愛しい貴方より、敬具

 左右田の手帳を拾い、恐ろしい目に遭った次の日の昼。俺はジャバウォック公園で、一冊の黒いノートを拾った。A6版の大きさだ。
 また昨日みたいな目に遭うのでは――という嫌な予感が脳裏を駆け巡ったが、今度こそまともな人間の落とし物かも知れない。
 俺はまともであることを祈りながら、ノートを拾って観察してみた。表紙にも裏にも名前が書いていない。真新しい感じの、綺麗なノートだ。
 ――とりあえず、中を確かめてみるか。
 俺はノートを捲り、中を見た。




――――




 修学旅行一日目
 日付が判らないので、こう書くことにする。何故此処にはカレンダーがないのだ。

 クラスの奴らと話が出来ない。
 やばい。このままじゃまた、ぼっち生活に逆戻りだ。何とかせねば。一人は嫌だ、泣けてくる。




――――




 筆で書かれた、達筆な字だった。
 書かれている内容は少々砕けていて、情けない感じがしたけれど。
 ――良かった、今度はまともな日記だ。
 俺は安堵し、落とし主を特定する為に頁を捲った。




――――




 修学旅行二日目
 やっと会話出来る相手が見付かった。しかも二人。最高だ。ぼっち生活とはおさらばだ。

 奴が此方をよく見ている。熱い視線というか、ぞくぞくする視線だ。何だか胸がきゅんとする。
 あんなにも真剣に見られたことがないので、とても恥ずかしい。照れる。




――――




 ――駄目だ、誰なのか判らない。
 左右田の時と同じく、一人称も名前も見当たらない。
 人物をぼかして書くのが流行っているのか? と思ってしまうくらい、手掛かりがない。
 仕方ない、もう一枚捲るか。俺は頁を捲った。




――――




 修学旅行三日目
 採集が超怠いのである。

 何とか出来た友人達に、奴がべたべたし始めた。そして此方を見る目が凄い。まるで獲物を狙う肉食獣のようだ。そんな目で見られたら、どきどきして仕方ない。
 明日、話し掛けてみようかな。どきどきする。




――――




 何だか乙女が書いた恋愛日記のようだなあ――と思った。
 字が達筆なだけに、少し滑稽である。
 しかし――ほっとした。ほわほわとした雰囲気で、異常なところは見受けられない。これなら返す時に、恐ろしい目に遭わなくて済むだろう。
 俺は気楽な気持ちで、頁を捲った。




――――




 修学旅行四日目
 話し掛けたら罵られた。
 何で? 何で? 何で? 嫌われていたのか?
 いや、違う。そんな筈がない。だってあんな目で見てきたのだから、そんな訳がない。きっと違う、絶対違う、奴は照れているのだ。そうに違いない。照れ屋さんなのだな、可愛い奴め。素直になれないところも愛らしい。

 また、此方を見ている。可愛い。可愛い可愛い可愛い可愛い。視線が合った、逸らされた。恥ずかしがり屋だな。可愛らしい。




――――




 ああ――俺は唸った。
 気楽な気持ちで見た分、ダメージがでかかった。
 地の底から這い出てくるような、じわりじわりと侵食してくる狂気を感じる。豹変し過ぎだろう、これ。
 だがしかし、左右田の件で耐性が出来てしまった俺は、このくらいでは退けない精神になっていた。人は恐怖を知ることで強くなるのである。
 俺は気持ちを奮い立たせ、そっと頁を捲った。




――――




 修学旅行五日目
 また罵られた。何故、何故だ、判らない、これが所謂ツンデレなのか? 可愛いな。
 でも、いつになったらデレが来るのだろう。待って居られない。早く欲しい。もっと仲良くしたい。奴の全てが欲しい。

 奴の使った割り箸と、食べた後のカップラーメンの容器を手に入れた。カップラーメンを食べるなんて身体に悪い。でもお蔭で、奴の使用済みアイテムが手に入った。
 奴の唾液が、この箸に付いている。奴の唇が、この容器に触れている。両方味わえば、奴とディープキスしたことになるよな。
 今日は寝られない。




――――




 ――うわあ、変態の所業じゃないですか。
 俺は左右田に抱いた恐怖とはまた違う恐怖を覚えた。これはまた、別の方向に危ない奴だ。
 何でまともな同級生がいないのだろう。左右田と、あと狛枝と花村も含めると――結構割合多くないか? 危険人物の。
 恐怖というか嫌悪というか、悍まし過ぎて何も考えられない。危機感というものが麻痺してしまったのかも知れない。
 何だかこの持ち主の暴走具合を見届けたくなってしまった。好奇心は猫を殺すとも言うのに――。
 俺は、頁を捲った。




――――




 修学旅行六日目
 奴の使用済みペットボトルを手に入れた。コーラが入っていたそれは、コーラの匂いがした。奴とするキスも、コーラの匂いと味がするのだろうか。奴はコーラが好きだからな。
 キスしてみたい。舌を入れてみたい。奴の舌に絡めて、貪りたい。全身を舐め回したい。犯したい。愛し合いたい。中出ししたい。
 自分だけのものにしたい。したい。この想いが通じるなら、どうか、俺様だけのものに




――――




 俺の全身が硬直した。
 誰が誰か、漸く判った。
 まさかのである。まさか、まさか彼奴までもが、こんなことになっていようとは。
 左右田の日記を思い出す。確か左右田は「最高の贈り物」をすると書いていた。なら――次の頁に、何を渡されたかが書いているんじゃないか?
 俺の考えが正しければ、このノートの持ち主は――。
 俺は、頁を捲った。




――――




 修学旅行七日目
 奴が、俺様のものになった。
 乱れて凄かった、美味しかった。気持ち良かった。中に沢山出してやった。
 奴は嬉しそうに笑っていた。矢張り両想いだったのだ。

 奴が俺様の隣で寝ている。可愛い。もう逃がさない。ずっと、俺様だけのもの。絶対に、逃がさない。永遠に、死んでも、ずっと、逃がさない。
 絶対に逃がさない。

 奴としたキスは、鉄の味がした。




――――




 俺は無言でノートを放り出し、全力疾走でこの場から逃げた。
 左右田の時のようになりたくなかったから、俺は逃げたのだ。勇気ある逃走――正にそれである。


 息を切らせながら、俺は走り続けた。公園から逃げ出した俺は、いつの間にか砂浜まで来ていた。
 疲れた。採集の疲労も相俟って、全力疾走したから疲れた。もう無理。
 はあはあと肩で呼吸をしていると、先客を見付けた。
 見付けて、しまった。
 俺は疲労も忘れて草木の中へ飛び込み、姿を隠す。
 何故其処までするのか?
 ――左右田和一と、田中眼蛇夢が居たからだよ。


 二人は砂浜に座り込み、寄り添いながら海を見詰めている。
 端から見れば、仲の良い友人同士に見えないこともないが、全てを知ってしまった俺には――そう見えなかった。
 すりすりと、左右田が田中に擦り寄った。田中は左右田の背中に手を回し、優しい手付きで撫でている。睦まじい、まるで恋人――いや、もう恋人なのか。
 あの二つの日記が、真実だと云うのならな。信じたくないけども。

「左右田」

 ざざん、という波の音が聞こえる中、田中が左右田の名を愛おしそうに呼んだ。悲しい哉、静かな所為でこの位置からでも聞こえてしまう。聞きたくないのに。

「俺様は、貴様の全てが欲しい」

 左右田の身体を引き寄せ、ピアスの付いた彼の耳に齧り付き、田中は恍惚として囁いた。悲しい哉、視力が良いので見えてしまう。見たくないのに。

「俺も、田中の全部が欲しい」

 そっと田中の頬を撫で、慈しむような眼差しを向けながら、左右田が鼻に抜けるような声で囁いた。
 更に近付く二人の距離。お互いを見詰め合い、そして――二人の唇が触れ合った。
 最初は啄むように軽く唇を重ね、少しずつ噛み付くようなものになっていき、最終的にはお互いを貪り合っていた。
 因みに比喩ではない。田中の口角から血が滴り落ちているからだ。多分、左右田の鋭利な歯が、田中の舌か唇を傷付けたのだろう。本当に凶器のような歯だな。

「っは、あぁっ――鉄の、匂いがする」

 左右田は愉悦に溺れた表情で、己の長い舌を田中の口角に這わせ、流れていた血を舐め取る。味わうように口内で舌を転がせ、ごくりと舐め取った血を飲んだ。
 やばい、此奴やばい。

「旨いか?」

 自分の血を舐め取られ、剰えそれを飲まれたというのに、田中は左右田の髪を梳くように撫で、慈愛に満ちた表情をしていた。

「ああ、旨いよ。田中の血、すっげえ鉄の匂いがする」

 ほう――と甘ったるい吐息を漏らし、左右田は田中の胸に擦り寄った。田中はそれを受け入れ、ぎゅっと左右田を抱き締める。

「左右田よ。また、今夜も来てくれるか?」

 するすると、田中の手が左右田の身体を這い回る。獲物を糸で絡め取り、絶対に逃がすまいとする蜘蛛のような動きで。左右田は擽ったそうに身動ぐも、逃げようとはせず田中へ寄り掛かった。

「ああ、今夜も行くぜ。だから――」

 沢山、愛してくれよな――そう言って左右田は田中の首へ腕を回し、田中の唇を舌で舐めた。田中は左右田の舌を愛撫するように食み、二人はまた深く激しいキスをし始めた。


 敢えて言おう。リア充死ねと。
 同性同士だとかは関係ない。
 狂人同士だとかは関係ない。
 リア充爆発しろ。
 俺は怒りと悲しみを背負いながら、二人にばれないよう、音を立てずにこの場から逃げた。狂人の色恋沙汰など、俺も犬も食わないのである。
 もう一度言おう。リア充死ね。




――――




 とある男のコテージに、一冊の黄色い手帳が置いてあった。頁が捲れていて、中身が丸見えである。
 中には、こう記されていた。




 修学旅行生活、七日目
 身体に包装用のリボンを巻いて、彼のコテージへ行った。彼は最初驚いていたが、すぐに納得したようで、俺のことを寝台に押し倒した。
 この間、俺達は何も言葉を交わしていない。言葉など要らなかったのだ。俺達は、最初からこうなるべき存在だったのである。矢張り運命だったのだ。
 彼から与えられる全てを受け止め、身を任せた。初めてだったので少し怖かったが、彼となら堕ちていけると思った。苦痛も快楽も全て受容し、俺はずっと笑っていた。

 これは、愛なのである。性別すらも超越した、紛れもない愛なのだ。愛し愛されることは、この世で一番の僥倖であり、それを享受することは義務なのである。

 愛しい貴方、もうずっと、俺だけのもの。誰にも渡さない。ずっと俺だけを見ていて。裏切らないで。ずっと傍に居て。俺だけを愛して。俺も貴方を愛します。だから、愛して。

 彼としたキスは、芳醇な鉄の味がした。




 日記は此処で終わっている。

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