●痴話喧嘩
2014/04/09 12:28

最近リーネに滞在するようになった少年は、居候先にいる少女と仲がいい。
少年の冷たさを少女の陽気さが溶かし、少女の無茶を少年が容赦無く止める。
正反対だからこそ相性が良い。
二人はそんな、互いを埋め合わせるような関係だった。
勿論、正反対な性格であるが故に喧嘩をすることもしょっちゅうあった。
しかし、しょっちゅう喧嘩をする為むしろ大きな喧嘩は無く。
傍から見れば微笑ましい、小さな喧嘩をすることが殆どだった。

だから、その日のエルロン家は珍しい光景だったと言えるだろう。



「もうっ! リオンくんのバカ!! 何で分かってくれないの!?」
先程の話における少女、リリス・エルロンは激昂と共に机を強打した。
普段は陽だまりのように優しく柔らかい印象の彼女だが、今は激しい怒りに燃えている。
晴天のような青い目を怒りに燃やし、正面の少年をキッと睨んだ。
「バカはどっちだ! 貴様の物分かりが悪いだけだろう!」
返って来たのは、同じ位激しい、しかしどこか質の違う声。
リリスの怒りを燃え盛る炎とするならば、少年の怒号は荒れ狂う吹雪のようだった。
先程の話における少年、リオン・マグナスがリリスを同じ位強く睨み返している。
目の前の少女に突き刺すような、冷たい瞳。
灼けるような怒りと、凍てつく怒りが衝突する。
「……ッ! 何よ! 大体、元はと言えばリオンくんが悪いんじゃない!」
更に勢いを増して、リリスがリオンに噛み付く。
その勢いに、今度はリオンが怒りを露わにして返した。
「フン! 言うに事欠いて責任転嫁か! 先程から言っている通り、悪いのは貴様だ。その事実は変わらん!」
頑なにリリスが悪いと言い張るリオンに、リリスは余計機嫌を悪くした。
「…………ふぅん?」
突如、炎が消え、沈んだトーンの声が部屋に響く。
「あーあー、そうですか! いいもん、もうリオンくんの事なんて知らないっ!」
そして、再び怒りが噴出した。
しかし、先程までとは違い最早説得するつもりすらない。
「フン、勝手にしろ! 僕は貴様のような愚か者にどう思われようが何も感じないがな!」
釣られて、リオンも辛辣な言葉を重ねる。
売り言葉に買い言葉。
ここまで来ると、中々後には引けないもので。
「……っ、いいもん、勝手にするもん!」
辛辣な言葉に一瞬辛そうな表情をちらつかせたリリスは、悟られまいと顔を背け。
「…………」
勢いで突き放してしまったリオンは、無言で再び視線を逸らす。
そして。
「………今日から、バッカスさんの家で寝るから」
「――――ッ!?」
突如、リリスが爆弾を投下した。
一晩経てばどうにかなる、と予測を立てていたリオンは、珍しく露骨に困惑した。
「じゃ、そういうことで」
てきぱきと身支度を始めるリリスに、リオンは口を開かざるを得なくなる。
「な、っ……! ば、馬鹿者! 何故そうなる!」
本当はここで素直に謝ってしまえば良いのである。
悪かった、お前にいなくなられるのは耐えられない、とでも言えば、彼女はきっと留まっただろう。
しかし、それが出来ればそもそもこんな事にはなっていない。
「『勝手にしろ』じゃなかったの?」
返って来たのは、ぐうの音も出ない正論だった。
「……っ、」
いつになく冷たい物言いに、リオンが怯む。
「『どう思われようが何も感じない』んでしょ?」
続いて、怯んだリオンに追撃が襲いかかる。
これも、何の反論も出来ない正論だった。
「……そ、れは」
自分の言った余計な一言で自滅しているリオンは、言葉が続かない。
「だから、勝手にするわ。私だって、もうリオンくんの事なんてどうでもいいもん」
そして、最後に一際強く突き放すと、リリスは玄関へと向かう。
「…………ああそうか、勝手にしろ」
結局、もう一度突き放す事しか出来なかった。
返事は、勢い良く閉じた扉の音だけで。
テーブルの上の二人分のティーセットが、やけに寂しげに見えた。
「…………」
一人部屋に残されたリオンは、苦々しい表情のまま俯いている。
去り際に一瞬見せた辛そうな表情が、目に焼き付いて離れない。
(……僕は、悪くない)
しかし、それでもまだ彼は意地を張る。
(あいつが、悪いんだ。あいつが、僕を馬鹿にするからっ……!)
リリスに去られて辛い気持ちと、自分の非を認めたくない気持ちが胸の中で渦巻き、張り裂けそうだった。
「……ん?」
ふと、足下に体温を感じて目をやると、一羽のうさぎがリオンを見上げていた。
「………お前か」
先程の喧嘩を見られていた事が何だか無性に恥ずかしくて、頬を赤らめつつリオンはうさぎを膝へと乗せる。
ポテちゃんという名のこのうさぎは、何故だかリオンに良く懐いていた。
「……お前に言っても、どうにもならないだろうがな……少し、聞いてくれないか」
こちらを見上げて首を傾げるポテちゃんの身体を撫でながら、リオンはポツリポツリと喧嘩の経緯を話し始めた。

――時は数時間前、二人が夕飯を食べ終えた頃に遡る。

「リオンくん、明日一緒に買い物に行かない?」
まだ返事もしていないのに、行くのが楽しみでしょうがない、とでも言いたげな満面の笑みでリリスが提案して来た。
机からこちらに乗り出して、大きな瞳で上目遣い。
分かっているのに毎度毎度陥落するお願い攻撃の直撃を喰らった上に、そもそも断る理由も無いので、リオンは素直に提案に乗った。
「……別に構わんが」
「本当!? わー、めっずらしいわね、リオンくんが素直に乗って来るなんて!」
いつもより素直な反応に、リリスの表情が一層明るくなる。
「……どうせ断っても無理矢理連れて行かれるからな」
嬉しそうなリリスの表情に見惚れかけたことを悟られないよう、リオンは目を逸らしながら皮肉で返した。
「はいはい、そう言うことにしといてあげる♪」
それが照れ隠しであると知っているリリスは、お姉さんぶった笑みで仕方なさそうに頷く。
「……留守番にするか」
「えーっ、やだぁ! 一緒に行こう? ね?」
それが気に食わないリオンが拗ねれば、すかさずリリスが機嫌を取りに行く。
元々留守番するつもりも無かった上に、いつもより数倍甘ったるい声で"やだ"、だの"ね?"だの言われてリオンが陥落しない筈もなく。
最近この"やだ"を聞きたくて敢えて拗ねた振りをする癖が付きつつある自分に危機感を覚えつつ、リオンはリリスに話を振った。
「で? 何を買いに行くんだ?」
わざわざ"買い物に行く"と言ったと言うことは、リーネから出て街で買い物をするという事だ。
「……リオンくん、もう10月なんだよ?」
「だからどうした?」
リリスの発言がよく分からず聞き返すと、信じられない、と言った表情でリリスが続けた。
「10月って事はハロウィンでしょ!? 仮装の衣装の材料を買うのよ!」
「……(ハロウィン、か)」
腰に手を当てて何故か自慢気に説得するリリスを見ながら、リオンはようやく理解した。
生まれてからずっと駒として育てられて来た彼にとって、年中行事は無縁だった為、分からなかったのである。
「それでね、一つ相談があるんだけど……」
そんなリオンを他所に、リリスは話を進めていく。
しかし、続く一言はリオンにとって爆撃に等しい発言だった。

「リオンくん、女装しない?」

「………………は?」
何故今の話で女装に繋がるのか理解出来ず、間の抜けた声が漏れる。
リリスは更に続けた。
「あのね、今年は魔女の格好で行こうと思ってるの。でね、リオンくんだったら絶対女の子の格好しても違和感ないだろうし、良ければお揃いの衣装にしたいなーって思ってるの!」
リオンは、お揃いの格好をしたい、というのがリリスの要望だと理解した。
しかし、それなら他に手はある筈で。
「ふ、ふざけるな! 何故僕が女装をしなければいけないんだ! もっと他にあるだろう!」
慌てて代案を提案すべく、今度はリオンが机に乗り出した。
「? 他って?」
さも当然の疑問である、とでも言いたげに首を傾げるリリス。
「幽霊とか、吸血鬼とか……どっちの性別でも出来るものがーー」
「だって、それじゃリオンくんが女装出来ないじゃない!」
「!?」
さり気なくとんでもない事を言ってのけるリリスに、リオンは遂に絶句した。
「ね、ダメ?」
上目遣いで首を傾げる姿に、つい頷きそうになる自分を必死で止めて、リオンは首を横に振った。
「断る! 大体何故僕が女装なんかしなくてはいけないんだ!」
「えー、良いじゃないこういう時ぐらい! リオンくんかわいい顔してるんだから、絶対似合うよ?」
「………」
リリスの名誉の為に言っておくが、彼女に悪気は全く無い。
「それに、背だって私と同じくらいだし、きっと姉妹みたいになるわ!」
「……………」
しかし、彼女はこの時興奮して少し気が緩んでいたのかもしれない。
「私の方がちょっとだけ高いから、私がお姉さんね♪」
「………………ッ」
結果として、彼女は畳み掛けるようにしてリオンの地雷を踏んでしまった。
踏んだ地雷がどうなるか。
そんな事は、説明するまでもない事で。

「……ふざけるなッ!」
リオンが、机を強打して話を遮る。
リリスは突然の事に一瞬呆然とし、そしてすぐにしまった、という表情になる。
勘のいい彼女は、何故リオンがいきなり怒鳴ったかを察したのである。
「ご、ごめんね? リオンくん」
「………悪かったな、男かどうかも分からない、頼りない奴で」
リオンから漂う空気は、まさしく不機嫌そのもので。
不機嫌さが目に見えそうだった。
「ち、違うよ、私、そんなつもりで言った訳じゃ――」
「じゃあ何のつもりだ! どうせ馬鹿にしているんだろう!? 僕に女の格好をさせて、見世物にするのがそんなに楽しいか!」
リリスとしては、リオンに女装をさせてみたいという好奇心と、リオンとお揃いの衣装を着たいという願望からの提案で、嘲るつもりなど欠片も無かった。
そもそも、女装が似合うと思う、というのも馬鹿にしているわけではなく本気である。
ただ、普段は嫌がるだろうからこういうイベントの時にやって貰おう、と以前から楽しみにしていたという訳で。
「ち、違うよ、ただお揃いにしたいなっていうのと、女装見てみたいなってだけで……そんな、見世物なんて、言わないでよ……」
「……それが馬鹿にしていると言うんだ。僕に女装が似合うだと? 馬鹿にするのも大概にしろ!」
しかしながら、ここまで言われると流石のリリスも傷付いてしまう。
それでも、傷付けるような事を言ってしまったのは自分だから、と自分に言い聞かせ、もう一度謝ろうと口を開く。
「……ごめんね。分かった、じゃあ別の衣装に――」
「大体、背が同じ位なのはお前が女の割に大きいからだ! 僕が小さいんじゃない!」
リリスが妥協案を出そうという、まさにそのタイミングで、今度はリオンがリリスの地雷を踏み抜いた。
「――ッ! 何よ! そこまで言う!?」
「……フン、少しは僕の気分が分かったか?」
別に身長が低いと直に言われた訳では無かったが、やはりリオンにとって身長の話題は特に癇に障るらしく。
男であるリオンより女らしさが足りないんじゃないか、と密かに悩むことがあったリリスにとって、これは地雷以外の何者でもなかった。
しかも、踏んだ当人は申し訳なさそうな表情どころか見下すような表情である。
今度は、リリスの怒りに火が付いた。
「そこまで言うならこっちも言わせて貰うけどねぇ! たかが仮装程度でグチグチグチグチ女々しいのよ! 身長の前に人としての器を大きくしたらどうなの?!」
「……ッ! フ、フン! 男に女の格好をさせるのが好きな変態に何を言われても聞く気になれんな!」
ぐさり、と突き刺さるリリスの反撃に、リオンの怒りのボルテージが上昇する。
最早、売り言葉に買い言葉で。
子供の喧嘩に近い、傍から見れば完全に痴話喧嘩にしか見えないそれが始まった。
「そもそも、貴様は魔女というタイプじゃないだろう! 力ばかりで脳の無い、フランケンシュタインの化物がお似合いだ!」
「へーぇ、そう。だったらリオンくんは細くて貧弱なガイコツさんね!」
「ガイコツの仮装など無い! 適当な事を言うな!」
「あるもん! 私が作るわ! 真っ黒なタイツに蛍光テープで骨を貼れば良いじゃない! これなら女装じゃないから良いんでしょ!?」
「ふざけるな! そういう問題じゃない!」
「じゃあ女装してよ!」
「断る!!」
「何よ! そんなに私とお揃いが嫌なの!?」
「嫌じゃない! ただ、女装というのが気に入らないんだ!」
「もうっ! リオンくんのバカ!! どうして分かってくれないの!?」
「バカはどっちだ! 貴様の物分かりが――」



「――――と、いう訳でな……」
深いため息をつき、リオンは再びポテちゃんを撫でた。
聞かされていたポテちゃんはきっと苦笑いしているだろう。
要するに、ただの痴話喧嘩である。
しかし、一度張ってしまった意地が、素直に認めることを阻む。
「……あいつが、悪いんだ……」
言い聞かせるように呟いても、辛そうな表情のリリスが脳裏から離れない。
思えば、去り際に羽織っていった上着は以前街に買い物に行った時に買ったものだった。
偶然見つけて、試着したリリスに似合うぞ、と言ったら、嬉しそうに頬を緩めて会計に行って、その日はずっと機嫌が良かった。
(……ああ、そういえばこのティーセットもその時買ったんだな……)
リオンの脳裏に、折角二人暮らしなんだからこういうの欲しいよね、と言ってショーケースを指すリリスの姿が蘇る。
「………食器、洗わないとな」
ポテちゃんを脇に置き、ふらり、と立ち上がる。
リリスが居ないだけで、住み慣れた筈の家は酷く広々として見えた。

「………」
リオンは、無言で食器を洗っていた。
普段はリリスが全てやってしまうので、食器類を全て片付けるのは始めてだった。
(………これを、毎日やっているのか)
いざやってみると、思った以上に手間がかかることに気付く。
普段食卓から見ていた背中は、楽しそうに鼻歌など歌っていたけれど。
この家はリリスによって支えられているのだと実感する。
「………」
夕食の食器を洗っていると、今日の夕食を思い出す。
今日は天気が不安定だったとか、スープの味付けが濃いとか薄いとか、こないだのピクニックが楽しかったからまたしようとか、マギーおばさんの武勇伝とか、とにかく雑多な事を話していた。
「…………」
気が付けば、彼女と二人で食卓を囲んで雑談をするのがすっかり日常になっていた。
柔らかな笑みを浮かべて話す彼女を見ると、胸が暖かくなるようで、心地が良くて――
「…………ッ!」
そんな事を考えていると、リオンは急な胸の痛みを感じた。
耐え切れない痛みに、リオンは食器洗いを中断してソファへと倒れこんだ。
(……僕は、何て、ことを)
先程言った言葉がどれほど辛辣だったか、改めて思い知る。
兄の怨敵である筈の自分を受け入れ、許してくれた少女に。
父の皮を被った化物の駒として育てられた自分に、人並みの幸せをくれた少女に。
自分と一緒に祭りを楽しもうと、顔を綻ばせていた少女に。
自分は、何と言った?

『僕は貴様のような愚か者にどう思われようが何も感じないがな!』

「う、ぐっ………!」
ギュ、と胸のあたりを握りしめる。
改めて考えてみると、最低な発言だった。
「…………リリス…っ……!」
名を呼べば、それだけで更に胸が切なくなる。
あの陽だまりが、恋しい。
あの暖かさが、優しさが、柔らかさが、恋しい。
一度意地が決壊すると、今度は溢れる感情が制御出来なくなり。
それでも、謝ろうという気は起きた。
(………でも)
ここに来て、リオンはリリスがバッカスの所に行くと言っていた事を思い出した。
今頃バッカスの所で寝泊まりしているのか、と想像した途端、激しい嫉妬が全身を駆け巡った。
(………つくづく、面倒な男だな、僕は……)
バッカスの所にいる事を思い出した途端に、謝ろうという決心が萎む。
この状態でバッカスの家まで出向き、リリスに謝る勇気はなかった。
「………明日に、するか」
しかし、そうすると少なくとも明日の朝までは一人だということになる。
それも耐え難い苦痛だった。
「………くそっ……僕、はっ……」
苦しそうに呻くと、リオンは再びソファに埋れ、思考を放棄する――筈だった。
「キュッ!」
リオンの意識を繋ぎ止めたのは、甲高い鳴き声だった。
「……アム、ル?」
リオンがここに来た時から当然のように住んでいる、もう一匹のペット。
青いポケットドラゴンのアムルが、リオンに何か言いたげな様子で立っていた。
よく見ると、リオンの靴を咥えている。
「……どうした?」
困惑して問いかけるリオンの前に、アムルはぼて、と靴を落とし。
「……キュッ!!」
びし、と前脚で玄関を指した。
良いから行けよ、とでも言いたげに。

同じ頃、ここはリーネの名も無き丘。
家を出たリリスは、結局この丘に来てしまっていた。
「…………リオンくんの、ばか」
以前リオンと買い物に行った時に買った上着をぎゅ、と握って、リリスは消え入りそうな声で呟いた。
もうすっかり秋めいたリーネの夜は、とても寒い。
(……一緒に、楽しいことしたかっただけなのに)
それなのに、何故こんな気持ちにならなければいけないのか。
確かに、顔の事や身長の事を気にしているのは知っている。
女装の事も、多分嫌がるとは思っていた。
(でも、あんなに嫌がることないじゃない……)
はぁ、と白い溜息をつき、また体を縮こませる。
結構前から、割と本気で気になっていたのだ。
リオンが女装をしたらどうなるのか。
させるとしたらどんな格好をさせようか。
普段は嫌がるだろうからハロウィンの仮装にしようとか。
魔女の衣装だったらお揃いに出来るとか。
(………結構、楽しみにしてたのに)
女装してくれれば、ハロウィンの間だけは、デザインまでお揃いの格好でお祭り騒ぎができる。
それから、たまにはリオンを思う存分猫可愛がりしたい欲求というのもあって。
ハロウィンの時ぐらい、可愛らしい格好をさせて連れて回りたい、というのがリリスの密かな野望だった。
「………リオンくんの、けち」
また一つ、白い愚痴が夜へと溶けて行く。
折角途中まで楽しい空気だったのに、これだ。
これだけ否定されると、自分といるのが嫌なのかと思ってしまう。
嫌われたのかと思ってしまう。
「………さむっ……」
リオンがショックを受けるだろう、と思ってバッカスの所に行くと言ったものの、家を出てからずっと思考が纏まらず、結局何時ものこの場所に来てしまったという訳である。
しかし、先程言ったとおり今は秋。
丘を駆け抜ける風は既に、身を切り裂くような冷たさだった。
(……こないだ、ここでお昼食べたっけな……)
上着の中で再び縮こまり、リリスは先日のピクニックを思い出す。
ピクニックといっても、二人でリーネ周辺を歩き回って、いつもの丘に戻ってお弁当を食べる、というだけのものである。
しかし、その慎ましいピクニックの時間は、リリスにとってとても楽しいものだった。
よく晴れた空に、心無しか楽しそうな表情のリオン。
お弁当のおかずをあーんさせてあげたら、ぶつくさ言いながらも赤い顔で食べてくれたリオン。
食後にお互いに寄り掛かって景色を見ていたとき、指を絡めたらちゃんと手を握り返してくれたリオン。
「……はぁ………リオンくん……」
やや甘さの混じった苦い声で呟き、リリスは自らを抱き締める。
(………リオンくん、今どうしてるかな……)
ぼんやりと、リオンの事を思う。
(食器は水に浸けてあるから良いけど……一人でお風呂沸かせられるかな……明日、私が居なくても朝ご飯作って食べれるかな……)
去り際に言われた、勝手にしろ、という台詞が脳裏を過る。
(……あの声、無理してる時の声だった)
一緒に過ごしている間に、リオンの機嫌の良し悪しが大体分かるようになっていたリリスは、冷静になって喧嘩していた時のリオンの事を思い出す。
意地を張って、後に引けなくなっている時の声だった。
しまったと思っていても、謝れない時の声だった。
リリスの脳裏に、一人で黙々と本を読むリオンの寂しそうな背中が映る。
ずっとひとりぼっちだった少年の。
不器用で、自分の優しさに気付けない少年の。
一人になってしまったリリスの傍に、ずっといると約束してくれた少年の。
「…………」
リリスから、ゆっくりと怒りが消えていく。
先程まで燻っていた不満も、気付けばすっかり抜け出ていた。
(……やっぱり、謝ろう)
考えてみれば、自分が身勝手な事を言っていたのも確かな事で。
意地の張り合いを続けるぐらいなら、いっそ謝ってすっきりさせた方が良いと思えた。
「……よし!」
気合を入れて、立ち上がる。
と、その時。

「――リリスッ!!」

「……リオン、くん?」

まさしく今考えていたその人が、真後から現れた。

「………っ、その」
「………うん、何?」
言葉に詰まるリオンに、ゆっくりと続きを促すリリス。
先程の険悪な空気は最早無く、ただ、話を切り出しにくい気まずさが漂っていた。
そして、何度も視線を泳がせた後に、ようやくリオンが口を開いた。
「……さっきは……その、済まなかった」
「…………」
リリスは、無言で続きを待つ。
「……嫌、だったんだ」
ゆっくりと、言葉を探しながらリオンが続ける。
「………私と仮装するのが?」
今度は、拗ねたような声が返ってきた。
「違う! べ、別に、お前と仮装するのは嫌じゃない。ただ……」
慌てて否定し、言葉を続けようとして、また引っかかる。
「……ただ?」
気になるのか、リリスが復唱する。
しばらく唸った後、今一つ輪郭のはっきりしない発音でリオンが言葉を発した。
「……僕は、お前には可愛がられるんじゃなくて、頼られたかったんだ……」
「え?」
予測して居なかった返答に、リリスは頭が真っ白になった。

つまり。
可愛いじゃなくて格好良いと言われたかった、ということだ。

(……もう、バカなんだから)
言い終わって顔を真っ赤にしているリオンを見ながら、ふと思う。
自分が羊の世話や畑仕事を任せているのは、彼を頼りにしているからであって。
そんな頼れる所や格好良い所に、こういう可愛い所があるから、こんなに好きになってる訳で。
(本当、不器用なんだから)
ともかく、この一瞬で完全に許す気持ちになってしまったリリスは、ゆっくりとリオンに向けて歩を進めた。
「……おい、何とか言ったら――」
「………」
恥ずかしさが限界を越えたのか、リオンはリリスに声をかけようとして――言葉を失った。
思ったよりもずっと近くに、彼が待ち侘びていた少女がいた。


――優しい青の瞳が見つめてくる。

――柔らかな香りが漂ってくる。

――暖かな体温が感じられる。

――白い吐息が顔に触れる。

そうして、目の前の少女に見惚れていると、

こつん、と。
額が触れ合った。

「………仲直り」
柔い笑みが、リオンに向けられる。
求めていたものが戻って来たことを実感し、二人はようやく和解した。


「……帰ろっか」
先に口を開いたのは、リリスだった。
「………ああ」
少し遅れて、リオンが答える。
いつものように、並んで歩く。
ただ、今日はいつもとちょっと違った。
リリスの右手に、体温が触れる。
「……!? リオンくん?」
そう、リオンが自分から手を繋いできたのである。
「……悪い、か」
少し怯えたような表情で、顔を赤く染めて尋ねるリオンに、リリスの胸が甘く疼く。
「……ふふっ♪」
嬉しそうに満面の笑みで、リリスがリオンの腕に抱きつく。
「!? お、おい、やめろ、腕を絡めるな!」
「えー、やだぁ♪」
甘い声で腕に抱きつくリリスに、胸が満たされていくのを感じる。
結局この少女から離れられないという事実を何処か嬉しく感じながら、リオンはさりげなく身体をリリスへ寄せた。

満天の星空と、静かに照らす月が彼らを包み込んでいた。


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