鏡の向こうに見えるもの






私が土御門邸に来てから既に幾月か経ち季節は冬を迎えようとしていた。

土御門邸に住む代わりに私に課された条件は家事全般をやることだった。

ということで、今も朝餉を作っているところだ。

「久脩さん、出来ましたよ。」

「…分かりました。」

片手に書物を持ったままの久脩さんが現れた。

その様子からして既に彼が真面目で勤勉な青年だということが伺える。

「今日も美味しそうですね。」

書物をぱたん、と閉じ席につく。

料理は“私”になってからはやったことがなかったが、やはり身体が覚えていたため作るにあたってさして問題は無かった。

彼は私が目を覚ました次の日からちゃんと出仕している。

久脩さんが出仕している間は私はこの屋敷から出歩いても良いことになっている。

彼の気遣いには本当に感謝してもしきれない。

「今日はどちらの方に行こうと思っていらっしゃるんですか?」

「今日は上賀茂神社の方に足を伸ばそうと思っています。」

香の物に手を伸ばしながら言った。

平安時代には強固だったこの都の結界も今では歪みや綻びが出始めている。

多分、それは結界を直せるほどの技量と霊力を持った人間が今はいないからだと思われる。

久脩さんも一人、補修をしていたらしいがとても一人の手に負えるものではない。

それならば、と私が代わりにやると言ったのが事の始まりだ。

御上の住む京の都の結界が弱まるなど本来はあってはならぬことなのだから。

「そうですか、くれぐれも気をつけてくださいね。」

今の世の中は物騒ですから、と彼は言葉を続けた。

確かに今、この国は時代の節目に立たされている。

各地の守護大名が天下統一へと乗り出している世。

それは、とても不安定で…争いが絶えない。

この間も、遠江の三方ヶ原で武田信玄対徳川家康の戦があったらしい。

結果は徳川家康の惨敗。

それに最近、天下布武を掲げる織田は京の都に居た一般の陰陽師を全て都から追い出した。

その陰陽師らを纏める土御門家も正直立場が危ういのが実情だ。

織田は陰陽師や妖と言った一般の人間には分からないに不確かなものが嫌いらしい。

不穏分子に成る可能性のあるもの削除―――、それが織田のやり方だ。

朝廷に仕えているため手が出しずらい、というおかげで今回は免れたが。

次もそうなるとは限らない。

「そうえば、久脩さんは式神を使わないんですか?」

式神とは陰陽師が使う式のことである。

私でいうならば、十二神将の六合や四神である白虎のことを指す。

妖でも全てが人間に害をなすもの、というわけではない。

力の強い妖を下すことが出来れば、なお陰陽師への負担が減る。

故に妖を式として持つ陰陽師もいる。

「一応いますよ。ただ、私は式神を使うより占術の方が性分に合うので…」

彼は困ったようにそう言った。

妖とは桁違いの力を持つのが神の末端に名を連ねる十二神将である彼らだ。

十二神将は人間の望みを具現化した存在だ。

それだけに力は増大なのだが、式に下すための労力も通常の比ではない。

私の父である安倍晴明は、その全ての十二神将を式に下した。

それが稀代の大陰陽師と父が呼ばれる由縁だ。

普段、四神と威張っている白虎も十二神将の一人である。

私も十二神将を己の式に下したが、全ての神将を下せた訳ではない。

神将を己の式に下すには、何故彼らを下したいのか…を誠意と共に示さなければならない。

十二神将は人間には過ぎた力だからだ。

「三夜には式がいるのですか?」

「白虎と六合…その他に数名います。」

「…凄いですね。」

久脩さんは感嘆の声を上げた。

「十二神将は安倍晴明の孫である安倍昌浩が式に下たのを最後に自分の式神に下せた人間は土御門家にはいません。」

安倍昌浩は兄、吉昌の三男…つまり私の甥に当たる。

彼はとても陰陽術に関して才能のある人物だった。

きっと彼が父の後を継いだのだろう。

「……そうなんですか。」

「さてと、そろそろ私は出仕しますね。」

「はい、いってらっしゃいませ。」

少し長話をしてしまったせいか、普段より久脩さんの出仕する時間が遅れてしまった。

「……行ってきます。」

朝廷に仕える貴族は身分によっては牛車を使うことが出来た。

今がどうかは知らないが。

ただ、牛車を使うには多額なお金がかかるため使うことが許可されていても貴族でも下の方に位置していた安倍家は滅多に使わなかった。

「さてと、私も出掛けましょうか…。」

一通りの仕事を終えた三夜は留守番を六合に任せ京の街に出た。

上賀茂神社は、下鴨神社と共に葵祭が行われる地だ。

葵の花を飾った平安の装束での行列が有名だが、五穀豊穣を祈願したのが葵祭の起源だ。

所々、解れていた結界に手をあて己の霊力を混ぜ紡ぎ直す。

『相変わらず修復作業は上手いんだな…。』

背後でそんな呟きが聞こえた。

「これぐらいの修復なら、さほど霊力をつぎ込む必要はありませんから、均一に直すことは簡単です。ただ…」

もっと大きな綻びがあると、直すのが大変なんですけどね。と言葉を続けた。

三夜は一通り修復が終えると足を下鴨神社に伸ばしたのだった。


prev back next

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -