十も歳上の男が、こんな僕にぺこぺこと頭を下げるのにはわけがある。
それは、僕が彼のボスである笠原誠司の愛人だからだ。
スモークを貼った窓越しに見える景色は灰色に濁っている。
僕の目に見える昼の世界は、いつだって限りなく夜に近い。
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物心ついた時から当たり前のように両親から身体的虐待を受けてきた僕が、児童福祉施設に入所することになったのは10歳の春だった。
理由にならない理由を付けては僕を殴り倒す両親のことが、僕は決して憎かったわけではない。
毎日殴られていたというのではなかった。不規則でも食事は与えられたし、遊びに連れて行ってもらったこともある。ただ、機嫌の悪いときに少し手が出るだけだ。
学校に友達のいない僕にとって、家は唯一の居場所だった。僕は両親が好きだったし、殴られないようないい子になりたいと思っていた。
けれど、僕の努力は足りなかったらしい。
ある日突然、僕はなぜか児童相談所に連れて行かれた。両親から引き離されたまま何日もそこで過ごすうちに、施設への入所が決まっていた。
僕の身の振り方が、僕の知らないところで進められていたわけだ。
僕は両親と離れたくはなかった。けれど、両親が僕の引き取りを拒否したのだ。
児童福祉施設「ひまわりの家」に入所した日のことは、今でもよく憶えている。
初めての集団生活。同じように親から離れて暮らす子どもたちに囲まれながら、僕は孤独を強く感じていた。
親に棄てられた自分は、これからここで生きていかなければならない。突きつけられたその事実が怖くて、僕はただ怯えていた。
けれど入所初日、食事が喉を通らない僕に赤ん坊のように食べさせてくれた人たちがいた。
空と一海という、両親を事故で亡くした姉弟だ。
一海は僕と同い年で、部屋も同じだった。
無愛想だけど優しい一海は、僕の背中に広がる打撲痕を見た夜、真剣な顔で言った。
『食って大きくなって、お前にそんなことをした奴を見返してやれるぐらい強くなれ』
強くなれ。
抱きしめられながら投げかけられたその言葉は、僕に生きる希望を与えてくれた。
施設で共に暮らしながら一海を慕ううちに、それが恋だと気づいたのはいつだっただろうか。
けれど高校2年の春、一海は空と共に施設を出て行ってしまう。
迷う一海の背中を押したのは僕だったけれど、想う相手を失った途端に僕の世界には濃い影が射し込み始める。
通っていた高校にはもともと馴染めていなかったし、施設の仲間たちからは些細なことから疎ましく思われるようになった。
キッカケは、あちこちのコンビニやスーパーで万引きを繰り返していた施設の仲間を咎めたことだ。
ある日突然彼は警察に連れて行かれ、通報したのは僕だという噂が広まっていく。
実際には僕ではなかったのだけれど、そんな言い訳の通用する状況ではなかった。
連帯感の強い施設の仲間から爪弾きにされれば、そこにはどうしようもない居心地の悪さしかない。
歯車が狂うように、全てがうまくいかなくなった。
孤独は平気だ。けれど、何もかもをリセットして環境を変えたかった。
だから僕は施設を飛び出した。わずかな小銭を握りしめた17歳の僕は、夜を明かせるところを探して、あてもなくただ街を彷徨った。
ギラギラと光り輝く夜の繁華街で肩と肩が触れ合い振り返れば、鋭い眼光で僕を射るように見つめる男の姿が目に入った。
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