今宵、勝利の美酒を

 世界はいつだって私の思い通りになると思っていた。
この世界でさえ、それは変わらないのだと思っていた。
この男が私を見つめる瞳さえ。
今までと変わらず、なんの感慨も抱かなかったというのに?

「誰だ、お前は」

 立ち上がる。その存在は、剣を携えている。
赤い薔薇の剣だ。黒い大樹のような剣だ。
その瞳は、燃えていた。

「誰だ、お前は!」

 滅多に声を荒げることがない自分の声に驚く事すらできず、目の前の存在は私に剣を突きつける。まるでそれが答えだとでもいうように。

「俺が誰か、だと?」

 その声は、大人とは呼べないものだった。背丈も成人男性には決して及ばない、未成熟なもの。しかし、しかし。その瞳を見た瞬間、全身の血が沸騰したかのような錯覚を起こした。
今までの誰とも違う瞳だ。あの静謐な、別世界で追い求めていたスナイパーとも違う。
私はその瞳に、原点を思い出してしまった。

「お前を倒す、英雄だよ」

 その声は落ち着いていた。
それが逆に、私の心を支配する。私は魔王だ。そうであった。そうなのだ。その魔王に対する切り札が、英雄と呼ぶべきその少年だということも、頭のどこかでは理解していたのだろう。
自らを律するように、覚悟を決めて「英雄」と名乗ったその少年の魂は、この世界のどんな魂よりも高潔で、純粋で、美しいのだろう。
 ゾワッ、と背筋に戦慄が走る。これは興奮だ。今まで味わったことがごくわずかしかない、甘い感情だ。人間を殺す際にしか感じることのできない高揚を、今の私は感じているのだ。

「お前の魂、是非欲しい」

 日本語で話すことも忘れた私は、彼の魂に触れることしか考えられなかった。少年はそんな私を見ても、落ち着いていた。
 英雄とは、こういうものなのだろうか。
私を止めなければ真実この世界は滅ぶのだろう。それを食い止めるために立ちはだかるこの存在を、私は魔王として受け止めなくてはならない。
その過程で得た戦利品をどうしようと、私の自由なはずだ。
この少年の魂をコピーして、存分に舐め、しゃぶり尽くし、本体の魂は大事に大事にとっておき、とっておきの日に取り出して眺めるのがいいだろう。
 今ここで会ったばかりの魂に、私はすでにそんな想像を膨らませるほど惚れてしまったのだ。初めて殺した幼なじみの少女と同じかそれ以上の興奮を、この少年に受け止めてもらう事。
それこそが、この世界にきた意味と言っても良かった。

「君を手に入れ、今宵、勝利の美酒をいただくとしよう」

 口元が歪んでいることに、自分ですら気がつかなかった。
彼は私のそんな言葉を聞くと、無言で構えをとった。まるで私の言葉はもう必要ない、と言われているようだった。 誰も知ることのないこの少年の魂を、私は今宵、愛することに決めたのだ。


+++


 世界が終わる音が聞こえる。恐怖が渦を巻き、そしてこの世界から追放される。
知りたくなかった感情が、私の中に渦を巻いていく。
ああ、アリシア。来るな。いやだ。私は、魂を。

──────だめよ。だって、ずっと一緒にいてくれるんでしょう?

 甘やかな声だ。
甘すぎて、狂いそうになる声だ。
誰か。いやだ。やめろ。やめろ!
 
 手を伸ばす。
暗く深い世界の底に沈む。沈んでいく。
誰も助けてはくれない。
それが報いだとでもいうように、小さな少女は笑った。

──────ありがとう、英雄さん。

 その言葉を聞き終わらないうちに、現実世界の心臓は止まった。
魂がその体から見えることは、なかった。




+++


「キリトくん、何を飲んでるの?」
「ワイン」
「キリトくんワイン好きだっけ」
「いや、なんとなく。大人の味、っていまだによくわかんない」

 アスナがクスクスと笑う。俺は辛いものは好きだが酒の味には詳しくないのだ。甘いものは好きなので、赤ワインが飲めないということでもないのだが、好き好んで飲むようになるのはもう少し先だろう。

「偉大なるワインを造るには、次なる人達が必要である。狂人がぶどうを育て、賢者がそれを見張り、正気の詩人がワインを造り、愛好家がそれを飲む」

 アスナがつらつらと語ったそれに、俺は首を傾げる。

「画家のサルバドール・ダリって知ってる?あの人がワインについて語った一説よ」
「へえ」

 俺はアスナの豆知識に頷く。なるほど確かに、そう言った意味ではこの世界のワインは全員正気を保っているのだから現実のワインとは違うのだろう。

「アスナも飲むか?」
「そうね。一杯だけ」

 グラスに赤い液体が注がれる。ワイングラスを打ち合わせるようなことはしない。その辺はアスナの方が詳しい。

「何に乾杯する?」
「そうねえ……」

 アスナは少し考えて、笑った。

「綺麗な月に」
「──────乾杯」

 飲んだ酒はやっぱり今の俺の口には合わなくて、渋面を作った。その顔に笑ったアスナの顔を見て、俺も笑ってしまった。
次に飲むなら、次は甘い蜂蜜酒がいい。
そう思いながら、残ったワインを飲み干した。



宵、勝利の美酒を


END!
────────────

酒は旨いか?それならどうか。

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