「ま、丸井っ!!」
「っ!?」
俺のすぐ横を車が猛スピードで通り過ぎた。苗字に引っ張られたおかげで、間一髪のところで避けられた。
「あっ…ぶねえ……」
車は相変わらずスピードを緩めることなく去っていった。にしても危ない。次、どこかで絶対事故んぞ。腹が立ったが去っていった以上どうしようもない。事故んなくてよかった。こんな時期に事故だけは絶対に避けたい。身体が一気に冷えた。助かったのは…苗字のおかげだ。
息を吐いた後、ふと思い出して苗字を見た。思ったより距離が近くて心臓が跳ねる。そういや、彼女に引っ張られたままの体勢。しかも、胸ぐら掴まれてるせいでこの体勢は、下手したら抱き合ってると思われても、………。いかん、非常事態だ。思い返せば、こんなに苗字を近距離で見たことなかったな、なんて考えたり。
だけど、当の本人はうつむいたまま、しかも、まだ俺の服を掴んだまま、動かない。彼女の前髪を見つめる。
「……………苗字?」
何回目かでようやく彼女は顔を上げた。顔は真っ青で、変な汗をかいてて。何か変だ。いつも冷静な彼女が、こんなにも取り乱すなんて、おかしい。
「大丈夫かよい」
「…え、あ、うん、ごめん」
思い出したように俺から離れた。先ほどまでの上機嫌なんてなかったかのような細い声。
それからはずっと黙ったままだった。苗字は未だ青い顔をしていたし、俺は俺で彼女にどう声をかけて良いのかわからなかった。
「じゃあね」
いつも別れるその場所で、彼女は力なく笑って手を振った。別に無理して笑わなくったっていいのに。いつも無表情のくせして。本当、何なんだよい。
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