鷹に睨まれた蛇

 俺様には愛慕せし者が居る。
 其奴は魔獣の如き牙を生やし、邪龍を髣髴させる長き舌を持つ、悪の権化と呼ぶべき凶悪な相貌をした――男である。


 そう、男である。
 俺様も男である。所謂、同性愛だ。因みにこの感情を伝えていないので、片想い中である。
 本当は伝えたいのだが、奴は異性愛者なので確実に玉砕する。それは嫌だ。覇王などと名乗っている俺様だが、硝子よりも割れやすい脆さの心を持っているのだ。所謂、へたれである。
 しかし、へたれでも性欲くらいは持ち合わせている。どうにかして奴を我が物にしたい――と思うこともあるのだ。思うだけだが。実行出来る勇気があるならば、既に美味しく戴いている。
 抱き締めて接吻を交わし、褥を共にして媾いたい。しかし、それは叶わないし勇気がない――ならばせめて、その欲望だけでも満たそうではないかと、俺様は思い至ったのである。
 その矛盾を切り捨てる為の魔具がこれ――哀れなる家畜の血肉を凝縮した、業火に焼かれ朱と黄の涙を垂らす、木槍に貫かれし肉棒だ。これを用いて俺様は、奴の淫猥なる表情を引き出してみせる。
 そしてそれを我が邪眼に焼き付け、今宵の御数に――げふんげふん。今宵の贄とする。贄ったら贄なのである。


 扨、早速実行だ。彼奴は――レストランに居た。丁度良いことに、レストランには奴以外誰も居ない。

「雑種よ」

 俺様が肉棒片手に雑種――左右田和一へ近付いて呼び掛けてやると、奴は魔鷹よりも鋭き眼で俺様を睨み付けた。

「何だよ」

 左右田の声はとてもとても低くて、どすが利いていた。
 何故、最初からクライマックスなのだろうか。俺様何かやらかし――あっ、そういえば。左右田が思慕しているソニアと、昨日一緒に遊んだな。遊んでいる途中で背中に凄まじい殺気を感じて、振り返ったら左右田が居たっけ。あまりにも恐ろしくて泣きそうになったなあ――。


 ――しまった、時期を見誤った。
 俺様は気付いた。昨日の今日に話し掛けてしまった、自分の愚かさを。
 しかし――話し掛けてしまった以上、もう後には退けない。いや、退かせてはくれないだろう。
 きっと俺様が逃げれば左右田は、亡者に喰らい付く地獄の番犬の如き勢いで俺様に絡んでくる。絶対に絡んでくる。ねちねちと、俺様を呪殺してくるだろう。
 それは困る。好きな相手に恨み言を吐かれるのは、とても辛いのである。
 ならばどうするか。立ち向かうしかない。顔は凶悪だが奴もへたれ、押しには弱いのだ。

「貴様にこの――哀れなる家畜の血肉を凝縮した、業火に焼かれ朱と黄の涙を垂らす、木槍に貫かれし肉棒を呉れて遣ろう」
「長えよ。トマトケチャップとマスタード塗ったフランクフルトソーセージだろ」

 流石、超高校級のツッコミと密かに謳われているだけのことはある。俺様を嫌っていても、しっかり突っ込みを入れるとは。流石だな左右田、流石。

「要るのか、要らんのか。要らんのならば、俺様直々に暗黒の闇へと葬り去るが」
「暗黒の闇が何処だか知んねえけど、呉れるっつうなら貰ってやっても良いぜ」

 素直ではないにゃあ。だが、それが良い。俺様はそういうところにも惚れたのだから。
 俺様の様子を窺うようにしながら、恐る恐る手を伸ばしてくる左右田に肉棒を渡す。左右田は肉棒をまじまじと観察し始めた。
 どれだけ信用されていないのだ俺様は、泣くぞ。

「毒など盛っておらん」
「ふうん」

 本当かよと言わんばかりの、疑心に満ちた眼差しを寄越してくるので、俺様も負けじと見詰め返し――少しどきっとしてしまったが、左右田には気付かれなかった。悲しい。
 暫く無言で見詰め合っていると、漸く信用したのか、左右田は肉棒を己の唇へと宛行った。何だかとても卑猥である。

「何か怪しいけど、まあ――ありがとよ」

 そう言って左右田は、肉棒を銜えた。
 ――よっしゃああああああああっ、俺様大勝利!
 今の一瞬、肉棒を銜えた左右田の顔――この邪眼にくっきりはっきり焼き付けたぞ!
 もう肉棒がどうなろうと構うものか。牙に身を裂かれ、肉汁を飲み下されてしまうが良い。ふははは――はっ?
 俺様は我が目を疑った。一度目を瞑ってからもう一回見るくらい、我が目を疑った。


 何故なら左右田が――肉棒を銜えたまま噛むことなく、その長い舌でじっくりねっとりと舐めていたからである。

「なっ――何を、していりゅ?」

 台詞の最後を噛んでしまうぐらい、俺様は動揺していた。左右田は肉棒を銜えながら俺様を上目遣いで見詰め、首を傾げてみせた。
 あざとい。あざといぞ。

「あ? 何って、食ってんだけど」

 そんな卑猥な食い方があるかああああああああっ!

「きっ、貴様っ――何故、噛み千切らんのだ!」
「ああ。俺、ケチャップとかマスタードは塗らねえ主義なもんで。邪魔だから舐め取ろうと」

 肉棒を口から引き抜いた左右田は、肉棒に舌を這わせてケチャップを舐め取った。卑猥過ぎて俺様は一瞬、白目を剥きかけた。

「な、舐めっ――舐め取るなぁっ! ききっ、汚いだろうが!」
「俺が食うんだから良いだろ」

 そう言いながら左右田は、再び肉棒をべろりと舐め上げ――ケチャップとマスタードがぐちゃぐちゃに混ざったものを、俺様へ見せ付けるように飲み込んだ。
 卑猥です。俺様の股間が熱くなってまいりました。

「そっ、そそそういう問題ではなかろう! 貴様にはっ、マナーというものがないのかっ!」
「うっせえなあハムスターちゃんはぁ」

 公の場じゃねえから良いんだよ――と左右田は囁き、俺様を見詰めながら肉棒を唇に宛行い、舌先で肉棒の先端を撫で回し始める。
 ごくりと、俺様の喉が鳴った。
 もしかして此奴――俺様を誘っているのか?
 いやいや、此奴は異性愛者の筈だ。そんな、俺様を誘っている訳が――。

「――ハムスターちゃん」

 つうっ、と。左右田の舌先が艶めかしく肉棒を舐め上げる。扇情的な眼差しで俺様を見詰め――左右田は、淫魔の如き妖艶な笑みを浮かべた。
 嗚呼――此奴は、紛う事無き淫魔だ。何て恐ろしい、まさか此奴が淫魔だったなんて。これは俺様が退治せねばなるまい。そう、俺様の強大な魔力を此奴に注ぎ込んでな!
 へたれな心が性欲により強化された俺様は、左右田を抱き締めようとした――のだが。


 ぶちり――と、肉棒が目の前で引き裂かれた。

「――っ、ぐわああああああああっ!」

 自分の肉棒が引き裂かれた訳ではないのだが、何故か俺様は痛かった。痛かったので叫び、股間を押さえて蹲ってしまった。
 左右田は己の鋭利な牙によって裂いた肉棒を咀嚼し、ごくりと飲み込む。

「何叫んで股間押さえてんだよ、気持ち悪い」

 しれっと宣う左右田は、再び肉棒に牙を突き立てると――大袈裟なくらいに勢い良く引き千切った。
 ――ぎゃああああああああっ! 股間が、股間が痛い。見ているだけで痛い!

「き――貴様っ、何を」
「何って――邪魔なの取ったから食ってんだよ」

 左右田はそう言って、俺様に見えるように――半壊した肉棒を少しずつ、じわじわと甚振るように噛み千切る。ぶちりぶちりという、生々しい肉の繊維が切れる音がした。
 視覚と聴覚の暴力に、俺様は目を瞑って耳を塞ぎたかった。だが――左右田から発せられている、妙な威圧感の所為で出来なかった。見なければならない、そんな気がして――。

「――ハムスターちゃん」

 肉棒を食べ終わった左右田が、肉棒に刺さっていた木の棒を舐め――俺様の口に押し込んだ。突然のことに俺様は何も出来ず、左右田の顔を見ることしか出来ない。
 左右田は己の唇に付いた肉汁を舌で舐め取ってから、牙を見せ付けるように俺様へ笑い掛けた。

「やっぱり肉棒は、噛み千切りたくなるよなあ」

 がちり、と。歯並びの良い鋭利な牙を噛み鳴らし、左右田はそう言い残してレストランを出て行った。
 残された俺様は、己の肉棒も噛み千切られる――かも知れないことに恐怖し、股間を押さえ蹲っていたが、口に押し込まれた木の棒――左右田の唾液付き――の存在を思い出し、先程とは違う意味で蹲ることになった。




――――




「――左右田。お前、何て酷いことを」

 こっそりレストランの外から一部始終を見ていた俺は、階段の下で待ち伏せをし、下りてきた左右田を咎めた。左右田は目を細め、俺を睨む。

「何だよ日向、覗き見とか趣味悪いぞ」
「それに関しては謝る。けどさ、あれは酷いぞ」
「あれって?」

 何のことだか判んねえなあ――と白を切る左右田に、俺は自分の額を押さえて溜め息を吐いた。

「お前なあ。田中がお前のこと好きって、知ってんだろ?」

 俺がそう言うと、左右田は意地の悪い笑みを浮かべ、けけけ――と、不気味な笑い声を上げて舌を出した。

「ああ、知ってるぜ。あんだけ熱の籠もった視線、浴びせられ続けたら――気付きたくなくても気付くっつうの」
「じゃあ、何で」
「何でって――」

 そんなの、面白いからに決まってんじゃねえか――と、左右田は愉快そうに笑って俺を見詰める。

「あんなに俺のことが好きで、欲情までしていやがるだなんて――本っ当、面白過ぎんだろ!」
「お、面白いって――お前、田中が可哀想だろ!」
「可哀想? 何言ってんだよ、俺は田中にちゃんと御褒美を遣ってるだろ。飴と鞭だよ、飴と鞭」

 あんな飴があるかと突っ込んで遣りたかったが、そんな突っ込みは此奴に効かないことを知っているので――俺は無言で左右田を睨む。すると左右田は肩を竦め、頭を軽く横に振った。

「んな怒るなって、これもまた俺の愛ってやつなんだからよぉ。期待させてぇ、蹴落としてぇ、持ち上げてぇ、突き放すっ! それでも尚、俺のことを好きって言うなら――」

 俺はちゃんと、田中の気持ちに応えるつもりだぜ――と言い、容姿によく合う極悪な笑みを浮かべながら、左右田は階段の上を見遣る。
 その目は正に、獲物を見付けて歓喜に打ち震える鷹の目だった。
 ――蛇に睨まれた蛙ならぬ、鷹に睨まれた蛇だな。
 田中眼蛇夢だけに――なんて馬鹿なことを考えつつ、俺も階段の上を見遣る。田中の未来を憂い、そして幸福を祈りながら。
 頑張れ、田中。俺は応援してるからな。


 ――応援だけだがな!


 こんな愛情表現の捩じ曲がった奴を説得出来る程、俺は有能な人間なんかじゃないので。
 だから――堪えろ、田中。
 鋭利な棘と猛毒付きの鞭で思い切り叩かれても、堪えろ。その後で飴っぽい何かを呉れるらしいから、堪えるんだ。
 そうすればいつか、この――へたれの仮面を被った性悪男も、お前の気持ちに応えて呉れるらしいから。多分。

「ううん、明日はどうやって揶揄おうかなあ。ソニアさん、また田中に絡んでくんねえかなあ。そうしたらまた彼奴のこと、愛憎込めて睨み付けられるのに!」

 昨日の脅えっぷり、凄え可愛かったぜ――と呟き、左右田は恍惚とした表情で頬を赤く染め、我が身を抱き締めながら小刻みに震えている。そんな様子を見て俺は、某白髪希望中毒者を思い出し――超高校級の奴らにまともな人間はあまり居ないのかも知れないと、確信にも似た直感を抱いた。

「――左右田」
「何だよ」
「あんまり、虐めるなよ?」
「判ってるってぇ。人間は壊れたら直せねえもん。あ、でも――」

 壊れる寸前までなら、追い詰めたって良いよなあ――と、左右田は舌舐めずりをした。

「壊れる寸前、彼奴はどんな表情すんのかなあ? そんで、何をすんのかなあ? 俺のこと襲うのかなあ? 無理矢理やられちまうのかなあっ! なあ日向、お前は――どうなると思う?」

 お前が既に壊れてるぞ――と叫び出したかったが、此奴と図らずもソウルフレンドになってしまった俺は、そんなことを言っても無駄だと判ってるので、お前の望んだ通りになるんじゃないかな――とだけ言っておいた。
 左右田は俺の答えに満足したのか、嬉しそうにからからと笑い、流石俺のソウルフレンドだぜ――と、全く嬉しくない褒め言葉を返してきた。

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