あいにく今宵は明月です | ナノ



俺は知っている。兄さんの浮かない表情と、いつも側にいるあの人の姿が見当たらなかった理由を。そしてあの人の居場所を。


ドアを開けると少し冷たい風が吹き抜けた。今年の夏は平年よりも早く過ぎ去ってしまったらしい。丁寧に、そして綿密に整えられた庭園を見渡す。病院に設置されている場所にしてはかなり豪華だが、この場所は多くの患者を見つめ癒しを与えてきたのだろう。そんな場所に独り、細い脚を抱え、冷えたベンチに座るあの人がいた。


隣に座ると、あの人は少し顔を上げ俺を見たが、また直ぐに蹲った。やはり寒いのだろう、華奢な肩が震えている。


「寒くないですか」
「…さむい」
「中、入りませんか」
「…もう少しだけ、ここにいる」


くぐもった声、丸まった背中はまるで飼い主を失った仔犬のようだった。哀愁を漂わせるその姿を掻き抱くことが出来たらどんなに幸せなことだろうか。それが出来ない自分と現実に苛立ちを感じるが、彼女が何を求め、また兄さんが何を求めているのか、双方の想いを知っている俺には、ただ口を噤み見守る事しか出来なかった。


「京介くんは、何も聞かないし、何も言わないのね」


目線を前から横に移すと、彼女は雲一つない夕闇の空を見つめていた。突然発せられた言葉に少し動揺したが、冷たい空気を少し吸い込むと、落ち着いて言葉を選ぶ事が出来た。


「俺にできる事は、これだけですから」
「…だけじゃ、ない」


瞬間、手の甲に微かな熱を感じた。彼女の掌が重ねられていると理解するのにそう時間は掛らなかった。その手を握ればいいのか払い除ければいいのか、それともそのままでいるべきなのか、瞬時に判断する事が出来ず固まる俺に、彼女は更に追い討ちを加えた。


「側にいてくれるだけでいいの、」
「それだけで、ねぇ、京介くん」
「私は何度も救われたのよ」


今日初めて視線を交えたその瞳は、とても美しく、そして残酷だった。行き場のないこの感情を何処へ葬ればいいのか知らない俺は、抑える事が出来ず気付けば彼女を腕の中へ閉じ込めてしまった。


夕日が沈み、漆黒の夜が現れる。このま二人一緒に暗闇へと溶けてしまえば、誰も哀しむことは無いのだろうか。しかし、水平線から登る月が赦しはしなかった。










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企画曰はく、様提出
素敵な企画に参加させていただき
ありがとうございました。




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