☆逆リオンが泣く話
2014/03/21 00:46

これといって何でもない日の、いつもと変わらない夕食後の、さして面白いわけでもない時間だった。
夕食の片付けを二人で済ませ、食後のアイスなんかに小さな楽しみを感じながら、それでも特筆することのない日々のルーティンワークを終えただけだった。
先程からチャンネルを回し続けているテレビの画面を眺めながら、少年はひとつ、あくびを押さえる。
本日中にすべきことを粗方済ませ手持ち無沙汰になった二人は、ソファにもたれて画面の向こうの誰かが提供する娯楽に耽ろうとしていた。
が、あまりにも琴線に触れるものがない。人気アイドルグループが囃し立てられるだけの彼らの冠番組、売れた途端に漫才をやらなくなった司会芸人のクイズ番組、知っている歌手のライブ部分にすら興味の沸かない音楽番組、一度も見たことのない恋愛ドラマの最終回、名前も知らない偉い人の都合の良いように作られた報道特集…。
リモコンを片手に心底つまらなそうに画面を見つめていた彼は、今度はあくびの代わりに軽い溜め息で退屈を示した。
こんなことなら、膨大なコンテンツから自分好みの何かを選べる携帯端末をいじる方がよっぽど有意義な暇潰しになる。
それとも、いつもは相手が強すぎてやる気のしないテレビゲームのいくつかに、たまには付き合ってやろうか。
延々と情報を垂れ流す四角い箱から何の情報も受け取らないで、そうぼんやりと思索を巡らせた瞬間だった。

「!」

とん、と肩に何かがぶつかった。
ぶつかるだけでは飽きたらず、あろうことかそのまま体重を預けてくる。
驚いて見開いた翡翠がそちらに向くと、艶やかな黒髪を赤いリボンで結った少女が、いつもなら冷ややかな視線を投げ掛けてくる真紅を伏せていた。

「…寝たのか?」

この少女とこれだけの距離ならばどれくらいの声量を使えばちょうどいいのかがわからないままに、思わず戸惑ったような声が出る。
返事は、穏やかな寝息。
自身でも大概だとは思っていたが、座ったまま寝てしまうほど、番組が、この時間が退屈だったのか。
自分と同じくオリジナルがいて、使い捨ての鏡像だった彼女は、相変わらずからかっても照れたりしないし、可愛らしく満面の笑みを見せることもない。
夢に堕ちた少女に気を使ってか有意義な娯楽がないと見限ってか、薄い液晶の電源を切り、眠っている彼女の顔を眺める。
普段だったら2秒も見つめたら睨まれるので、まじまじと眺められる機会は貴重だった。
少年はこの行動に覚えがあった。自分達がまだ捨て駒として、神だか何だかわからない存在のもとで動いていた時のことだった。
あのときはまだ暗い森の中で、数秒もすればまた刺すような真紅がこちらへ向いた。
だが今は、何秒経っても、何十秒見つめてもその瞼が開くことはない。
ただただ規則正しい、小さな寝息だけが耳に届く。
このプライドの高い少女が自分にもたれるなど、お互いに距離を取っていたあの頃には考えられなかった。あの頃同じようにされていたら、自分は薄ら笑いを浮かべながら拒絶さえしたのではないだろうか。
真紅を秘める少女には、記憶に残っているような張り詰めた空気はない。安心しきった、安らかな寝顔だった。
相方の少女の眠りは、今の自分達の状態をすべて現しているようだった。少年は思う。あのときとは、何もかもが、そう、正反対なのだな、と。

「……っ、ぅ」

自分にもたれて眠る少女をぼんやりと観察していただけなのに、自分達の過去に何となく思いを馳せただけなのに。予期せず少年の喉から呻き声が漏れた。
それは、胸の奥から込み上げてくる、それでいながら喉の奥でつかえるような何かだった。吐き気にもよく似ていたが、そこまでの生理的な不快感はない。
むしろ、自分の感情をコントロールできない精神的な不快感の方が強かった。

「…っ、く……」

少年は勉学に対しての興味は薄いが、決して賢くないわけではない。
自身の不可解な心情の揺らぎに一瞬戸惑い、多少の苛立ちを覚えたが、その理由はすぐに理解した。
生死を賭けた戦いのないこの世界を、命を削るようなスリルを捨てて平和ボケしたこの世界を、実につまらないところだと感じていた。
いつからだったのか。
繰り返す日々に満足感すら感じるようになったのは。
いつからだったのか。
人前で屈託なく笑うことに抵抗がなくなったのは。
いつからだったのか。
隣で自分に身を委ねて眠る、色気のない青いジャージ姿の少女を守りたいと思うようになったのは。

「ふ……っ、なっさけ、ね」

およそ人に見られたくはない情けない姿を晒してはいるが、同じ空間にいる少女は意識を手放しているために、無理に抑えようとも思わなかった。
少女がもたれている方とは逆の腕で目元を覆うと、戸惑いの中に笑いすらこみ上げてきて、思わず唇の端が少し吊り上がる。
相方の規則的な寝息と、自分の不規則な咽びだけが静かな部屋に響いていた。

「………?」

なるべく肩を揺らさないよう、呼吸を抑えていたつもりなのだが。どうやら、あまり意味のない努力のようだった。
小さな寝ぼけ声が聞こえたかと思うと、体にかかっていた重みが、ぬくもりがゆっくりと離れる。

「どうしたの…?」
「べつ、に。なんでもねーよ」

眠たげな目を完全には開けられずに、少女はまだ回らない頭で少年の状態を把握していようとしているようだった。
特に彼女にどうして欲しいという要求もないので、少年は一番楽な、つっけんどんな態度を取ることを選択した。
それは逆に、涙で掠れた声のせいで、彼女に状況を悟られてしまったようだったけれど。

「…泣いている、の?」
「泣いてねーし」

とりあえずの状況を理解した真紅が見開かれ、少年の片腕で隠された翡翠をじっと探る。
彼女の泣き顔は前の世界の最期に見たことがあったが、自分の泣き顔は見せたことがなかった。
見せたいと思ったこともなかったし、むしろ見せたくはないものなのだが、意外にも見られてみればそこまで嫌な気もしなかった。

「…………。」
「んだよ、見せもんじゃねーぞ」

腕を少し浮かせて、自分を捕らえる彼女の視線を片目で軽く睨む。が、この程度の威嚇で彼女が怯むとは思っていないし、怯ませる気があったわけでもない。少し前までは、もっと鋭い、お互いを遠ざけるための、それでいながらどこか縋るようなやりとりが当たり前だったはずなのに。
彼女には普段からあまり表情の変化が見られないが、眉根を寄せてこちらを射抜く真紅が何に揺れているのかは予想がつく。
大方、出くわしたことのない状況を目の前にして、どうしていいかわからないのだろう。
彼としては放っておいてもらったほうが都合がいいので、少女にはそのまま狼狽えていてもらおうと思ったのだが。
少女の行動選択は、少年が思うよりずっと早かった。

「……、……。」

赤いリボンが揺れて、黒髪がぱさりと流れると、体勢を直した少女の細い指先が、金糸を優しくなぞっていた。
普段では考えられないような、彼女の予想外の行動に、少年は涙を流すのも忘れてぽかんとした表情のまま固まってしまう。
予想通り彼女にとってはあまり慣れない行動であったようで、少年の髪に絡まる白い指は、壊れ物を扱うかのように強張っていた。
指先の軌跡は、先程まで無遠慮に体重を預けてきたくせに、本当に触れていいのかどうか迷っているかのようだった。
遠慮がちに自身を撫で付ける不器用な指先が急に愛しくなって、少年は冷たいその手を少し乱暴に掴んだ。突然のことに驚いたのか、やはり触れてはいけなかったかと怯えたのか、冷えた指先がびくりと震えたのを気にも留めずに、そのまま口元へ持って行って流れるようにキスを落とした。

「な、何して」
「お前に特権を与えてやった、感謝しろ」
「…特権?」
「俺の頭を撫でられる権利」
「…いらないわよ、そんな権利」
「遠慮すんな、お前にだけだ」

女性という生き物は、「一人だけ」という限定された、自身を特別視した謳い文句に弱いことを、女好きの少年は知っていた。
少年にとっては一種の常套句でもある。が、彼女に対して使うそれだけは、本当に特別なものにしたいと密かに思った。
先程まで彼を襲っていたであろう感情の波は穏やかに静まって、既に悪戯な笑みを浮かべている少年に、少女は小さく安堵する。
そうして、自らもほんの少しだけ、笑顔を返してみせた。

「死んでも感謝はしないけれど…一回くらいは、使ってあげるわ」

金糸に触れる少女の手には今度は緊張はなく、翡翠を細める少年の目にももう涙はなかった。


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