩衣を纏っている。
はぁ…と息を吐けば白く雲散した。如月は寒さが強い…そう思っていると、不意にあの気配がした。近くに羅刹が居るのだろうか。足音を潜め気配がした小路の様子を伺うと、刀を構え羅刹と対峙する女性の姿が目に入った。そして、私はその女性に見覚えがある。
羅刹が均衡を破り、彼女に襲いかかろうとした時に小路に躍り出、刀印を結び退魔の真言を唱える。
「オンアビラウンキャン、シャラクタン」
一瞬怯むが直接的外傷には至らなかったようだ。
「オン、デイバヤキシャ、バンダバンダ、カカカカ、ソワカ」
続けて縛魔の真言を唱える。
「今です、梢さん!」
はい、という言葉と共に彼女は見事に羅刹の急所を貫いた。剣術小町である彼女が何故夜分出歩いているのか、ということや彼女に留めを刺させてしまって良いのかと頭を過ぎったが彼女と羅刹の距離を考えると悩む暇などなかった。
「ありがとうございます、三夜さん。」
羅刹を倒した彼女はくるり、とこちらに向き直り礼をした。そして彼女は少し驚いたようだった。思わずその様子に苦笑いする。そうだった、今は面をしているのだった。面を正面から後ろへとずらした。
「この様な姿で申し訳ありません。ところで、梢さんは何故このような刻限に歩いていらっしゃったのですか?」
「…旅籠の丹虎に用事があったのですが羅刹に遭遇してしまいまして。」
先ほどの的確な仕留め方を見ていれば、彼女が羅刹の存在を知っていることは明白だったが改めて言われると、その言葉は重く感じる。剣術小町であるはずの彼女が何故知っているのか。
「では、私が丹虎までお送りしましょう。女子がこのような夜分に一人で出歩いてはいけませんよ。」
困ったように笑った彼女が、三夜さんも女性なのにと零したことには苦笑しか出来ない。もはや、私にとっては習慣と言っても過言ではないのだから。
「ところで、三夜さんは羅刹のことをご存知なのですか?」
「えぇ、当主から言い含められました。」
「では!新選組の羅刹や兄様のことについて何かご存知ありませんか!?」
彼女のあまりの剣幕に驚いた。
先ほどの羅刹は羽織を着てはいなかったが、羅刹は新選組によって作り出されているのか…?
「申し訳ありませんが、存じ上げません。梢さん、何があったのですか?」
彼女と知り合ったのは、もう数年前になるのだが紫樹経由である。紫樹は時々町の道場に稽古を受けに行っていたのだが、それが彼女の兄である霧島聡介が道場主の正禄館であった。そこで聡介と紫樹が意気投合し、年齢が近いという理由から梢さんと知り合いになったのだ。私が江戸に行った期間は半年ほどだが、筆不精な私がこまめに文を出すことはなく数回ほど彼女に文を送っただけだ。その時には何かが起こったような報せはなかったのだが…
「実は三月ほど前の晩に兄様と共に歩いていた所を新選組の羽織を着た羅刹に襲われたんです。兄様は私を逃した後から行方知れずで……」
彼女は拳を握り、そう言った。その儚い姿に思わず心をうたれる。
居ても立ってもいられず、前を歩きながら話してくれた彼女を後ろから手を繋いだ。
「辛い時は泣いても、良いんです。聡介さんの行方に関しては私も共に探しましょう。紫樹には言いましたか?」
その言葉に梢さんは頭(かぶり)を振った。
紫樹には相談し辛かったのだろうか。
「…ありがとうございます。兄様が居なくなったのを知っているのは兄様と交友が長州の方々のみです。」
長州という言葉に思わずはっ、とした。丹虎という旅籠は確か長州志士がよく居るのではなかったか…知人である梢さんだからこの黒い狩衣に大してもさして苦言を呈さないのであって、この姿を見せるのはまずいとしか言いようがない。
「…丹虎にも、長州の方々に会いに?」
「はい、そうなんです。」
そうこうしている間に旅籠の前に到着してしまった。
「梢さん、私はこれにて失礼します。聡介さんのことが何か分かりましたら正禄館の方にお知らせしますね。」
さっさとその場を後にしようと踵を返したら後ろから狩衣の袖を掴まれた。
「あの、三夜さんも丹虎に泊まっていきませんか…?」
「…いえ、ご迷惑になりますし…」
まだ都を回りたかったから遠慮したいと思っている間に、丹虎の戸が音を立て開いた。
「……霧島くん?」
「桂さん!」
面長の麗人が長い髪を揺らしながら、丹虎が出てきた。灯りに照らされた髪色は若草、だろうか。一度目にしたら印象に残る容姿である。梢さんが名を呼んだが、まさか長州の桂小五郎…?
「外で霧島くんの声がすると店の者から言われまして……其方の方は、」
「友人の三夜さんです、羅刹に遭遇したところを助けて頂いたのです。」
彼女の言葉に合わせ、軽く会釈をした。
「そうでしたか…なかなか貴女が来ないので皆、気を揉んで居たのです。」
心底、心配したといった表情をした彼に苦笑いをした。そこまで心配するぐらいなら、最初から迎えを彼女のために寄越せば良かったのに、と。それとも、そう出来ぬわけでもあったのか…詮索したところで私に得があるわけでもないので考えを放棄するまでの間に、どうやら話は進んでいたようで。
「…それで、もし良ければ三夜さんも一緒に…」
「霧島くんが信頼に値する人というのならば構いませんが…」
そこで言葉を切った桂小五郎は此方へと視線を向けた。その視線に困ったように眉を寄せるしかなかった。
「大変嬉しいお言葉ですが、明日がありますゆえ遠慮させて頂きます。ああ…そうだ。梢さん、これを。」
明日も和仁様の元に行かねばならないから、泊まりというのは最初から無理だった。彼女のことが気がかりだったので、懐から一つの匂い袋を差し出した。この匂い袋には魔除けのために白檀や沈香の香を調合してるほかに護符が一緒に入っている。私が江戸に共に持っていったもののため、霊力も多少うつっており普通の守りよりも効果が強い。
「匂い袋、ですか…?」
「えぇ…お守りにどうぞ。では、私はこれにて失礼致します。」