そういう奴だと知っている。
誰も彼もが私の邪魔をする。
私はただ彼に会いたいだけなのに。
だからこそ──────
この男だけは、許さない。
+++
「──────そこまでよ」
凛とした声が響く。
その声の元を辿れば、女神と見紛うほどの美しい女性がそこにいた。
純白の装備に身を包み、凛々しくつり上がった瞳を眼前の男に向けながらレイピアを構える彼女は、さながら戦乙女のようだった。
「……なぜ貴様がここにいる」
戦乙女……血盟騎士団副団長《閃光》アスナという予想外の登場人物に、PoHは低い声で唸るように問いかけた。それはまるで"彼女ではない誰か"を待ち望んでいたような声色だった。しかし、それを裏切られた苛立ちをぶつけるように殺気を放つその男に、アスナは負けじと声を張り上げる。
「決まってるわ。貴方達を倒しに来たのよ!」
そういってアスナは一瞬でPoHへと肉薄した。
しかしそれを読んでいたのだろう。PoHはすぐにその剣を避けると、華麗なバックステップでアスナから距離をとった。
「チッ、攻略組様のお出ましかよ。わざわざ増援も解放ってか」
当てが外れた、と呟いたPoHは撤退の合図をする。
「逃げないで!」
「アンタの登場は予定外だったが、概ね目的は達成されたからな。また近いうちに会おうぜ」
崖の上に登ることは不可能。転移結晶も今はすぐには使えないはず。
そう考えていたアスナの耳に、つんざくような悲鳴が聞こえる。
「ぎゃああああ!」
「おー、すごいですねえ。やっぱ本物の攻略組様は切りがいがありますねー」
くるりと斧を振り回した後、モルテは一足先に攻略組の増援を切り刻んでいた。
まさに乱戦。しかしそれだけではない。
「幹部って言っても、自分たちだけで来るわけないっていうかぁー。増援には増援を、みたいなとこありますよねー」
軽口を叩いたモルテが、不意に上を指差す。
すると、崖の上からラフィン・コフィン所属プレイヤーが一斉に降りてきた。
「ッ!数が多い!」
アスナが一瞬そちらに目を向けてしまったがために、PoHはすぐに煙幕とともに姿を消した。
「待ちなさい!」
激しく打ち合う音が響く中、アスナはPoHの逃げた方向へと叫び声をあげた。
しかしそれは虚しくその場に響くだけ。
仲間を襲う数の暴力と、それに対抗するように戦う増援の者達。
アスナは一瞬逡巡したが、すぐにPoHを追うことを諦め、その場に残ったラフコフの対処に明け暮れた。
その後、合流した攻略組の活躍もあり、その場はそれ以上の死傷者が出ることはなかったが、攻略組の3軍のプレイヤーはタンクの副団長を筆頭に23人中8人を失うという悪夢に見舞われた。
時間稼ぎに徹していなければ、おそらくリーダーも生き残れはしなかっただろう。
「……言い方は悪いけれど、でも、最悪は免れたと言ってもいいでしょう」
アスナは亡くなったプレイヤーに対し黙祷を捧げた後、リーダーと二人で話し合う。
リーダーの男は、アスナへと顔を向けることはできなかった。
「なぜこの場所に来る事になったのか、教えて頂けますね?」
その質問に、ぐ、とリーダーの男は唇をかんだ。
「……《黒の剣士》を、粛清に来た」
「!」
予想していなかったわけではない。ただ、そこまでこの"3軍"と呼ばれている者達がキリトを恨んでいるとは知らなかったのだ。
「俺は、前にもPK連中から命を救ってもらったことがある。その時に俺を助けたのが、あの黒の剣士だった」
「……なのに、なぜ」
「今回、俺たちがここに来た理由の1番の理由は、とあるメッセージが届いたからだ。まあ罠だったわけだが……そこには『攻略組の落ちこぼれであるアンタ達を、俺が直々に指導してやるよ』と。そんな内容が書かれていた。ご丁寧に、場所も時間も指示されていた」
「……それを、なぜキリトくんが送ったと思ったんですか?」
「匿名でメール送れる奴なんて、このSAOでどれだけいるんだ?悪いが、そういう知識を持ってそうな心当たりがあるのはあなたのところの団長と、PoH、そして彼だけだ」
その返答にアスナは言い返せない。
特殊技能と言えばいいのか、普通なら出来ないことが出来てしまうという心当たりがあるのは、少なくともアスナの中でもその3人とアルゴだけだった。
「だからって、なぜ粛清をしようなんて思ったの?仮にも攻略組でしょう?」
思わず敬語が外れてしまうアスナに、リーダーは頭を振った。
「……裏切られたと思ったんだ。あの時助けられた時から、きっと世間に流れているビーターという悪い噂も全て嘘で、本当は清い人間なのだと。そう思っていたのに、信じていた俺たちがバカバカしく思えてしまった」
多かれ少なかれ、キリトに憧れを抱いていたリーダーたち3軍は、今回の黒の剣士ラフコフ加入のニュースにひどく狼狽した。それだけではない、清いと思っていたヒーローが、悪に染まってしまったのだと怒りの声すら上がった。
攻略組の中でもその声がひときわ大きく上がったのがこのギルドだっただけの話だ。
「そして極め付けにこのメールだ。俺たちは見下されているんだと感じたよ。攻略のトップを走れない俺たちを、ソロで駆け抜けてきたあの人がバカにして、稽古をつけるって言っているんだと。そう思ってしまった」
おそらくメールの送り主はPoHだろう。
だが、その可能性以上に、キリトへの憎しみが大きくなってしまっていた。
「……だが、バカは俺たちだった。キリトさんがいなければ、俺たちは全滅していたかもしれない」
「……え?」
アスナはそこで目を見開く。
「俺たちが足止めに徹していたのは、キリトさんの指示なんだ」
そう言ったリーダーの肩を、ガッとアスナは掴み揺さぶった。
「本当!?それは本当なの!」
揺さぶられた男は驚きながらも「ああ」と頷いた。
「前に助けてもらった時、どうしてもお礼がしたいからとメッセージを送れるように登録をしておいたんだ。まだあの時は取っ付きにくい感じじゃなかったってのもある」
「そ、それで?」
「今度は直接、その交換した先のキリトさんからメッセージが届いたんだ。俺たちが戦う数分前、俺にだけ送られてきたメッセージだった。もう今は読めない。ブロックされている」
「そんな……」
アスナは口を覆った。
キリトが、この人たちを間接的に救ったのだ。
「俺たちはその指示に従うか半信半疑だった。だが、現場にキリトさんが来なかったことで、そのメールが正しいことを確信したんだ。だから俺たちは、どうにか増援が来るまで持ちこたえようとしていた」
それが結果的に、全滅を防いだ。
「あの人がラフコフにいてもこんなメールを送ってくるってことは、絶対に無理やり加入させられただけだと今は俺たち全員がわかっている。PoHの目的はわからなかったが、これ以上あなたたちの邪魔をするつもりはない。……だが、今回のことでもう俺たちは大きく動けなくなってしまった。事実上の引退だ」
リーダーの男はそういって、タンクの男が落とした盾を見つめていた。
「元はと言えば、キリトさんを粛清しようとした俺たちが全て悪い。だが、そんな俺たちも救おうとしたキリトさんを、あのままラフコフにおいておけるわけもない。だから、虫がいいのは承知で貴方にお願いがしたい。……頼む。キリトさんを、俺たちの英雄を、救ってくれ」
そう言って深く頭を下げたその男に、アスナはゆっくりと頷いた。
「……勿論です。絶対、彼を救い出してみせます」
そう答えたアスナに、男は苦しそうに涙を流した。
+++
▼《ラフィン・コフィン》アジト内
「……よお、お前ら。おかえり?」
アジトへと戻ったPoHたちを迎えたキリトに、PoHは目を細めた。
「やってくれたな」
「なんのことだか」
しらばっくれるキリトに、PoHは苛立ったようにドアを開けてズカズカと音を立てて部屋を出た。
「キリトさんのせいなんですかー?」
「何かあったのか?」
そう言って笑えば、モルテも笑い返した。しかしその笑みが引きつっていたのはキリトの気のせいであろう。
「ザザとジョーは?」
「さあ、どうしたんでしょうねえー」
そう答えた後、ひらひらと手を振って自室へと戻るモルテを見送り、キリトも用は済んだとばかりに部屋へと戻った。
これでしばらくは大人しくせざるを得ないだろうとキリトが考えながら、ロクに警戒もしないまま自室のドアをガチャリと開ければ、目の前にPoHがいた。
「!」
逃げる暇もなく肩を掴まれ、ベッドへと放り投げられる。
「ッ」
受け身を取り損ねた身体はベッドによって受け止められたが、畳み掛けるようにPoHが上へとのしかかる。
「──────オマエが来ると思っていた」
その言葉に、キリトは目を細めた。それはキリトも考えたことだ。だが、そうすれば攻略組と協力してラフコフを壊滅させるという作戦が水の泡になる。それを避けるため、わざわざ危険な橋を渡ってアルゴと接触し、アスナたちKSAを動かしたのだ。
「なんのことだか、わからないな」
「オマエはオレを追いかけてくれると思っていた」
自分勝手な言い分に、キリトは鼻で笑った。
「追いかけたら、どうしていた?」
「愛していたに決まってるだろ?」
予想通りの答えに、キリトは苦笑する。
こいつの「愛する」とは、つまり殺すと言うことだ。
「どうして追いかけて来なかった」
端正な顔立ちが、悲しみを孕んだように歪む。
しかし俺はその顔を見ても、申し訳なさは全くなかった。どころか、苛立ちすら覚えた。
「俺はお前のそう言うところが嫌いだ。なぜ追いかける必要がある?俺はヒーローじゃないと何度言わせればわかる」
「なら、なぜあの場所に【閃光】は来る事が出来た?」
その言葉に、俺は反応を間違えた。一瞬押し黙ってしまったのだ。
「……へえ、アスナが来たのか」
「嘘が下手だな、キリト。オマエが呼び出したんだろう?わざわざ足止めさせてまで」
「なぜそう思う」
そう問いかければ、PoHは決まっている、と言いたげに囁いた。
「オレの信じているオマエなら、そうするからだ」
その答えに、俺は片手で目元を覆った。
なぜ、こいつはこんなにも俺を信じているのだろう。
俺はただのちょっとレベルの高いソロプレイヤーで、神でもなければ天使でもない。
そもそもこいつが信じる俺はいつも都合のいい存在のように思える。
「オマエお抱えのネズミがいることぐらい、オレが知らないとでも思ってんのか?」
その言葉に、今度こそオレは眉根を寄せた。
「あのな、PoH。休めって言う割に休ませてくれないのはお前達だろうが!」
そもそも、アルゴの存在をこいつが知らないわけがない。俺を野放しにしたのも、確認のためだ。数人監視につけていたことも知っている。今回はうまく撒いたが。
だが、それが【アルゴ】だとはわからないはずだ。
俺もアルゴもそれぐらいの対策はしているし、でなければ呼びつけたりしない。アルゴの命だけは狙わせてなるものか。
「だいたいなあ、お前達はわかりやすいんだよ!幹部でぞろぞろ出かけたら目立つに決まってるだろうが!俺じゃなくても警戒するだろ」
そういって半眼で睨めば、PoHは嬉しそうに笑った。
「認めたな」
「確信犯だった癖に良く言う。オレが直接駆けつけたらお前以外のラフコフ連中が黙ってないに決まってるだろう。なんでそんなことするんだ」
「オマエに追いかけられたかったんだよ」
「開き直るな。大体、俺一人で何ができる。あの人数を一人で捌けるわけないだろう」
ふん、と顔を背ければ、PoHは俺の頬を撫でた。
「オマエなら可能だと思うがな。けどまあ、早速《KSA》を動かすとは思わなかったぜ。あの女の反応を見る限り、キリトが直接関わったんじゃねえんだろ」
「言う必要がない。お前の殺人衝動に律儀に付き合う気もない。血なまぐさいお前とは寝たくない。でてけ」
ぐ、と厚い胸板を押し返す。
もう話し合いは不要だと言うように会話を断ち切れば、PoHは案外あっさりと俺の上から退いた。
「血の匂いなんてしねェだろ」
「するんだよ。……するんだ」
悲しそうに囁けば、PoHは口元を歪め、目を細めた。
「キリト」
「?……ッ!」
不意打ちでされた口付けに、俺は瞠目する。
「PoH!」
今日はもうそういった事はしないと言ったのに手を出すとは。
何をするんだと顔をPoHへと向ける。
しかしそこに浮かんでいた表情を……否、その瞳と視線があった時、俺はびくりと肩を竦ませた。
「なあ、キリト」
俺の瞳に映ったPoHの表情は、まるで悪魔のように美しかった。
残忍で、狡猾で、そしてひどく美しい、その顔。
「愛してる」
いつも通りの言葉だ。
いつも通りの、いつもと同じ、独りよがりな愛の言葉。
なのに、どうして。
「……俺はお前が嫌い。……嫌いだよ、PoH」
そんな、愛おしそうに笑うんだろう。
+++
「おかえり、アーちゃん」
ひらひらと手を振ってアスナを迎えたのは、指定した圏内のカフェでまったりとパンをかじっているアルゴだった。
「アルゴさん、あの情報のことだけど」
「おっと、そいつはいくらアーちゃんでも言えねーナ」
ストップ、と手を上げる。
「オイラはKSAに役立つ情報を教えル。アーちゃんたちはその情報をもとに動くカ、別のことに使うかを決めル、winwinの関係のはずダ。それ以上踏み込むナラ、料金払ってもらうヨ」
「いいわ、いくら?」
「アーちゃんがその情報を欲しがってたっテ、情報源の奴に等価交換で教えル。それが条件ダ」
アルゴはす、と目を細める。
「……それでも」
「ちなみにこの情報をアーちゃんに渡す事デ、最低でも二人の命が危険に晒されル。それでいいなら教えてやれるヨ」
「!」
アルゴはキリトとこの情報について契約し、事前に打ち合わせしている。キリトとアルゴ、二人を危険にさらしてまでアスナはこの情報の詳細を求めない。
だが、アルゴからしてみれば、これは言ったも同然だった。
「キリトくん、なのね」
「サー、どうかナー」
もしゃもしゃとサンドイッチを口に詰めるアルゴを、アスナは黙って見つめた。
今回、キリトが足止めに徹するように指示したメールも、私たちにアルゴさんから攻略組を動かすように指示が来たのも、偶然なはずがない。
ずっと【笑う棺桶】を見張っていたならまだしも、そんな余裕はなかっただろうし、何より場所の見当がついていなかったはずだ。なのにピンポイントで場所を指定できたという事は、協力者……内通者がいるということに他ならない。
「団長は、知ってるんですか」
「報告はしたカナー」
アルゴには団長への報告義務がある。
《KSA》は実質アスナが取り仕切っているが、トップはヒースクリフだ。
今回の件で多少なりともキリトの行動指針がつかめた気がする。
「ま、オイラはオイラで勝手にやるサ。アーちゃんは攻略に集中しナ」
「……ええ。よろしくお願いしますね」
アルゴはニッと笑って、席を立った。
タッタッと身軽に姿を消すアルゴの後ろ姿を、アスナはじっと見送った。
+++
▼《KoB》団長室
コンコン、とドアのノックを聞いたヒースクリフは「どうぞ」と声をあげた。
「団長サンに報告だヨ」
「今紅茶を淹れよう。座ってくれ」
「お構いなくナー。早速本題だガ、キリトが接触してきタゾ」
「ほお」
驚いたように声をあげた団長に、知ってたくせにと内心でアルゴは笑ったが、表情には出さず先に報告を済ませる。
「キリトを粛清しようとしてた3軍連中が、まんまとPoHの策に引っかかって大ピンチってのを教えてくれたのが今回の接触理由ってとこだナ」
「そうか。それ以外に何か言っていなかったかね」
「……攻略に必要なマップと出るモンスターの詳細、それから必要な準備、なぜ攻略組トップが死んだのカ、その情報全部……だとサ」
「!」
今度こそ本当にヒースクリフは目を見開いた。
この男がこうも感情をあらわにするのは珍しい。やはりキリトは特別なんだナーとアルゴは呑気に考える。
「万一のため、だそうダ」
「万一のため、か」
ヒースクリフは口元に笑みを浮かべた。
「あんたらの考えは大体予想つくけどナ。大方攻略組に戻るためにキリトは今動いてるんだロ」
確信を突いたアルゴに、ヒースクリフは笑った。
「正解だ。よく知っているね」
「キー坊の考えそうな事だからナ。だが、3軍の粛清はPoHの独断だと思うネ」
「理由は?」
「今回、3軍を呼び出すために使われたのが"匿名のメール"らしい」
「アスナ君から聞いたよ」
アルゴは自分の推論を述べていく。
「キー坊がグリーンだったから、だナ。理由はいくつかあるガ、これだけ時間が経っていてもカーソルがオレンジになっていないのは誰にも危害を加えていないからだロ。もちろんクエストこなしてグリーンに戻ったって可能性もなくはないケド、それならキー坊はモロに態度に出るからナ」
だから、今回わざわざ自分がレッドに堕ちるような作戦を立てたわけではないとアルゴは確信している。PoHならやりかねないというのは毎度のことだ。判断材料にはならない。
「それに、キー坊は途中で時間稼ぎに専念するようにメールを直接送ったって言ってたからナ。あいつらはそのおかげで命拾いしたんダ。キリトを攻略組から排除してようとしていたにも関わらズ」
そこで、アルゴはふ、と口を緩めた。
「なぜかと問いかけたら『ただの、わがままだよ』って返されタ。それが答えなんだろうヨ」
そう言ったアルゴの表情に、ヒースクリフも頬を緩めた。
「全く、キリト君には敵わないな」
そう言って。
そういう奴だと知っている。
END!
────────────
はい。
キリト君がめちゃいいこだって話です。
PoHもヒースクリフもアルゴもアスナちゃんも、みんなキリト君が大好きです。
キリト君の人となりがどういうものか知っているからこそ、手に入れようと、取り返そうと必死になる。
PoHは自分勝手ですがキリト君を誰よりも信じているので、その期待を向けられるキリト君は大変だと思います。でも毎回期待を超えるようなことしてくるからキリト君もそういうとこやぞってなる。
前編後編みたいになりましたが、久々のシリーズ更新で楽しかったです。
ありがとうございました!
更新日:2019/06/01
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