LIDEのトーク画面を開いて、わかってはいたけどそれでも私は唇を尖らせた。



「またー…」



ごめん遅れる、の言葉と、流行りのキャラクターの土下座スタンプ。

遅刻癖のある彼氏の顔がこのキャラクターに重なって見える。



はー…と息を吐き出すと、呼応するように前髪が夜の風に揺れた。


少し前までの空気には夏の名残りがあったのに、今ではもう完全に秋のそれだ。



乾いた風が頬に触れると、季節の移ろいは視覚よりも先に肌で感じるものなのだと実感する。


四季はたしかに巡っていて、寒さが深まる頃には彼との記念日がやってきて、私たちの付き合いはまた新しい一年を始めることになる。



彼の遅刻癖が改まるどころかどんどん大胆になっているのも、長くなってきた交際期間ゆえの甘えなのかもしれない。



(はぁー…)



以前は怒ったりもしていた。

けどいつからかそんな気力も起きなくなったのは、諦めているのか、それとも気持ちが冷えてきているからなのか。



(…ううん、好きだよ。好きじゃなかったら待たないもん…)



ラブラブな時期はとうに終わったけれども。


この燻りをどのキャラクターに託そうかと、指がスタンプを探し始めたとき。



コツ、と靴音が聞こえ、反射的に顔を上げた。



(え、うわ!)



心の中で声を上げてしまった。


桁違いのイケメンが私の隣に立ったのだ。



(うわうわうわ!)



すっきりとセットされた前髪、形の良いおでこ、真っ直ぐに通った鼻梁。

揺れるまつ毛は長く艶っぽく、ホクロのある口元もとてつもなく色っぽい。

シャープな顎から流れる喉仏のラインがまた彫刻のように綺麗だ。


スタイルも良い───180cmくらいありそうな長身。

腰の位置が高くて手足が長くて、いわゆる八頭身か、一般人とは到底思えない。


着ているのはブラウンのジャケット、黒のインナーとパンツ、そしてきれいに磨かれた革靴。

シンプルな装いが彼の整ったルックスを際立たせていていた。


まだまだ形容し足りない気はするけど、とにかく物凄いイケメンだ。



(カッコいい………)

(めちゃくちゃカッコいい!)



しかも目を奪うのは端正な外見だけではない。

オーラというか、なんだか雰囲気がある。


近づきがたい感じではないが、掴みたくても掴めなさそうな───言葉にしづらいけど、そんな独特の空気を纏っている。



(モデル? タレント? 眩しすぎる…)



会ったことのないレベルの美形に心躍らずにはいられない。


そわそわしながらガン見する私に気づいていないのか、彼は正面を向いて自分が降りてきた駅を見ている。


その瞳はわずかに左右に揺れ動いていた。


駅から流れ出てくる人たちの中に誰かを探しているのだと思う。



私と同じように、彼も誰かを待っている。



(彼女かな?)



時刻は18時を少し過ぎたところ。

お相手は遅刻しているようだ。



(こんなカッコいい人と付き合えるなんて羨ましい〜〜)



そうやってチラチラと彼の顔を見上げながら待つこと少し。


ずっと引き結ばれていた端正な口元が、ふっと綻んだ。

その数秒後。



「すみません! お待たせしましたっ!」



元気な声と足音が到着した。



「───遅いよ、ウサ」



彼の視線を追うと、ウサと呼ばれた女性が肩で大きく息をしていた。



「ほんとすみません! スマホ忘れて取りに戻ったら遅くなりました」

「サザエさんじゃん。令和にもいたんだ」

「はは…サザエさんが忘れたのは財布ですけどね」

「そっかー、俺は愉快なウサさんに30分も待たされたのかぁ」

「30分!?」



驚いた様子で体を揺らす彼女。



(…30分?)



思わず彼を見上げた。



(そんなに待ってなくない?)



彼女も確認するようにスマホを見ている。



(私より後に来たんだから、待ったのは10分くらいなんじゃないかな)



「だって待ち合わせは18時で…そんなに早く着いてたんですか」

「んー、どうだったかな。待たちくたびれて時間の感覚なくなっちゃったかも」

「はぁ…?」

「まあ何分でもいいじゃん。俺が待たされたのは事実なんだから」



彼は腕を組み、憂うように目を伏せた。



「ウサちゃんから申し込んできたデートなのに、寒い中でこんなに待たせるなんてね」

「すみません」

「冷えちゃったなー。指先の感覚が無いなー」

「…すみません」

「いや、別に謝ってほしいわけじゃないんだけどさ」

「………」



口をモゴモゴさせる彼女。


何か言おうとして。でも口を噤んで。



彼の手を取って、ぎゅっと握った。



「…予約の時間に遅れるんで行きましょう」



伏せられていた彼のまぶたがゆっくりと持ち上がる。


その口角も同じように上がった。



「…ん。連れてって」



微笑んだ彼はそっと指を絡め、二人の手は恋人繋ぎになる。


彼女は少しだけ顔を赤くしながらも、しっかりと頷いた。



(………)



そのやり取りを間近で見ていた私はちょっと恥ずかしくなった。



(でも)

(なんかいいな、この二人)



恋人繋ぎで歩き出した二つの背中を眺める。



(付き合い始めたばっかりなのかな)

(それか、付き合う直前とか? デートの申し込みがどうって言ってたよね)



ふと、このカップルに自分と彼氏の姿が重なった。



(私たちにもこんな時期があったなぁ)



会えば手を繋いで、軽口を叩き合って。


小さくも楽しいやり取りに溢れていたなと、遠ざかっていく二人を見ながら懐かしい気持ちになった。



「津軽さん本当は何分待ったんですか?」

「40分」

「増えてますよ」



秋の風に乗って聞こえてきた彼女の声に、私は心の中で答えた。



(10分ですよ〜)



すると、イケメンの彼が振り返った。


目が合う。



「…え?」



彼は私と視線を合わせたまま、唇に人差し指を立てて片目を閉じた。



「!」



内緒だよ───そう言われた気がした。



「!?」



息が止まるかと思った。



(かっ…!)

(かっこいい〜〜〜〜!! ってそうじゃなくて、えっ、何!?)

(聞こえてた!?)



まさかとは思うけど───いや、ありえない。


驚きと興奮が入り混じって爆発し、私は今年一番ジタバタした。



「ヤバい、なんかわかんないけどヤバい!!」

「ヤバいって何が?」

「ん!?」



独り言に思いがけず返答され、声のした方へ勢いよく振り向く。


我が彼氏が到着していた。



「あ、お、お疲れ」

「おー。どうした? なんか挙動不審だけど」

「それがさ! さっきまでここに超イケメンがいて彼女と待ち合わせしてたんだけど―――」



私は興奮冷めやらぬまま口を動かし、でもすぐに我に返った。



あれは内緒なのだ。



彼の─── たぶん、“ウサ” さんから手を繋いでほしかった “津軽さん” の、小さな嘘。



「………」

「イケメンがどーした?」

「……忘れた」

「はっ?」

「何でもない、忘れて! 私は忘れた!」

「何だよそれ」



訳がわからない様子で片眉を上げる彼氏。



「まあ別にいいけど」

「うん、いいよいいよ」



細かいことを気にしない人でよかったと思った。



「ってか夜は結構冷えるなー」



彼がブルゾンのポケットに両手を突っ込む。



「そうだね」



そう返したあと、少し迷ったけど。


私は手を伸ばした。


彼のポケットに、自分の手を突っ込んだ。



目の前の顔に少し驚いたような表情が浮かぶ。



「なに。どーした?」

「寒いって言うから」

「いや寒いっていうか…」



瞬きをして見てくる彼氏に少し居たたまれなくなりながらも、ポケットの中の手をそっと握った。


なんだか妙に久しぶりに触れた気がした。



「お前の手のほうが冷たいじゃん」



狭いポケットの中で大きな手がもぞもぞと動き、指を絡めてくる。



「そ、うかな」

「ってか、行くか。遅くなると店混むし」



彼氏が踏み出し、引っ張られるようにして私も足を前に出す。



「…誰のせいで出遅れたのかなぁ〜」

「あー、俺?」

「そうだよ! いつも!」

「ごめんごめん」

「遅刻ばっかしてさ。ほんと反省してよね」

「毎回してるって」



明るく軽い調子で笑う彼から反省の色は見えない。


私が怒っていようがいまいがそれは普段と変わらなくて、だけどいつもと違って手はしっかりと繋がれていて。



ただそれだけのことで楽しい気持ちになってくるから不思議で。



(やっぱり好きなんだな)



改めてそう思える自分が嬉しかった。





乾いた風が頬を撫でる。



季節の変化を告げ、時が前へ進んでいることを教えてくれる。



(続いていったらいいな)



私たちも、あの二人も。





そんなふうに、密かに未来に思いを馳せる夜だった。



























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