腕時計を一瞥した津軽さんは、鋭い目を外へ向けた。
「読みが甘かったな。思った以上に混んでる」
動かないタクシー。
夕方のこの時間、道路は予想以上に混雑していた。
時季的なものもあるのだろう。
一年の終わりが近づくこの頃は、街も人も忙しない。
「あと1キロ弱か…。ウサ」
低い声で呼ばれる。
車窓に浮かぶ端正な顔は厳しさを緩めない。
「はい」
「いけるな?」
「いけます。問題ありません」
私はスーツのポケットから財布を取り出しながら答えた。
頷いた津軽さんは、すぐに運転手へ告げた。
「すみません、ここで降ろしていただけますか」
「お釣りはいりませんので!」
お札を置いて、私たちはタクシーを飛び降りた。
「走るぞ!」
「はい!!」
瞬時に流れ始める景色。
張り詰めた冬の空気が全身を打つ。
津軽さんと並んで全力で走った。
「ウサ、もっと速く!」
「わかってます!」
(動け、私の足!! )
冷たい風が頬を刺し、気管を抜けて肺の奥まで沁み渡る。
吐く息は冬の街に馴染むようにして消え、後には何も残らない。
留まることを許さない、潔く凛とした空気───
ああ今年もこの季節が来たんだなと、頭の片隅で呑気なことを思う。
気を抜くと転んでしまいそうだから本当は余裕なんて無い。
通行人にぶつからないようにするのも楽ではなく、街のイルミネーションを楽しむ余地などあるはずもないけれど。
それでもやっぱり、視界の両端で輝く街路樹はとても綺麗だ。
(津軽さんと一緒に走ることは何度もあった)
(こうやって何年も一緒にやってきたんだから)
(絶対に二人で間に合ってみせるっ!)
焦燥を振り切って懸命に走る。
肌に滲む汗を感じながら、喉に張り付く息を何度も何度も引き剥がす。
失敗するわけにはいかない。
絶対に成功させてみせる。
津軽さんも同じ気持ちのはずだから───
私たちは前だけを向いて走り続けた。
目的の建物が見えた頃、腕時計に目を走らせれば時刻は16:55。
ギリギリだ。
「建物の見取り図は頭に入ってるな?」
津軽さんが声を張る。
見やると彼の額にも汗が浮かんでいた。
「エレベーター奥の階段で2階、一番目の角を左です!」
上がる息を宥めながら、叫ぶように答える。
「上出来。1秒も無駄にするなよ」
「はい!」
エントランスをくぐり抜けて奥へと走る。
速度を緩めることなく、大きな音を立てて階段を駆け上がる。
2階の床を踏むと同時に、津軽さんがスーツの内ポケットに右手を差し込んだ。
高まる緊張。
心臓が大きな音を立てた。
角を曲がり、ドアをくぐり、勢いを落とさず奥へと進む。
目的地は千代田区役所、総合窓口課。
戸籍係だ。
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