●リオンくん発熱事件
2014/03/21 11:43

リオン・マグナスは無愛想な少年である。
顔の造形は、それはもう女性に嫉妬される程のものであったが、その性格は皮肉屋の一言に尽きる。
口を開けば、理論でガチガチに武装された毒舌が、彼の剣技に似た鋭さで相手の心を突き刺す。
頭が良くて性格が捻くれている人間程厄介なものは無く、彼を口論で負かす事が出来る相手と言えば、最近彼が心を開いたという、陽だまりの様なあの少女ぐらいだろう。
さて、そんな捻くれ者の客員剣士様は、今、非常に、とても、機嫌が悪そうだった。
「………っ、はぁ……くっ」
といっても、別に最近気になるあの娘が自分に構ってくれないとか、昨日の夕飯に人参が出て来たとか、そういういつもの理由で不機嫌になっていたわけではない。
否、そもそも彼は不機嫌な訳では無い。
「………っ、あつ、い……」
そう、彼は風邪を引いて発熱していたのである。

「……うん、スープはよし、と」
一方その頃、この家の実質ボスと呼べる少女、リリス・エルロンはいつも通り朝食を作っていた。
彼女の兄が自慢する通り、彼女の料理はとても美味しく、キッチンには既にいい匂いが漂っていた。
(……リオンくん、遅いなぁ)
スープの火を止め、手際良くサラダ用の野菜を刻みながら、リリスはちょっと前から居候するようになった少年の事を考えていた。
リオンは、基本的に寝坊をしない。
寝坊しない事の方が稀な彼女の兄と対照的で、必ず定時に起きて、配膳を手伝って、食卓に着く。
普段ならもう起きて着替えを済ませ、下に降りて来る頃なのに、未だに姿が見えないどころか洗顔する物音も聞こえない。
「……もしかして、寝坊かしら?」
若干の期待を含んだ言い方で、リリスが呟く。
ちゃんと朝起きてくれる事は良い事だけど、それだとちょっとつまらない、というのが彼女の密かな不満だった。
天性の世話焼きの彼女にとって、寝坊している相手を起こすのは結構好きなイベントであった。
しかも、相手はあのリオンである。
最近大分丸くなったけれど、まだまだ表情の固い彼が起こされたらどんな顔をするだろう。
最初はボーッとした顔でこちらを見つめ、やがて状況を理解すると共に赤面して「な、何を見ている!とっとと出て行け!」と言って照れ隠しをしたりするに違いない。
「よし、じゃあ、パンは後で焼けばいいわね」
やはり、パンは焼き立てに限る。
世話焼きな面と悪戯好きな面がどちらもくすぐられ、早速起こしに行こうと、リリスはキッチンを離れた。
ゆっくりリオンをからかった後に、焼き立てのパンで機嫌を取ろう、と算段を立てながら。


「リオンく〜ん、入るよ〜?」
一応コンコン、とノックをした後、リリスはそっとリオンの部屋のドアを開けた。
予想通り部屋は暗く、ベットにはまだ人が入っているのが見て取れた。
(本当に珍しい……夜更かしでもしたのかしら?)
忍び足でベットに近づきながら考える。
それ程、リオンの寝坊は珍しかった。
(……やっぱり、最初は耳元よね♪)
耳元で囁くように話しかけて、寝ぼけたリオンをすぐ近くで見ようと企んだリリスは頭の方へと近づいていく。
ゆっくりと耳元に近づいた時点で――異変に気付いた。
「………リリ、ス……?」
「……えっ、ちょ、ちょっと、リオンくん!?」
掠れた声に、赤い顔。
いつもは鋭いあの菫色も、今は焦点を結んでいない。
息遣いも、なんだか苦しそうで。
リリスはすぐに、彼が風邪を引いた事を理解した。
「………っ……待て…今……おきる…」
「ダメっ!じっとしてて!」
「………っ、」
「今氷枕持って来るから、待ってて。いいわね?」
「…………」
無理に起きようとするリオンに釘を刺す。
リリスの言葉に力なく頷く姿は、彼が相当弱っていることを示していた。


「……これでよし、と」
リリスの行動は迅速だった。
素早く氷枕と常備の風邪薬を用意し、お粥の材料を用意した後、桶に水を汲んでタオルを持って部屋へと戻った。
一通り用意が出来たので、リリスはリオンの向かいに座ってじっ、と目を見つめた。
「……リオンくん、最近夜更かししてたでしょ?」
「………っ、いや、」
「……してたでしょ?」
「………」
語気を強めて言うと、無言の頷きが返ってくる。
余りにも普通過ぎる原因に脱力しつつ、でもそれだったらただの風邪ね、と安堵する。
「とにかく、今日は大人しく寝てなさい?」
「………っ、だが、」
「ね・て・な・さ・い?」
にっこりと満面の笑みで、さっきよりも輪をかけて強い語気で釘を刺す。
リリスの表情の中で最も恐ろしいのは満面の笑み、とこの家の最年長であるトーマスは言っている。
まさしくこの表情がそれで、リオンは何の抵抗も出来ず、ただ頷くしかなかった。
「………わかっ、た」
「うん!分かればよろしい!」
言葉に従えば、いつも通りの笑顔が戻る。
「よしよし、ちゃんといい子にして寝てるのよ〜?」
からかい半分に、リリスはリオンの頭を撫でた。
きっと、こうすれば少しはいつも通りの皮肉が聞けると思って。
やはり、いつもは口を開けば皮肉、という感じの少年が力なく床に伏している様は、少々痛ましかった。
しかし、リリスの期待は意外な形で裏切られる。
「…………リリ、ス」
「あ、ごめん、やっぱり嫌だった――」
「………もっと」
「……え?」
「………もっと、して…くれ……」
「――ッ!?」
返って来たのは、皮肉ではなく、おねだりだった。
熱のせいで赤い顔に、潤んだ瞳の上目遣い。
いつもは低く響く声も、これまた熱のせいなのか、上擦った甘い声。
おまけに、恥ずかしそうに目を逸らしながらエプロンの端を摘むというオプション付きである。
完全に意表を突かれたリリスは、完全に硬直した。
しかし、程なくして真っ白な心に一つの感情が現れる。
(……かわいいっ……!)
いつも素直じゃなくてツンツンしている少年が、今は素直に甘えている。
少年の姉が見たら恐らく卒倒したかも知れないが、リリスは母性の塊の様な少女である。
しかもそれが気になっている少年の事となれば、リリスの胸の中は甘やかしたい衝動に満たされる。
「……うん、いいよ……いっぱい、甘やかしてあげる……♪」
半ば妖しさすら感じる笑みを浮かべ、リリスはリオンの上体を持ち上げた。
「………なに、を……んむっ――!」
「よしよし、辛かったね?苦しかったね?治るまでずっと私が看病してあげるから、何でも言って?」
胸にリオンの頭を抱き締め、頭を撫でながら優しく甘く言葉を落とす。
リオンは、ただリリスに身を任せ、彼女の体温と匂いに包まれていく。
頭から染み込む様に響く甘い声は、リオンの強固な理性を溶かし、心の底に抱えていた欲求が溢れ出す。
「……ん……すー……はー……」
「あん、もう……今日はやけに甘えん坊さんなのね?」
深く呼吸をし、リリスの匂いを身体に満たしていくリオンに、少し顔を赤らめながらリリスがからかう様に問いかける。
実際、今日のリオンの態度は異常と言っていい程だった。
普段の彼を知る者がこれを見れば、何かの間違いだと思うだろう。
しかし、リリスは違った。
(……本当は、こんなに甘えたかったんだ)
リリスは、リオンの過去について大体の事を兄から聞いていた。
生まれた時からずっと、家族の温もりを知らないまま育った少年。
兄と祖父、そして村の皆に愛されて育ったリリスには想像も難しい地獄。
その傷の鱗片を、彼女は今のリオンから感じ取っていた。
きっと、風邪を引いてもこんな風に看病してはくれなかったのだろう。
きっと、誰も彼に甘えることを許さなかったのだろう。
生まれてから、ずっと。
(………っ)
想像して、胸が痛む。
同時に、先程よりももっと純粋な母性が溢れ出した。
「……大丈夫だよ?私はずっとここにいるから。置いて行ったりしないから。ね?」
「………、」
一言一言が、リオンの心に染み込んで行く。
彼が心の底で欲していた言葉を、この少女はいつも与えてくれる。
未だに躊躇う「甘える」という行為。
しかし、情けないと分かっていてもリリスの優しさに包まれ、溶かされていく感覚はとても甘美で。
熱のせいでいつもよりストッパーが効かないリオンは、もう少しリリスに甘えたくなってしまった。
「…………」
「んー?どうしたの〜?」
胸から顔を少し上げ、上目遣いでリリスの瞳を見つめる。
物欲しそうなその視線に、リリスは心当たりがあった。
しかし、素直に甘えてくるリオンに対して悪戯心がくすぐられたリリスは、少し焦らす事にした。
「…………」
「なぁに?言ってくれないと分からないわよ?」
「………っ」
「うふふ♪」
からかわれていると分かったらしいリオンの表情を見て、リリスは楽しげに笑う。
胸に抱いたこの少年が愛しくて、髪を梳かすように優しく撫でる。
「………むぅ……んっ」
「んむっ!?……ん……はぁ……」
唐突に、拗ねたような表情を浮かべたリオンがリリスの唇に吸い付いた。
普段の彼ならまずあり得ないが、熱でいつもより大胆になっている彼はリリスの焦らしに耐えられなかったらしく、自分からキスをしたのである。
「……んっ……くふ………れろ……」
「……ん……んちゅ…………ん、はぁっ」
唇が離れ、二人の間に橋が架かる。
荒い息遣いだけが聞こえる中、リリスは混乱していた。
(……っ、今日のリオンくん、積極的過ぎる……!)
確かにキスをして欲しそうな顔だとは思っていたが、ここまで積極的なキスをされたのは初めてだった。
いつもと違う、真っ直ぐに自分を求めているかのようなキス。
思わぬ不意打ちに、思わず顔が赤くなる。
しかし、そうなると仕返ししたくなるのが性というもの。
リリスは、唐突にキスをしたことが恥ずかしかったのか、俯いて赤くなっているリオンに声をかけた。
「……リオンくん?」
「……ッ、ぁ……」
人によっては不機嫌そうに聞こえなくもない声で、名前を呼ぶ。
案の定ビクッとして怯えたようにこちらを見るリオンに、今度はリリスが覆い被さった。
「んむっ……ん……ふぁ、……んく、っ……」
「んちゅ……んふ……れろ……んっ、ふぅ……」
優しく包み込むような、激しく溶かしてしまうような、甘いキス。
愛しさが溢れて、胸が甘く溶ける感覚に頭が痺れる。
「……んん………んむっ……ちゅ、ぷぁ……」
「……んくっ………んふ、ぁ……んちゅ、ぷぁっ」
繋がりが解け、再び銀の橋が架かる。
「……おかえしっ」
「………っ」
そして、ふと随分時間が経ってしまっている事に気付いた。
「あ、いっけない!早くお粥作って来ないと!」
ちょっと待っててね、と言いながら立ち上がろうとして、エプロンの端に感じる違和感。
「………」
「……え、えっと、リオン、くん?」
見ると、リオンがエプロンを摘まんでいた。
縋るようにリリスを見て、掠れた声で引き止める。
「………まだ、いくな」
「……だ、だって、早く何か食べないと……」
困惑するリリスに、追撃が加わった。
「………いや、だ……っ……」
「――――ッ!」
今にも泣きそうな上目遣いで、じっと見つめられる。
(それ、卑怯だよ……)
寂しそうな、物欲しそうな表情にリリスは頭を押さえた。
とはいえ、ずっと甘やかしていれぱ風邪が治る訳ではない。
どうにかして階下に降りて、お粥を作って来なければならなかった。
少し考え、リリスは一つ作戦を思いついた。
正直、穴だらけの作戦だったが、何分時間がない。
覚悟を決め、リリスはもう一度リオンに顔を向けた。
「……もぉ………んっ」
「んくっ……ふぁ……」
再び、水音が部屋を支配する。
程なくして、リリスが唇を離した。
「お粥作ったらすぐに戻るから、大人しく待ってること!分かった?」
「………っ」
「……わ・か・っ・た?」
「………ん」
そのまま、勢い良くまくし立て、更には釘を刺す。
まさしく強行突破。しかし、取り敢えず狙い通りにはなったらしい。
「それじゃ、ちょっと降りてすぐ戻るから、いい子にしてなさいね?」
「………うん」
「じゃあ、ちょっと降りて来るわね!」
重ねて念を押し、リリスは素早く扉を出た。
部屋を出てすぐに、リリスは扉にもたれ掛かりながら床に座り込んだ。
「……早く、治さないと……私の心臓が持たなそうだよぉ……」
普段と違い、素直に甘えてくるリオンの姿は、可愛いが少し度が過ぎる。
下手をすると自分も駄目になりそうで、リリスはため息を付きながらまだ赤い顔を押さえた。
「……とにかく、ご飯作って来なきゃ!」
自分に喝を入れ、取り敢えずリリスはお粥を作る事に集中することにした。
その後食べさせる時の事は後回しである。
やや遅めの朝食を作りに、リリスは階段を駆け下りた。

慌ただしく動き始めたリリスを他所に、ウサギは呑気に朝食を食べていた。


prev | top | next



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -