憎しみの狭間で

 俺がなぜ攻略組から離れる決断をしたかの話をしよう。
あれは攻略組でボスの攻略ルートをマッピングしている最中だった。もとよりソロとして活動していた俺は、攻略組の中でも突出したレベルで、難なく敵を屠っていた。モンスター相手に躊躇などしないし、経験値稼ぎにもちょうどよかった。もちろん隊列を乱さないように、溢れたモンスターを狩るのが主な仕事だった。しかし、だからこそ気付くのが遅れた。

『────!モンスターの集団だ!』

異常事態、と言ってもよかった。新しい階層、新しいマップ、不慣れなパーティメンバー。事前情報の足りない中、それでもよく戦ったと褒められてもいいぐらいだった。しかし、そうはならなかった。モンスターの大群をなんとか捌き切ったと思った矢先、パーティを分断するように道が割れた。嵌められた、と悟ったのはもっと後になってからだ。俺はその時別れたパーティを指揮する立場に立った。なんとかこちらに流れてきたモンスターを倒そうと専念していた。いや、これも言い訳だろう。俺はソロ活動が長いあまり、他者を気にかけることを疎かにしていた。たとえ俺の相手取るモンスターの数が異様に多かろうが、他より強いモンスターが集まっていたからであろうが、それでも指揮する立場だったのだからと言われればそれまでだ。だからこそ、モンスターにばかり気を取られていた俺は気付けなかった。攻略組の中に潜む闇に。モンスターの大群を俺に押し付け、そしてその中で俺以外のパーティメンバーを後ろから崖下に故意に突き落とした存在を見抜くことができなかった事に。悲鳴が背後から上がった事に気付けても、モンスターがいなくなるわけではない。モンスターを一掃できた頃には、パーティメンバーが一人欠けている事に気づいてしまった。

「あの人は!」
「……死んだよ。崖下に落ちて」
「ッ……!」

俺は黒猫団の団長のことを思い出した。目の前で自殺した彼。止めることができなかった彼の姿。あの怨嗟。けれど、今回はあの時とは違う。大丈夫、と自分に言い聞かせようとした時。

「あんたのせいだ」

俺に指を突きつけて、そう言った男がいた。俺は目を見開いてその男を凝視する。とても派手な色の髪をしていた。ピンクに黄緑のメッシュが入った髪を揺らしたその男は、俺に叫んだ。

「お前がちゃんと周囲を見ていなかったから!お前の指示が悪かったから!」

そう口にしたピンクの髪の男の言葉は、俺の心を深く抉った。俺がもっと周囲を見ていれば。俺の指示が正しければ。そうすれば、被害はゼロで済んだのではないか。

「おい、言い過ぎだぞ。キリトさんがいなきゃ俺らはあのモンスターに呑まれて死んでいた」

そう俺を庇ってくれた人もいたが、ピンクの髪の男はなおも言い募る。

「じゃあ死んだのは仕方なかったって言いたいのか!?一番レベルが高いなら、もっと俺らのために戦ってくれてもよかっただろ!あいつが悲鳴を上げた時、こっちを心配して来てくれてもよかっただろ!なんで放置したんだ!」

 後から分かったことだが、あの時の悲鳴はこのピンクの髪の男が死んだプレイヤーを突き落とす際にあげられたものだったらしい。つまり、この派手な頭の男がいなければそもそも死ぬことはなかったということだ。自分の罪の責任を全て俺に押し付け、逃亡する算段だったらしい。レッドプレイヤーである証のオレンジカーソルはその男にはない。崖から故意に突き落としたか、それともモンスターの戦闘で仲間を庇おうとしてのものだったのかの判断は曖昧なものなのだろう。事故だった、とすればそれまでだ。いかにもラフコフのメンバーだなと、後になって俺は思った。

「……すまない」

俺は謝罪するしかできなかった。それが、指揮をする立場に求められた責任でもあると思ったからだ。レベルが一番高いから、経験が豊富だからという理由で臨時メンバーの責任者になった俺の謝罪は、その場の空気を重くした。そのあとも、道が別れた以上合流するまでに何事もないわけではない。モンスターの襲来は相変わらず多いし、事故とはいえ俺以外のメンバーの仲が良かった奴らにとっては仲間が死んだという認識なのだ。気分も重く、そんな中で裏切り者がいるのだという事に気をまわせないのは仕方なかったのかもしれない。ついには、ピンク髪の男以外からも俺を非難する声が上がった。

「なぁ、ほんとにこっちの道で合ってんのか?」
「マップの傾向からはそうだと思う」

俺の答えに、苛立ったように俺にその質問をした男が声を上げた。

「そう言いながら、全然合流できねぇじゃねぇか!あんた、ビーターなんだろ!?じゃあもっとしっかり案内してくれよ!」

長時間の移動と戦闘が続き、食料も美味しいものではなく、そして何より仲間を失った悲しみが癒えていない状態で、誰かを責めたかったのだろう。俺にその矛先が向くのは、当然だったのかもしれない。

「俺もこのマップは初めてだし、βテストの時の情報なんかもう役に立たない。とっくにβテストプレイヤーとしての恩恵はないよ」

俺がそう答えれば、その答えは欲しかったものと違ったのだろう、さらに顔を赤くして怒鳴ってきた。

「なら、もういい!俺に指揮権をよこせ!」
「……分かった」

そうして俺はそのパーティメンバーの指揮権をその男に譲渡した。それからは先ほどまでと違い、パーティの雰囲気が和らいだように見えた。モンスターも襲いかかってこなかった。別れてしまっていた別働隊との合流もスムーズだった。そして言われたのだ。

「やっぱりあいつに任せたから上手くいかなかったんだ」
「ビーターだから調子に乗ったんだ」
「レベルがちょっと高いからって迷惑なんだよ」
「指揮を譲ってからの方が上手くいった」

とまぁ、言いたい放題言ってくれた。極め付けに、ピンク髪の男が口を開いた。

「仲間が死んだのはあいつのせいだ。人殺しだ」

と。そこからは非難轟々、合流したメンバーからも非難され、責任の所在を求められ、そして俺は疲弊したままその攻略から外れることとなった。そのピンク髪の男が嗤っていた事に俺は最後まで気付かなかった。


+


 そんな出来事があり、俺は心身ともに疲弊していた。雨の降るフィールドで湧き出るモンスターを片っ端から屠り、削れていくHPバーにも頓着せず、ただただ一人になりたくて、誰もいない場所で涙を流しながら戦っていた。上がるレベルを忌々しく思ったけれど、身を削る戦い方をする俺に何も言う相手がいない事が、今はとても安心できた。
 嫌われ者だっていうのもわかってる。始まりの街にクラインを見捨てたこともわかってる。サチたちを殺したことも、わかってる。さっきの戦いで周りを見れていたら。いや、もっと前からずっと、俺は、だから一人でいたかったのに。誰かと一緒にいれば、またこうして失うことをわかっていたはずだったのに。だったらやっぱり、俺のせいなのかな。俺が、身の程を弁えず、俺がモンスターを惹きつけて戦えば少しは他が楽になると思っての行動も、迷惑だったのかな。
 目が濁る。どうしようもないほどの絶望が襲いかかる。モンスターがその場に出現しなくなると同時に赤いHPバーが点滅していることにも気がついていたけれど、全てどうでも良くなってしまった。その場に剣を落とし、ぺたんと座り込んだ。
──────疲れた。
俺は、どうするべきだったんだろう。この世界をクリアするために動いていた。それが間違いだとは思わない。だって、俺にはそれしかなかった。初めてできた仲間を見捨てた俺には。初めて受け入れてくれた黒猫団のみんなを死なせた俺には。ビーターとして嫌われている俺には。このゲームをクリアすることでしか、贖罪にならないんだと、ずっとそう思っていた。そして俺は、これだけ人を殺したソード・アート・オンラインというゲームを、嫌いにはなれない。どうして、と思うことはある。憎いと思う気持ちも。けれど、それでも。俺は、このゲームを愛しているのだ。居場所のなかった俺を受け入れてくれた、たった一つの世界。現実世界でも、俺は俺の居場所を見つけられなかった。でもここなら、俺はモンスターを倒して、未知の世界に飛び込んで、浮遊する鉄の城でラスボスを倒せば、認めてもらえる。この世界の全てが愛おしい。最初に俺を受け入れてくれた、あの親子のNPCと出会ってからずっと。この世界のAIごと全て、俺は愛おしいのだ。そう、思っているけれど、でも。
立ち上がるには、もう、今は。

「雨に濡れた子猫みてェだな」

俯いた俺の隣から、声が聞こえた。俺はさらにひどくなった雨の中、顔をそちらへゆるゆると向けた。黒いポンチョの男が、笑いながら立っていた。だらりと右手から垂れ下がるダガーは、死神の姿を思わせた。その姿に、俺は虚な瞳のまま微笑んだ。そんな俺の表情を見た男は一瞬息を呑むと、ダガーをその場に突き立て、俺にさらに近付いた。俺が剣も取らず座ったままであるのを見たその死神は、濡れた俺の頬に手を伸ばした。そして、その頬に触れた。ピタ、と音がする。疲弊し切っていた俺にとって、もはや何もかもがどうでも良かった。HPバーが赤く点滅していることに、この男ならすぐに気づいただろう。もう風前の灯で、自前の赤黒く血を啜る《友切包丁》で切りつけずとも、モンスターの爪で消える命だと。

「死にたがりの顔だ」
「殺してくれるのか?」

俺は男の柔らかく優しささえ感じる声に、そう返した。殺されるなら、それでもいい。この男は、俺の恐怖の象徴だ。こいつだけは、俺の心の奥深くに傷をつけて、きっと生きている限りずっと俺と共に歩むことになる恐怖を刻みつけた。そんな存在が、今、目の前にいる。それだというのに、俺の心はひどく凪いでいた。そんな俺に、死神は屈んで口付けた。ちゅ、と、触れるだけの軽いもの。俺が驚きに目を見張ると、ようやくフードの下の瞳が嬉しそうに輝いた。

「……PoH?」

俺がその名前を呼べば、PoHと呼ばれたその死神は、俺に甘い声でこう囁いた。

Prince of Hellプリンス オブ へル、で、PoHだ」
「……地獄の王子様?」
「契約しようぜ、キリト」

地獄の王子だというその男は、俺の目の前にしゃがみ込んだままそう口にした。俺の瞳に映るその顔は、半分以上フードに隠れていて見えない。だから俺は手を伸ばして、そのフードをぱさりと脱がした。先ほどまで雨合羽に身を包んでいたその男の顔を、初めて見た。綺麗で整った顔立ち。なるほど、王子様と言われても納得できる。彫りが深い美しい海外の血が入っているその顔をまじまじと見つめた。赤い瞳に映されているのは、俺だ。

「死にかけの俺に契約するほどの価値はないだろう」

そう口にすれば、PoHは苦笑した。

「キリトってだけで価値があるんだよ」
「……PoHって俺のこと好きなの?」

さっきのキスといい、今といい。ありえないと思いつつそう問い掛ければ、PoHは目を細めて微笑んだ。

「愛してる」

好き、ではなく、愛してる、と返された俺は狼狽した。初めて告白らしい告白をされて、戸惑ってしまう。しかもこんな時に。怖い。

「そう言って、飽きたら、捨てるんだろ」

怯えたような瞳をすれば、PoHは怯えた俺を抱き寄せた。身を捩るけれどびくともしない。本気で抵抗するだけの気力はない。でも、このままだと、俺はきっと、こいつに。

「キリト。愛している。オマエだけしかいない。オレは、オマエだけを望んでる。だから、キリト。オマエがオレを望むなら、それを拒んだりはしない」
「……卑怯だ」
「今更だな」
「俺は、お前が嫌いだ」
「知ってる」
「今、弱ってる時に、そんなこと言うな!」
「弱みにつけ込むのは常套手段だろ」
「なんで、今、ここにいるんだよ。一人にさせてくれ。ほっといてくれ。俺は、ひとりじゃないと……っ」

一人じゃないと、なんだ?もうどうせ、俺は最初から一人だろう。けど、こいつなら、いいんじゃないか?最初から最低だってわかってるやつだ。怖いことばっかりする、殺人者だ。けど、俺だってさっき、人殺しだって言われたじゃないか。何が違う?俺もこいつも、人殺しなことには変わりないのに。

「キリト」

俺の名前を呼ぶPoHの声は、優しい。

「疲れたんだ。立ち上がれない。お前の望む俺じゃない」
「それでもいい。オレはオマエを愛してる。立ち上がれないなら、オマエが立ち上がれるようになるまで、オレの元で休んでいけばいい」

その言葉に、俺はPoHの背中に手を回し、しがみついた。

「……助けて」
「助ける」

そうして、地獄の王子との契約は相成った。契約内容は、キリトを愛して、許して、休ませること。期限は、キリトが立ち上がれるまで。


そうして、《黒の剣士》は誰よりも人を殺した男の手を取った。



しみの狭間で


END!
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めちゃ久しぶりの更新です!
完結してないシリーズもの程苦しいものはない、と自分で言っておいてこのシリーズ完結してないじゃんと思ったので慌てて更新をしました。元になる話はすでに完結しておりますが、解釈が全然当時と違うのでもはや別物です。でも個人的にはこっちの話の方が自分で納得できるので好きです。
SAO、本編全然読めてないんですよ。購入はしているんですが……読めないままヴァサゴの再登場あったら心臓止まるかもしれない。でも覚悟がいるんです。18巻読むのにどれだけ覚悟が必要だったか。今もその状態です。

シリーズの方、最終話に向けてもう少しペースを上げて更新したいです。
ありがとうございました!

更新日:2023.05.26

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