●本編道中
2014/03/21 00:42

昏い昏い微睡の中。
脳裏を過るは憎悪、嫉妬、憤怒、それから、昨夜の――

「……つっ、………ん?」
まだ薄暗い森の中で、鏡像のリオンは呻き声と共に目を覚ました。
ゆっくりと目蓋が開き、翡翠の双眸が焦点を結ぶ。
寝覚めは最悪だった。
いつも通りの憎悪に塗れた夢を見て、目覚めの切っ掛けは昨晩の傷。
「……あー、痛ってー……くそっ、あいつ……」
昨晩、相方の少女にからかい半分でキスをしたら、舌を噛まれた。
今だに痛みが抜けず、お陰でこんな時間に起きてしまった、という訳だ。
「何も噛むことねーだろ……なあ?」
側を通ったリスに話しかけるようにぼやき、リオンは相方の少女を見た。
艶やかな黒髪に藍色のエプロンドレスという、およそ森での野宿に向いていない格好の少女は、穏やかな顔でまだ寝ている。
オリジナルのリオンと行動を共にしている少女、リリスの鏡像である彼女は、オリジナルとは似ても似つかない性格をしている。
からかっても赤面しないし、可愛らしく満面の笑顔を浮かべたりもしない。幾ら鏡像とは言え、ここまで逆になるものだろうか。
(俺も人の事は言えねーか……)
女遊びが好きで、口から幾らでも口説き文句や挑発が出て来る彼も、相方に負けず劣らず逆の性格をしている。
(……黙ってりゃ上玉なのにな)
暇なので眠っているリリスの顔を眺める。
普段だったら2秒も見つめたら睨まれるので、まじまじと眺められる機会は貴重だった。
白い肌が闇に映え、思わず魅入ってしまう。
端正で白い顔は、彫刻と見紛う程だった。
「………何?」
不意に、真紅の瞳が開く。
露骨に不機嫌そうな声と表情で、鏡像のリリスが目を覚ました。
「別に?誰かさんのせいで舌が痛くてさ。早起きしちまったから、顔見てた」
悪びれる事なく、むしろ嫌味を含めて言葉を放つ。
「……あら、舌でも噛んだのかしら?間抜けそうな顔してるのものね、貴方」
「おーおー、朝っぱらからご挨拶だな。本当は満更でもなかった癖によ」
「……もしそう思っているなら、少し頭を診て貰った方が良いわね」
皮肉と皮肉の応酬。
これが彼等の日常だった。
所詮はオリジナルを殺す為の駒でしかない。
直接言われたわけではないが、用が済んだら消されるであろうことも予想出来る。
生まれつきそんな境遇だったせいで、彼らの精神はとっくに摩耗し切っていた。
「……今日の仕事は?」
「人質を取るんだとよ。あの、お前のオリジナルの出身地。リーネだっけか?彼処から適当な奴引っ張って来て、あいつらの前に持ってって脅して、隙を突いて殺せってよ」
「……上手く行くとは思えないわね」
「あ、お前もそう思う?俺もなんだよね」
人質を取った所で、それを奴らの前に簡単に運べるとは思えない。
伝えられたのは概要だけで、運搬方法はおろか今オリジナルがどこにいるかも伝えられていない。
穴だらけの作戦で、到底上手く行くとは思えなかった。
だが、奴らはそれを承知でやっているのだろう。
適当な指示で、自分達が困惑する姿を見て楽しんでいるのだ。
「……クソッタレが」
今も薄ら笑いを浮かべながら自分達を監視しているであろう上司の姿を想像し、リオンは忌々しげに言葉を吐き捨てる。
「……ねえ」
静かに、リリスが問い掛ける。
「あん?」
「……やっぱり、作戦を変えるべきだわ。どう考えても無駄足になる。直接、オリジナルの居場所を探した方が――」
「……お前さ」
異議を唱えるリリスを、リオンがゆっくりと遮った。
「俺達に拒否権なんて大層なモンはねーんだよ。俺達は、ただ命令通りに動いて、命令通りに殺して、そうじゃない時間は好き勝手に過ごせば良いんだ」
「………」
「……何だよ。いつもみたいに皮肉の一つでも言ったらどうだ?」
「……余りに哀れすぎて言葉も出なかったのよ」
「へっ、そうかよ」
じゃあそろそろ行こうぜ、と言いながら立ち上がり、歩きはじめたリオンの3歩程後ろをリリスが歩く。
リオンは気付いていなかった。
リリスの表情が、僅かに哀しげな色を灯していたことに。


「……そろそろ夜ね」
「あーあ、こりゃもう1日ぐらいかかるな」
やれやれ、と言いながらリオンは野営の準備を始める。
見た目によらず料理が上手いため、こういった雑事は殆ど彼の担当だった。
「………」
正直女としてどうなんだろう、と思いながら、それでもリリスは手を出さない。
以前意地を張って作った料理は、とても人が食べるものではなかった。
「………」
リリスの端正な顔の眉間に皺が刻まれる。
理由は二つ。
一つは、自分が料理という点で確実にオリジナルに劣っているという屈辱から。
そしてもう一つは、今料理を作っている相方の背中が、今にも折れそうなほどに寂しげだったからだ。


「……ご馳走様。料理の腕だけはそこそこね」
「はいはい、そりゃどーも。お褒めに預かり光栄で御座います」
皮肉の応酬は続く。それが彼らの決まりであるかのように。
「……貴方は」
食器を片付ける相方の背に問い掛ける。
「貴方は、悔しく無いの?」
「は?何が?」
「……この状況よ。あんな奴に好き勝手使われて、貴方はよくそんなにヘラヘラしてられるわね」
「……だからさぁ」
いつもと違う、妙に冷たい言い方で。
緋色の少年はぼそりと呟く。
「俺らは唯の捨て駒なんだって。一々うざったい感情論ぼやくんじゃねえよ」
「………ッ!」
「それとも何か?その気になれば自由で幸せな世界に行けるとでも思ってんのか?あ?」
翡翠の瞳は何も映さない。そこにあるのはただただ諦観、それのみだった。
「……もう何人殺したと思ってんだよ。生まれてこの方殺す以外の事をしてない俺らが、幸せになんてなれるわけねぇだろうが!」
「………ッ、貴方……!」
闇色の少女は歯噛みする。目の前の少年の虚無と、それに対して何も言えない自分の無力に。
「……だからさぁ、ずっと言ってんじゃん。動かされて動かされて、それ以外の時間で好き勝手やりゃ良いんだよ」
「………救いようの無い馬鹿ね」
「はっ、何とでも言え。どうせお前も同類なんだぜ?……だからさぁ」
低く響く、甘い声。爛れた愛の真似事の合図。
獲物を喰らう獣の様な表情の奥に、寂しさを埋めようと甘えたがっている心が見える。
「……っん、………ちゅ、く……んはっ、ああ……」
「……ん、れろ……んんっ………ちゅぷ……」
いっそ、ただの獣なら良かった。
荒々しい表情の奥に潜む、寂しげな顔を知らなければ、こんなに胸が苦しくなることもなかったのに。
それでも爛れたキスの応酬は、リリスの胸を甘く溶かす。
言葉よりも饒舌な、貪るように見せかけて、しがみ付く様に甘える舌遣いに。
心が輪郭を失い、意識がそっと形を無くす。
恍惚に飲み込まれる寸前にーー彼女は、舌を噛んだ。
「ってー……噛むことねーだろ……」
「………とっとと寝なさい」
「……はいはい」
慣れた風に横になり、程なくして寝息が聞こえてくる。
「…………」
ゆっくりと、唇を指でなぞる。
思い出しただけで、胸に甘い感覚が広がるのを感じる。
(……絶対、諦めない)
きゅっ、と唇を引き締め、闇色の少女は強く誓う。
(……必ず、抜け出して見せる。二人一緒に)
それは、一度も口に出したことのない誓い。
共に捨て駒として生み出された少年に、いつか希望を灯して見せる。
深く深く、少女は重ねて誓いを立てた。

「……っつ、……あさ、か……」
二日連続で舌の傷で起こされた緋色の少年は機嫌が悪い。
忌々しげに相方の少女を見る。
『……貴方は、悔しく無いの?』
「………決まってんだろ」
少女が寝ているのを確認し、少年は小さく呟く。
本当は、今すぐにでも助けを求めたい。
泣き叫んで、自分が辛いのだと言う事を知らせたい。
そうして、誰かに支えられながら生きていけたら、どんなに幸せだろう。
だが、少年にはそれが出来ない。
少年は、泣き方を知らない。
少年は、助けの呼び方を知らない。
少年は、支えとは何かを知らない。
欲しても分からないという事実を知って、少年は直ぐに諦めたのだ。
自分に救いは存在しない、と。救いなど必要ないとまで考えた。
それでも、辛さは消えてくれない。
捨て駒であるという事実に、本当はいつも怯えて生きている。
そんな辛さを、彼は相方の少女に悪態を付くことで誤魔化していた。
皮肉の応酬に、爛れたキス。
少年にとって、心が本来の形を取り戻すのは彼女と接している時だけだった。だから、出来るだけ長くいられるように、目に見えた遠回りも受けていた。
(……なっさけねえな、俺)
乱暴に金髪を掻く少年はまだ知らない。
それこそが、救いであるという事実を。


「よぉ、起きたか」
「……お陰様で最悪の目覚めだわ」
「おー、気が合うな。俺も朝っぱらから景気の悪そうな顔見て最悪の気分なんだ」
「……それは良かったわね」
また繰り返す彼らの日常。
皮肉と皮肉の応酬。
彼らはまだ、気付かない。
二人の間の愛までもが鏡で映されていたという事に。

まだ暗い森に、鏡像が2人。
彼らはまだ、気付かない。


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