目が覚めると、見慣れた天井が見えた。僕を包み込む穏やかな温もりに、誰かに抱きしめられていることに気づく。「おはよう、眠り姫」耳元でからかうような声が聞こえた。覗き込む鳶色の瞳は普段と変わらず優しい。いつの間にか、帰ってきていたらしい。「ユウ……」名前を呼んだはずが、声が喉に引っ掛かったようにうまく出ない。ユウが起き上がって、部屋の隅にある冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを持ってきてくれた。身体を起こそうとすると頭がクラクラして、ぽすんと枕に沈んでしまう。「手間が掛かるな」そう言ってユウは封を開けたペットボトルを呷り、僕に口づけた。冷たい水がじわりと流れ込む。ユウが与えてくれる水を余すことなく飲み干したくて、僕は舌を挿し入れた。「こら、がっつくなよ」苦笑しながら唇を離して、ユウは僕の頭をそっと撫でた。「おかえり、アスカ」「……ただいま」もう一度水を飲ませてもらって、ようやく意識がはっきりしてくる。きっとユウが僕をここまで連れて帰ってくれたんだろう。「あの人、生きてる?」僕が尋ねると、ユウはおかしそうに笑った。「あいつは元々殺しても死なないタイプだからな。心配するな」「そう、よかった」死んでほしくないなんて、僕のエゴに違いないのだけど。「お腹すいた……」腹部の違和感に思わずそう言えば、ユウは静かに寝室を出て行った。しばらくすると銀色のトレイを持って戻ってくる。その上にはトロトロの白い液体が入った器が置かれていた。「ずっと食ってないんだろ。固形物は胃が受け付けない」重湯のようだった。僕のために作っておいてくれたに違いない。僕はゆっくりと起き上がる。今度は、目眩はしなかった。スプーンで掬って一口飲んでみると、ぬるりと舌を滑る味気なさに思わず溜息が零れた。「味がない……パスタとか、食べたい」「我儘を言うな」ユウは微笑みながら僕の手からスプーンを取り、口まで運んでくれる。こうして我儘を聞いてくれるから、僕はいつまでも甘えてしまう。このままじゃ駄目だって、わかっているのに。「食べたいとか、セックスしたいとか。生きたいからそう思うんだね」『アスカ。覚えておけ』一年前、僕は初めてユウに抱かれた。それは僕の意志ではなかったけれど。『本当に死にたい奴は、セックスしたいと思わないし、快楽なんて感じないんだ』何も考えられなくなるぐらい気持ちよくて。混濁した意識の中でユウを求めて、何度も果てて。『だから、二度と死にたいなんて言うな』僕を抱きしめる身体は、燃えるように熱かった。もう遠い昔のことのようだった。右手首がヒリヒリと痛みを訴える。4日間繋がれ続けた手首は何度も擦れたせいであちこちが腫れていて、痣もできていた。「痛むか」ユウがスプーンを置いて僕の手首を掴み、口元へと引き寄せる。「……あ……」赤身を帯びた部分を緩く舌が這う。触れられた部分がじりじりと熱を帯びて、思わず小さく喘げばユウは唇を離して僕を見つめた。「アスカ、そろそろいいだろう。もう一年だ」あれから一年が経つ。もう一年なのか、まだ一年なのか。僕にはわからなかった。「何年経っても、何も変わらないよ。僕はずっと自分を赦せない」「お前は何も悪くない」「僕、あの人と一緒に死んでもいいと思ったんだ」抱き寄せてくれるユウに僕は縋りつく。その確かな温もりは心地いい反面、僕をひどく不安にさせる。「あの人は僕とは違う。生きなければいけない人だ。でも、僕は罪を犯したから」 ユウが僕の唇を塞ぐ。捻じ込まれた舌に抗えず、僕はそこから注がれる強引な優しさを飲み下す。ユウはサキと同じ色の瞳で僕を見る。一緒にいれば、いつかサキに逢える気になってしまう。だから――もう二度と叶わない夢を、僕は今も見続ける。「僕が、サキを殺したんだ……」 "Binding Kiss" end - 11 - bookmarkprev next ▼back