枯葉が羨んだこの世界
そもそも日本に魔法使いといった言葉は存在していなかった。最も近いというならば呪術師だろうか。うちの家系は代々呪(まじな)いを生業とする一族だった。異変が起こったのは七五三の時だっただろうか。私が七五三用の撮影でドレスを着せられた時に苦しくて癇癪を起こした時に周りの物が一斉に飛んだのだ。幸い、家系が家系だったために先祖返りなのではないかと口々に親類達は言った。実際に先祖返りなのか、突然変異によるものなのか未だに私は分からないが。そんなこんなで齢十一の時、極東ともいえるこの日本に英国の魔法学校であるホグワーツ魔法魔術学校からの入学案内が来たのだった。もちろん、親族一同は反対した。何しろ、世の中は戦争の真っ最中だ。当主である祖父だけは賛成してくれた。そのおかげで私は今この学校に通っている。世の中を鑑みると大分危うい状況な訳だが。
私にホグワーツから手紙が来た日は後に「盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)」と呼ばれる事件が起こった1年後。日本はそれをきっかけに日中戦争に突入。うちの家系は前述した通り術師、しかも国の省庁に属していたため被害…いや、損失を被ることはなかった。術師というのは確かに生業ではあるが所謂裏稼業というやつだ。なので、表向きは代々天皇家に仕える一族である。それゆえに一族で徴兵されたものはいなかったが、これは時間の問題かもしれない。祖父としては混乱の道に進むこの国から私を遠ざけたかったのだろう。そんなことがあった為、私はイギリスに向かうにあたって副校長であり、変身術の教授でもあるダンブルドア教授がわざわざ日本まで私を迎えに来てくれたのだ。
まぁ、とりあえずそんなことがあったので新学期早々の私は大分目立っていたわけだ。なんせ、副校長に連れ添われホグワーツに来た上に純血主義が多いスリザリン寮へと組分けされた東洋人だったわけだから。イギリスでは東洋人は珍しいのだ。ましてや日本は私以外いない。組分け帽子にすら日本人初だと言われてしまう始末だったのだから。不幸中の幸いと言えるのは私達日本人が、周りに合わせることがお家芸といっていいほど得意だったことだろうか。おかげで波立つことなく周りに溶け込めたと私は思っている。
今から思うと祖父は日本に居たとしてもまともな教育を受けれなかったことを見越していたのではないか。戦時中というのはそういうものなのだ。ならば、異国で学ばせた方が良いと。祖父はそう考えたのではないだろうか。最も祖父はもう亡くなってしまった為、私に確認する術はないのだが私は祖父には感謝している。この学校に通わせてくれたことを。呪術師というのは周りから異端者扱いされることが多い。うちの家系以外にも呪術師はいるぶん、幾分風当たりはマシだがその中で魔法が使えるなんていうのは……言うまでもない。人間というのは異物を排除したがる生き物だから、異物ということを気取られないように生き抜く必要性があるのだ。だからこそ、潜在能力を操る為に必要なコントロール方法を教えてくれる学校の存在は大きい。