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 ――どうしてこうなった。
 俺の脳内は、それで埋め尽くされていた。

「――左右田君」

 月明かりだけが頼りの空間。
 仰向けになって寝ていた俺の股間辺りに、いつの間にか男が跨がっていた。男は甘ったるい声で、俺の名を愛おしそうに囁く。
 そして男は身を屈め、俺の唇に――。




――――




 少し時間を遡る。
 夕食を取り終わった俺は、自分のコテージへ戻り、風呂に入った。
 今日の採集は山だったので、結構体力を消費したのだ。だからさっさと身を清め、明日に備えて寝てしまおうと決めたのである。
 そして風呂から出た俺は、シャツを着てパンツを履き、寝台にごろりと寝転がった。
 髪はまだ完全には乾いていなかったが、俺はもう寝てしまいたかった。それくらい、俺は疲れていたのである。
 明日の採集を頑張ったら、明後日は休みを貰おう――そう考えつつ、俺はうつらうつらと舟を漕ぎ始めた。
 暫く身動いで良い体勢を探していたが、やっと具合の良い楽な姿勢を見付けたので――俺は深い眠りについたのである。


 そして――気が付いたら、もうこの状態だ。
 現在、俺の唇を啄むように貪っている男――狛枝凪斗が、何故か俺のコテージに居て、俺の股間に乗っていたのだ。
 ――訳が判らないよ。
 覚醒したばかりの呆けた頭では、何も妙案が浮かばない。そうこうしている間にも狛枝は、俺の唇に何度も何度も食むような口付けを落としている。
 初めてのキスがどうのと嘆いている場合ではない。奪われた回数を数えるのが億劫になるくらい、唇を奪われているのだから。

「――左右田君、もう起きてるんでしょ?」

 恐らく五十回くらい口付けされた時、狛枝が漸く啄むのを止めて俺に話し掛けてきた。
 やっと喋られる。貪られている最中に口を開けば、奴の舌が入ってきたかも知れないので、喋るに喋られなかったのだ。

「ああ、起きてるぜ」
「やっぱり。何で抵抗しないの?」

 抵抗――そういえばそうだった。何で俺は抵抗しなかったのだろう。起き抜けと雖も、暴れたり叫んだりくらいは出来た筈なのに――ああ、そうか。
 今の俺、ダウン寸前の体力なのか。明日もいけると思ったが、どうやら予想以上に疲労していたらしい。全身が怠い。明日の採集は無理かも知れない。

「――抵抗しないってことは、良いってことかな?」
「違えよ馬鹿、俺はめっちゃ疲れてんだよ。だから抵抗したくても出来ねえの」

 判ったらさっさと退けよ、犬に噛まれたと思って忘れてやっから――と、なけなしの虚勢を張ってやった。しかし狛枝は一笑し、頭を左右に振る。

「――今日の朝。僕は豪快に転んで、背中を思い切り打ったんだ」

 突然、狛枝が意図の読めない話をし始めた。

「そして採集中、僕は海の中で足が攣って溺れかけた」

 不幸話にも拘わらず、狛枝は楽しそうに笑っている。

「そして採集が終わった後、ロケットパンチマーケットで食糧を探していたら、棚が倒れてきて下敷きになった」

 他にもね――と、狛枝が続ける。

「何とか昼食を取って散歩していたら、落ちていたバナナの皮で滑って転けてまた背中を打つし。これは駄目だと思って自分のコテージに引き籠もったら、大きなゴキブリが顔面に飛び付いてくるし。夕食はレストランで無事に取れたけど、自分のコテージに戻る途中、足を踏み外してプールに落ちるし――今日は不幸だらけの一日だったんだよ!」

 不幸だらけと嘆いているのに、何故此奴はこんなにも嬉しそうなのだろうか。
 狛枝は己の身を抱き締め、興奮した様子で俺を見詰めた。ぞっと、俺の背中に悪寒が疾る。

「これはね、幸運なんだよ。不運に不運を重ねた僕の――最高の幸運なんだ」

 にこりと、狛枝は歪んだ笑みを零した。

「僕が偶然夜中に散歩しようと決意したのも、偶然左右田君のコテージの鍵が開いていたのも、偶然左右田君が疲労困憊で寝ていたのも――全部、僕の才能が齎したことなんだよ」

 だからね左右田君――と、ねっとりとした狛枝の声が、俺の鼓膜にへばり付く。ぞわりと、鳥肌が立った。

「――僕は、この幸運を享受する権利があるんだ」

 つうっと。狛枝の細い指が、俺の頬を擽るように撫でる。そして狛枝は淫靡な笑みを浮かべ、馳走を前にした獣のように、厭らしく舌舐めずりをしてみせた。


 ――これは拙い。
 俺は漸く、貞操の危機というものを覚え始めた。
 訳の判らない理屈を捏ねる狛枝に、説得なんて高尚なものは通じないだろう。ならば原始的で物理的な、暴力という名の説得が有効な手立てなのだが――生憎、それを行使するだけの体力がない。
 力は此方が勝っていても、抵抗する体力が残っていないのだ。
 嗚呼、絶望的だ。何で俺なんだ。他の奴じゃ駄目だったのか。何故俺が犠牲にならなければならないのだ。
 こういうのは大抵、女が陥るものだろうに――。

「――なあ、狛枝。何で俺がこんな目に遭わなきゃなんねえの?」

 聞いても無駄だと判っていても、俺は聞くしかなかった。理不尽で不条理な状況になった、その理由を。
 しかし、返ってきた答えは――より一層の絶望を孕んだ、最低最悪の答えだった。

「何でって――そんなの僕が、左右田君を愛しているからに決まってるじゃないか」

 俺が女だったなら見惚れていたであろう――それはそれは妖艶な微笑を湛え、狛枝が自信満々で宣った。普段は自虐ばかりほざく癖に、こういう時に限っては例外らしい。


 というか――俺を愛しているだと?
 そんな素振り、今まであっただろうか。
 用もないのに話し掛けてきたり、いつの間にか背後に居たり、射抜くように見詰められたり、いきなり手を握られたりしたくらいで――何の素振りもなかったぞ。


 いや、そんなことは重要ではない。重要なのは――この状況が、偶然のようで必然的に齎された、最低最悪の幸運であるということだ。
 俺は偶々、狛枝の犠牲に成ったのではない。成るべくして犠牲に成ってしまったのである。
 しかも本人曰く、不運からも幸運からも絶対に逃れられないらしい。以前に此奴本人が言っていたから、多分間違いない。
 つまり俺には、この状況を覆すことは出来ないという訳で――どう足掻いても絶望である。

「――あはっ。もしかして左右田君、絶望しちゃってる? 大丈夫だよ。君なら絶望を踏み越えて、その先に在る希望を掴み取れる」

 そっと。狛枝が俺のシャツを掴み、捲り上げた。肌が外気に触れ、ぞくりとして身体が戦慄く。

「大丈夫、絶望は一瞬だけだよ。僕が絶望を希望に変えてあげる。そして――希望で満たしてあげる」

 嗚呼――俺の耳はいつから、副音声対応機種になってしまったのだろうか。
 痛みは一瞬だけとか、苦痛を快楽に変えてあげるとか、僕の愛で満たしてあげるとか――狛枝のねっとりとした声が聞こえたよ。
 これが日向の言っていた「ココロンパ」と云うものか? 想像していたのと違うのだが。何処をどう論破しろと言うのだ。言弾は何処だよ。

「へえ、左右田君って結構筋肉あるんだ。疲労困憊じゃなかったら、僕はぶっ飛ばされていただろうね」

 肉付きを確かめるように、それでいて愛撫するかのように、狛枝は俺の胸や腹を撫で回した。それがまた、触れるか触れないかの微妙な加減で撫でてくるものだから――堪らない。
 擽ったくて、堪らない。思わず笑いそうになる。

「ちょっ、止めろってまじで。擽ってえから」
「――あ、あれ? 気持ち良くない?」
「擽ったいって言ってんだろ」
「う、ううん――やっぱり初めてだから、上手くいかないのかな」

 どうしたら良いのかなあ――と一人言ちる狛枝を見て、俺は何だか嫌な予感がした。

「狛枝、お前もしかして――そういう経験ないのか?」

 確認の為に尋ねてみると、狛枝は気拙そうに笑って――こくりと頷いた。
 おい。

「お、お前――童貞の癖に自信満々で俺を襲おうと――いや、俺を襲ったのかよ!」
「だっ、だって――こんな幸運、もう二度とないと思ったんだもん! 何とかなると思ったんだもん! というか、左右田君だって童貞だよね? 僕のことを馬鹿に出来る立場じゃないよね?」
「う、うっせうっせ! 思ったんだもん――なんて、ぶりっ子みてえなことほざくんじゃねえよ。気持ち悪いっ!」
「あっ、左右田君の『だもん』は可愛いね!」
「耳腐ってんじゃねえのか、お前」

 はあはあと息を荒げて身悶える狛枝を放置し、俺は考える。この馬鹿をどうしたものかと。まさか童貞だとは思わなかった。
 だって、あんなに自信満々だったら――童貞だとは思わないだろう。
 因みに俺も童貞である。そして、男同士のそういうことは未知の領域だ。何がどうなるのかも判らないし、判りたくもない。
 なので、出来ればこのまま御帰り願いたいのだが――多分、無理だろう。意地でも此奴は、何かを遣らかすに違いない。
 それに、此奴の悪質な才能――幸運の力もある。下手に拒絶すると、俺は酷い不運に見舞われることだろう。純潔が奪われるとか、身体を穢されるとか。


 それは拙い。変態童貞野郎とその才能が暴走して、とんでもないことをされてしまったら――俺は自決する。他殺に見せ掛けた自殺の他殺で死んでやる。
 けど、出来れば死にたくない。でも、変なことはされたくない。されたら死ぬ。ならば俺は――。

「――こ、狛枝」
「はぁ、はぁ――ん? 何かな?」
「そ、その――お前のそれ、扱いてやるから。それで勘弁してくれねえか?」

 緊張からか恐怖からか、将又両方の所為か――俺の声は震えていた。それでも俺は勇気を振り絞って、恐々と指を差した。ズボンを押し上げるように膨らんでいる、狛枝の股間を。
 此奴、勃起してる――と軽く絶望しながらも、俺はぐっと堪えて狛枝の様子を窺う。狛枝はううんと唸り、じっと俺の顔を見据えた。

「何処で? 口?」
「手に決まってんだろ馬鹿」

 手か――と、狛枝は更に唸る。
 俺が妥協に妥協して出した苦渋の選択が、気に入らないというのか。

「――嫌ならしねえ。明日ダウンしても良いという覚悟で、お前をぶっ飛ばしてから寝る」
「あっ、ちょっ――嫌じゃないよ! 僕なんかの粗末なものを左右田君に扱いて貰えるなんて、十二分な幸運だよ!」

 苛立ちを隠さず、吐き捨てるように言ってやると――狛枝は慌てて俺の提案を飲んだ。
 ちょろいな此奴。

「じゃあ、とりあえず俺から下りろ」

 俺がそう言うと、狛枝は素直に俺から下りて横に座った。今なら何とか逃げられるんじゃなかろうか――と思ったが、狛枝は俺のシャツを握り締めていた。しっかりしてやがる。

「えっと――ズボン、下げろよ」
「え、あっ、う、うんっ」

 吃りまくりな狛枝は、覚束無い手付きで自身のズボンを下ろし始めた。腰を上げて遣ればすぐ脱げるのに、狼狽している此奴にはそれが判らないようだ。
 矢張り童貞か――と、自分も童貞なのに妙な優越感を覚える。自分も童貞なのに。あれ、何だか悲しくなってきた。


 童貞の何が悪いのだと結論付けた矢先、狛枝は漸くズボンを下ろすことが出来たようだ。露出されたそれは――俺のものより大きかった。
 一瞬にして殺意が湧き上がったが、先程の自信は何だったのかと思うくらいに、狛枝ががちがちに緊張しているものだから――すぐに萎んでしまった。

「――はあ、まあ良いや。さっさと終わらせんぞ」

 殺意と一緒に遣る気も萎んでしまったが、遣ると言ったからには遣らないといけない訳で――。
 俺は怠い身体に鞭を打ち、身を捩って俯せになった。シーツをぐしゃぐしゃにしながら這い摺り、座り込んでいる狛枝の股の間に入り込む。
 目の前には狛枝の御立派様。何だか無性に泣きたくなってきた。しかし遣らねば、幸運に犯られてしまうのだ。堪えるしかない。

「じゃ、じゃあ――や、遣るからな」
「うっ、うんっ」

 童貞同士の、最低最悪な絶望的幸運の喜劇が――今、始まった。

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