外堀を埋めていくだけの簡単な作業

 同性愛なんて、俺には何の関係もないものだと思っていた。
 他人様が同性愛者でも、友人が同性愛者でも――酷い言い方だろうが、別にどうでも良かったのだ。
 何故なら、自分とは無縁のものだと思っていたから。
 しかし――どうやら俺は、そういう星の下に生まれてしまっていたようで――。

「――僕、左右田君が好きなんだ」

 ――現在、同性に告白されてしまっている。
 放課後の、俺達以外誰も居ない教室で、同性の友人に、告白されてしまっている。
 冷静に簡潔に述べてはいるが、俺の脳内は混乱の極みである。
 友人だと思っていた友人に友人である友人の俺に友人が告白――ああ、ゲシュタルト崩壊してきた。
 気をしっかり保とう。深呼吸。吸って、吐く。吸って、吐く――よし。
 改めて友人を見る。一縷の望みを託して観察してみたが――友人は真剣そのもので、いつもの飄々たる態度も鳴りを潜めている。
 悲しい哉。どうやらこれは、冗談ではなく本気のようだ。

「ああ――えっと、どういう意味で?」

 本気であるならば、その「好き」という意味が、自分の考えているものではないことを願うしかない。しかし――。

「勿論、友情じゃなくて――愛情の方だよ」

 願いは、叶わなかった。
 何とも信じられないことに友人は、俺のことをそういう意味で「好き」らしい。俺の勘違いではなかったようだ。
 ――どうしたら良いんだ。
 蹲り、頭を抱えて叫び出したい衝動に駆られる。
 しかしそんなことをすれば、友人はきっと傷付くだろう。彼は彼なりに勇気を振り絞り、俺に告白してきた――筈なのだから。
 そんな真摯な想いを踏み躙ることだけは、絶対にしてはならない。
 だが俺は、彼をそういう目で見たことがないし、見られない。どう足掻いても俺は、彼の想いに応えられないし――応える気もない。
 何故なら俺は、至って普通の異性愛者だからだ。

「――そう、か。愛情の方、か」

 込み上げてくる様々な衝動をぐっと堪え、俺は努めて冷静に振る舞った。
 すると彼は長い睫毛に覆われた目を伏せ、自嘲気味に微笑んだ。

「やっぱり、僕みたいな屑野郎に告白されるなんて不愉快だったよね。ごめんね左右田君、気持ち悪かったよね。忘れてくれて、良いから」

 何をどう解釈すれば、そういう結論に至るのだ――。
 俺は先程とは違う意味で、頭を抱えて叫び出したくなった。
 俺は不愉快とも気持ち悪いとも思っていないのに、彼の思考回路は悪い方へと働いてしまっているのだから。
 どうもこの友人は、自分自身をこの世の最低辺に存在する者だと思っているらしく、いつも自虐と他人への賞賛――才能がある者限定だが――を繰り出している。
 その所為で、今のように意思疎通が困難になる。
 もどかしい。会話とも云えぬこの会話が、もどかしい。

「――あ、あのなあ。勝手に自己完結すんなよ。別に不愉快とか、気持ち悪いとか思ってねえから」

 もどかしさを抑え込み、俺はとりあえず誤解を解くことにした。このまま放っておけば、経験上――良い方向には絶対転ばないからだ。
 放置すればする程、雪山を転がり落ちる雪玉のように負の感情は質量を増し――巨大な雪玉となって、猛威を振るうことになるのだ。
 主に、周囲の人間に。

「でも、僕のことを受け入れてはくれないんでしょう?」

 寂しそうに言う友人の言葉に、うっと息が詰まる。
 確かにそうだ。受け入れ難いのは、事実だ。
 不愉快でもなかったし、気持ち悪くもなかったが――俺には彼を受け入れる勇気も、愛も、何もかもが足りない。
 かと言ってそのことを伝えれば、彼はまた自虐という名の雪を身に纏い、ごろごろと狂気の雪山を転がり落ちることだろう。
 それだけは、避けたい。
 しかし、他に言える言葉が見付からない。
 どうしたら良い。
 どうしたら、良い。
 どうしたら――。
 ――ええい、儘よ。

「――確かに、受け入れんのはちょっと、無理だけど。でも、お前のこと、嫌いじゃねえから」

 言った。言ってしまった。
 どうなる、どうなってしまう?
 恐る恐る、友人を見てみる。友人は――何故か嬉しそうに微笑んでいた。

「嫌いじゃないってことは、望みはあるんだよね?」

 おうふっ、そうきたか。
 否定的思考の塊である彼が、まさかそのような肯定的思考――というか、都合の良い方向に発言を捉えるとは。前向きになったのは喜ばしいことである。
 だが――これは拙い。
 変に期待をさせてしまっては、彼を必要以上に傷付けてしまうことになる。
 しかし今、望みはないなどとはっきり言ってみようものなら――ああ、考えるだけで恐ろしい。
 では、どうするか。
 曖昧な答えでは駄目だ。
 期待させてしまっては、駄目なのだから。
 だから――。

「――すまねえ。俺、お前のこと、友達としか見れねえ」

 ――遠回しに、望みはないと告げるしかない。
 暫時、無言。
 傷付けてしまったかと思い、彼を見てみるが――不思議なことに、彼は傷付いた様子もなく、いつもの飄々たる態度で其処に居た。

「そっか、残念だなあ」

 あっさりとした物言いで彼は宣い、困ったような笑みを浮かべながら――俺にずいっと近寄ってきた。
 驚いて飛び退こうとするも彼に肩を掴まれ、飛び退くことは叶わなかった。
 ぐっと、彼が俺の顔に自分のそれを寄せる。
 端正な顔立ちの、世間一般では美形に入る彼の顔が、俺の眼前に在って――。
 ――むにゅっと、柔らかい何かが唇に押し当てられた。
 彼を見る。すぐ目の前にある彼の顔は――恍惚とした表情を浮かべていた。

「左右田君」

 唇に押し当てられた何かから、言葉が漏れ出して――口付けされてしまったのだと、漸く理解した。
 初めてだったのに、何てことだ。

「友達の一線――越えちゃったね?」

 越えてきたのはそっちだろう――と怒鳴ってやりたかったが、口を開いてはいけないという本能の警鐘が五月蠅いくらいに聞こえるので、俺は黙りを決め込むことしか出来ない。

「ねえ、今の君には――僕のこと、どう見えてる? 友達? それとも――」

 彼は其処で言葉を切り、俺の唇を――べろりと、舐めた。
 生温かくてぬるぬるとした感触に、思わず口角が引き攣り上がる。
 口を開けていなくて、本当に良かった。開けていたら確実に入っていた、彼の舌が。

「ねえ、教えてよ――」

 左右田君――と、彼が甘ったるい声で俺に囁いた。
 教えても何も、現在進行形で唇を舐められているというのに、喋られる訳がない。
 口を開いたが最後、絶対に入ってくる。舌が。それは流石に拙い。
 初めてした口付けが男なことも、その男に唇を舐められていることも――まあ、犬に噛まれたと思って我慢しよう。
 だが、中は駄目だ。舌を舐められたら、大事な何かを失ってしまう。それだけは避けたい。
 ああ、いっそ殴り飛ばしてしまおうか――とも思ってしまうが、こんな者でも大事な友人だ。出来れば穏便に済ませてやりたい。
 だから出来るだけ優しく、穏やかに彼を押し退けようと、彼の胸辺りをぐっと押すのだが――動かない。
 体格差はややあれど、腕力は遥かに此方が上の筈なのだが――。

「――逃げないで」

 ふっ、と。彼が俺の唇に熱い吐息を吹き掛け、そして――俺を抱き竦めた。
 急に密着され、人肌に慣れていない俺は吃驚し、小さな悲鳴を漏らしてしまった。
 悲鳴を、漏らしてしまった。
 口を、開けてしまった。
 しまった――と思った時にはもう遅く、ぬるりと彼の舌が口の中に入ってきた。
 ああ、俺の大事な――。

「――っ、ふぁっ」

 何かが、失われた。
 逃げようとする俺の身体を、彼は逃がすまいと強く抱き締める。
 その所為でより深く口付ける羽目になり、奥に逃げていた俺の舌に、彼の舌が絡み付いてくる。
 不覚にもそれが少し気持ち良くて――抵抗する力が弱まってしまった。
 口内を隅から隅まで舐め回されるという未知なる感覚の所為で、身体に上手く力が入らない。
 呼吸もままならなくて、意識が朦朧としてきた。
 拙い、流される――。
 というか落ちる。主に意識が。
 俺の抵抗が完全に止んだのを良いことに、彼は俺の身体を撫で回し始めた。
 特に、尻を。
 ――拙い。
 得体の知れぬ、危機感を覚えた。
 何かが狙われている。
 男として奪われてはならない何かを、狙われている。
 逃げねば。逃げねば――食われる。
 既に半分食われているようなものだが――今ならまだ、間に合う。
 俺は再び抵抗を始め、何とか彼を引き剥がそうとした――のだが。

「っ! ふ、ぅっ――」

 舌の裏側を、思い切り舐められた。
 知らなかった、まさか舌の裏側が俺の弱点だなんて――。
 完全に力が抜けてしまい、俺は彼に身を預ける形になってしまった。
 眼前には嬉しそうに笑う彼。身体は拘束され、口内は犯され、尻を撫で回され――ああ、もう駄目だ。詰んだ。
 俺が何もかも諦め始めた――その時。

「――あら、左右田さんに狛枝さん。何をなさっておられるのですか?」

 愛しの王女様が、教室に降臨なされてしまった。
 王女様が俺と彼――狛枝を交互に見る。そして小首を傾げ、何かを思案するように唸り――あっ、と手を叩いた。

「二人は逢引をなされていたのですね!」

 違います。
 全力で否定したかったが、身体に力が入らなくて、声が出ない。

「――あはっ、ばれちゃった? 実は僕達、付き合ってるんだよね。相思相愛で、将来を誓い合った仲なんだよ」

 何をほざいているのだお前は。
 人が喋られないのを良いことに、狛枝が嘘八百を並べ立てやがった。

「わぁお! そうだったのですか! 私、びっくらこいてしまいましたわ!」
「うん、そうなんだ。あっ、もうばれちゃったから隠す必要なんてないよね。ソニアさん、皆にも言って良いよ。僕達が付き合ってること」

 おい、ふざけんな。

「っ、ちがっ――ソニアさん、違――」
「おっと」

 やっと出た声で、違うんだと訴えようとした――その瞬間、狛枝がまた俺の口を、自分のそれで塞いできやがった。
 王女様――ソニアさんはそれを見て、お邪魔虫はすたこらさっさです――と言って、逃げるように教室を出て行った。
 ま、ず、い。

「ちょっ、ちょっと待ってくださいソニアさぁんっ!」

 何とかソニアさんを引き留めようとするも、狛枝に抱き竦められている所為で追い掛けられない。

「は、離せって!」
「何で?」
「何でって――このままじゃあ在らぬ噂が立っちまうだろ!」

 怒りに任せ、俺が怒鳴り付けた――瞬間、狛枝は哄笑した。
 そして一頻り笑うと、濁った目で愛おしそうに俺を見つめ――。

「――将を射んと欲すれば、先ず馬を射よ」

 と囁いて、狛枝は意味深長な笑みを浮かべた。
 ――ああ。
 そういう、ことか――。

「――お前、まじで性格悪過ぎ」
「あはっ、よく言われるよ――で、僕のことは今、どう見えてるのかな?」
「ああ――」

 友達以外の、得体の知れねえ化け物に見えるわ――と言ってやると、狛枝はむかつくくらい嬉しそうに微笑み、俺のことをぎゅっと抱き締めた。

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