時刻はすでに23:30を回っていた。



「もうすぐクリスマスが終わる…」



残業していた職員も一人また一人と退庁し、この時間に残っているのは私だけ。



「疲れたなぁ」



デスクに飾られた小さなクリスマスツリー。


書く手を止めて、控えめに点滅する姿を眺める。

華やかさの欠片もない毎日だけど、黒澤さんが置いてくれたこれのお陰で割とクリスマス気分が味わえた気がする。



(結局経費で落とせたのかな)



しまう前にもう一度お礼を言おうと思ったその時、公安課のドアが開いた。



「あ、まだいた」

「津軽さん!?」



入ってきたのは私服姿の津軽さんだった。

前髪を上げているオフモードだ。



「どうしたんですか? こんな時間に」



今日、津軽さんはきっかり定時で退庁していた。
急いでいた様子からして予定があるのは明白だった。



「ウサちゃんまだ残ってるのかなーって思って、寄ってみた」



薄い笑みを浮かべて津軽さんが近付いてくる。

その言葉に嬉しくなった私は、でも顔を見られたくなくて手元の書類を見るふりをした。



「見ての通りです…」

「ご飯は? 食べたの?」

「はい。どん兵衛ですけど」

「さみしいクリスマスディナーだね〜」

「津軽さんこんな所にいていいんですか? その、デートとかは」



津軽さんは持っていた小さめの紙袋を隣のデスクに置いた。

誰でも知っている高級ブランドのものだ。



「したよ。高いご飯食べてイルミネーション見てきた」



全然美味しくなかったけどねー、とデスクに寄り掛かる。



「まだクリスマスは終わってないですよ。彼女…放ったらかしちゃダメじゃないですか」



津軽さんに特定の彼女がいるかどうかは知らない。


けどクリスマスにデートするくらいの相手だから、たぶん本命なんだと思う。

その紙袋の中身だってきっとその人からのクリスマスプレゼントだ。


見たくなくて目を逸らした。



「まあ、いいでしょ。当日にデートしたんだから」

「そういうもんですか」

「うん」



(イブの昨日もほぼ定時で帰ってたし、一緒に過ごしてたのかな…)



知りたいような知りたくないような複雑な気持ちになった。



「ウサちゃんとしたら楽しいんだろうな」



降ってきた言葉に津軽さんを見上げると、彼はゆっくりとこちらを向いた。



「クリスマスデート」



目が合うと微笑まれる。

前髪を上げている津軽さんはいつもと雰囲気が違っていてその笑顔の破壊力も増している気がする。

心臓に悪い。



「さ、さあ…」

「二人でオシャレして、普段行かないようなレストランに行ってさ」



津軽さんは目を細めて言う。



「そのあとイルミネーション見て、きれいだねーとか言って」



その表情は穏やかだ。



「楽しいよね。きっと」



楽しいだろうと私も思う。

津軽さんとできるなら。



「…それ、今してきたんですよね? 彼女と」

「うん」

「………」



手の中のボールペンを所在なく触る。

津軽さんから顔を逸らすと、その先にあるのはクリスマスツリー。


静かに瞬いているそれが、なぜだかさっきよりも眩しく見えた。



(ばかだなぁ。自分から聞いといて)



視線がどんどん下がっていく。


すると目に入った腕時計の秒針がまもなく0時を指そうとしているところだった。



「日付が───」



変わる、と顔を上げる。


それとほぼ同時に津軽さんがデスクに手をつく。




次の瞬間、少し冷たくて柔らかいものが唇に押し当てられた。




二人きりの公安課に静寂が降りる。




それが津軽さんの唇だと気付くまで、どのくらいかかったのかわからない。


気付いた後も、何も考えることができない。



音もなく重なる唇。



時間が止まったかのようだった。




やがてそっと離れた津軽さんの唇が、静かに言葉を紡いだ。



「協力者」



男の人の低い声。



「彼女じゃなくて、協力者」



至近距離で見つめ合う。



「だから安心して」



津軽さんの言葉が頭に入ってこない。



けど、真っ直ぐな瞳に促されるように私は頷いた。




津軽さんは体を離すと私の手元の書類を指差した。



「あとどれくらいかかるの? それ」

「え? あ、ああ、えっと、30分…とか…」

「じゃあ待とうかなー。一緒に帰ろ」

「…何で?」

「何でって」



津軽さんは腕を組んで、



「クリスマスだから」



にこりと笑った。


今日に限ってはその笑顔から妙な説得力が滲み出ている気がした。



書類と向き合ってペンを持ち直す。

しかし字を書こうにも何を書いたらいいのかわからない。



(津軽さんにキスされた…)



心臓が早鐘を打つ。

頬に昇る熱を冷ましたくて、おちつけおちつけと必死に言い聞かせる。



(何で? さっきのってキスするとこ?)

(わからない…!)



「ねー、ラーメン食べて帰ろうよ。俺小腹空いちゃった」



津軽さんは隣のデスクの椅子を引いて、長い脚を投げ出して座った。



(すごい普通にしてるし…)



いつもの、津軽さんだ。



「ラーメンって全然クリスマスっぽくないですね」

「クリスマスもう終わったじゃん」



津軽さんはそう言うとクリスマスソングを鼻歌で歌い始めた。

滅茶苦茶だ。


キスの理由を聞くタイミングも、完全に逃した。



(…ううん)



聞いたところで、まともな答えなんてきっと返ってこない。



(なんたって津軽さんだし。そこに山があるから登る的な? そこに唇があったからキスしたみたいな)

(それか、からかわれたか…)



振り回されたくないという気持ちはある。


かといって彼に恋心を抱いてしまっている以上、嬉しさを感じる自分も否定できない。



(───ああもうっ!)



「ねえ、手が全然動いてないんだけど」



誰のせいだと言ってやりたいが堪える。



「俺は味噌の気分かな〜。ウサちゃんは? 豚骨?」



何かと話しかけてくる津軽さんに気が散って仕方ない。



(……無!! 何も感じない心を…!!)



その後もちょっかいを出してくる津軽さんに仕事はちっとも進まず、結局30分を待たずして匙を投げることになった。






私がこのキスの意味を知るのは───






もう少し、先の話。



























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