導きは夜の調べ



後日、私はアランさんの友人である彼と会うことは結局なかった。なぜなら、私が有給を消化することにしたからである。もちろん、アランさんに新品のハンカチは渡しておいたので問題ない。要するに逃げた。



コン、と異質な空間に駒の音が響く。まるでその空間だけが時が切り取られたような、ゆったりとした流れの中に存在していた。

「やはり君とやるプロスフェアーは一癖も二癖もあるね。」
「お褒め頂き光栄です、伊達に長生きしてませんので。」

プロスフェアーとは異世界発祥のチェスをベースにしたボードゲームである。目の前に居るのは異世界の権力者であり、プロスフェアー愛好家としても名を馳せるドン・アルルエル・エルカ・フルグルシュだ。

「君は無欲だからね、君の脳を得る機会がないのが残念だよ。」
「生憎、長生きするほど欲というものは減るものですから。」

この男とプロスフェアーをして彼が出した時間内持ちこたえれば望みを叶えて貰える。失敗すれば吸収され、彼の中で永遠にプロスフェアーをさせられる、という仕組みである。いわゆる等価交換であるのだが、その代償はあまりにも大きい。最も、私が彼と打つ場合は何かを掛けてやるわけではないから当てはまらない。こちらとて、伊達に二千年以上に及ぶ時を生きているわけではない。チェスに関しては飽きるほど打ったのだ。といっても、一度も枢には勝てなかったのではあるが。

「ふむ、今回も拮抗して決着が付かなかったか。」

テーブル周辺にプロスフェアーの盤が展開されている。駒を指先でくるくると回しながら彼の方を見ると、珍しく何処か満足気である。いつもは拮抗したあと、ポーカーフェースを装おっているが何処か苛立っているのだ。不思議そうに見る私に対して、彼は口角を上げた。

「今日はこの対局のあとにもう一局あるんだ。なかなか楽しませてくれる手を打ってくる人間でね、」

その言葉に目を見開く。人間で彼と対局して生き残っているものが居るのか、と。

「さぁ、おかえり。」

そういい、この特殊な空間の制約が解かれた。コツン、とヒールの音を鳴らしながら着地をすると息を呑む音がした。

「貴女は…」

驚き、前を見れば先日私を助けてくれたクラウスさんがそこに居たのだ。その隣には包帯を何重にも巻いた執事のような出で立ちの老人が控えていた。

「このような場所でお会いするとは思いませんでした、ミス。」
「その言葉をそのままお返ししますわ。」

社交辞令で手を差し出されたので、挨拶を返す。その手は男性特有の大きさだった。

「君たちは知り合いだったのか。なかなか愉快だね。」

そういう男に対し、殺気を込めた視線を牽制の意味を込めて投げる。彼らが何者かは知らないが、人外に対抗しうる力を持つ人間だということはこの間の件で理解している。だが、一方でとても紳士的な面を持っているようだ。

「ドン・アルルエル、ミスとは一体どのような関係で…?」
「サク君は私の良き友人だよ。」

良き友人、ね。喜んで良いものか複雑なものだ。その場を後にしようと背を向けた私に対し、男は一言いった。

「そうだ、朔君。EがHLで好き勝手やってるようなのを知ってるかね?」

その言葉に足を止める。”E?”とクラウスさんが言葉を問い返した。EとはLevel:ENDのことだ。純血の吸血鬼に血を吸われたことによって吸血鬼化した元人間の行き着く先。自我を無くした存在で吸血鬼の階級からは外れ、理性がないために人間を無差別に襲う。私がHLに来た段階では他の純血の吸血鬼は居なかったし、その存在も感じない。ということは、レベルEが外から此処に紛れこんだ可能性がある。

「……私が対処しましょう。それで文句はありませんか?」

満足気に笑う男に対し、眉を寄せた。レベルEはハンターや貴族階級の吸血鬼から命を狙われている存在だ。しかし、そのどちらも此処にはまだいない。ならば、対処出来るものがするしかない。何か言いたそうに男とこちらを見ているクラウスさんには申し訳ないが、私が言えることは何もない。
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