抱きしめられても抱き返せない関係がちょうどいい。拘束されて不自由だからこそ、俺はこうして抵抗せずにこの男と繋がっていられる。 この手枷は、俺が言い訳をするための手段に過ぎない。
次第に激しくなる律動に合わせて腰を揺らしていけば、中を擦られる度にどうでもいいしがらみが弾け飛んでいく。 均整の取れた身体の肩先に刻まれるのは、艶やかな桜の模様。視界に飛び込んできたその花は、血のように紅く染まっていた。
「あッ、あ、も、イきた……っ」
今にも爆ぜそうな感覚に我慢できずそうねだれば、桐生は中を穿ちながら何度も俺を揺さぶって一番高いところへと連れて行こうとする。 ひとつになっているこの瞬間だけは、余計なことを全部忘れられる。 誰かに殺された兄。犯罪者の桐生。そんな男に依存している自分自身。 何もかも、このまま融けてなくなってしまえばいい。
折り重なって身体を巡っていた快楽は、やがて一点で止まり溢れ出す。
「 ─── ああぁ……ッ」
最奥にドクドクと熱いものが打ち付けられて、中が最後の一滴まで絞り取るように何度も収縮する。快楽の余韻は強くて、波に攫われた俺はただ猥らに喘ぎ続けた。 この火照りが収まる頃には、散々擦れた手首に痛みを感じるんだろう。
「愛してるよ、郁実」
整わない呼吸を繰り返しながら、抱きしめられて交わす軽い口づけは甘く優しい。 愛してる。 その言葉をぼんやりと頭の中で反芻して、俺は安堵する。 少しばかりの安らぎと愛が欲しくて、俺はこうして欲望と嘘に塗れた不毛な関係に縋りつく。
仰向けにベッドに横たわり、自由になった両手を掲げてみる。強く擦れた手首は夜が明ければもっと痛むだろう。 深く息をついたところで、上げていた両手を掴まれてそっと胸元まで降ろされた。
「郁実、シャワーは」
桐生がそう声を掛けてくるのは、行為が終わったにも関わらず俺がベッドから降りようとしないからだ。もちろんそれにはきちんと理由がある。
桐生はまだ気づかない。
掛時計を見れば、日付けが変わってからもう3時間が過ぎていた。
「昨日の現場にさ、毛髪が落ちてたんだ。サクラのものだ」
目を合わせてそう言えば、桐生の表情がゆっくりと消えていく。 サクラの犯行現場でそれを見つけたとき、俺は目の前に掲げて照明に透かしてみた。キラキラと透明感のある、一筋の光。淡い色合いは独特の美しさを放つ。
「普通、毛髪ではDNA型鑑定をしない。核DNAが含まれてないからだ。でも、昨日採取されたものには毛根部に頭皮組織の一部が付着してた」
だから、これを鑑定に出せば被疑者のDNA型がわかるだろう。既に科捜研に送る手筈は整えている。 桐生が俺の顔をゆっくりと覗き込んでくる。プラチナアッシュの髪がさらりと頬をくすぐった。
「DNA型が判明したところで、前科がない俺の型は警察庁のデータベースにはないだろうな」
「お前のDNA型を特定する資料なら俺が持ってるよ。例えば、精液とか」
どろりと身体の奥で異質の液体が蠢く。同じDNA型の別人が現れる確率は4兆7000億人に1人。もはや限りなくゼロに近い。 桐生は眉を上げて、端正な顔をわずかに緩めた。追い詰めているのは俺なのに、余裕を見せつけられてひどく不安になる。
「前科はなくても余罪はたんまりある。俺が捕まれば、執行猶予は付かないだろうな。外に出られるまで何年掛かる?」
「さあな」
「それまでお前は我慢できるのか」
覆い被さる顔に影が重なる。食むようなキスは、身体の内側を蝕んでいく。
サクラにはまことしやかに囁かれるもうひとつの噂がある。 コードネーム『サクラ』は、警察を示す隠語と同じだ。 これだけ派手に動いているにもかかわらずサクラが捕まらないのは、警察に内通者がいるからじゃないか。
もちろん、それは俺じゃない。
もしかしたら。 胸に抱き続けている疑問のせいで、俺はこの男から離れられない。 兄と同じ顔のサクラ。 お前は、亡くなった兄の何かを知ってるんじゃないか。
「1人で歩けないんなら一緒に行って洗い流してやろうか」
「バカ。立てるよ」
肘を付いて起き上がれば、気怠い身体がギシリと悲鳴をあげる。今から泥のように眠れば、数時間後には仕事ができる程度まで回復するだろう。
「俺も、愛してるよ」
そう言い捨てて寝室のドアを開けると、夜特有の涼やかな空気が肌に触れた。 瞼を閉じれば闇の中で残像のようにふわりと花弁が舞い散る。 その色は、仄かで儚い。
ようやく握ったはずの切り札を使うときは、いつか来るんだろうか。
雁字搦めに互いを縛り合いながら、今夜も俺はこの男と薄紅色の罪を啄ばむ。
"SAKURA TRICKS" end
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