拝啓、愛しい貴方へ

 修学旅行としてジャバウォック島に来て、早一週間。
 南国の暑さにも慣れ、課題の物作りや採集にも慣れてきた頃。俺は暇潰しに寄った軍事施設で、一冊の手帳を拾った。
 黄色の無地で、柄などは入っていない。ぱっと見、名前なども書いていない。端が擦り切れていて、使い込まれている雰囲気はするものの、染みや汚れなどは一切無くて――何だか薄気味の悪い手帳である。
 しかし、恐らく誰かの落とし物な筈だ。このまま捨てる訳にもいかない。
 俺は落とし主を特定する為に、罪悪感を覚えながらも手帳を開いた。




――――




 修学旅行生活、一日目
 突然南国の島に連れて来られて、謎の修学旅行生活を強いられる。
 話に聞いていた「修学旅行」というものと、何かが違う。
 希望ヶ峰学園は何を考えているのだろうか。勉強がしたい。こんなところでは、何も学べない。何もない。

 採集は面倒だが、物作りはとても楽しい。しかし、物足りない。圧倒的に足りていないのだ。

 同級生は癖のある連中ばかりだ。あまり関わりたくない。当たり障りのない対応で、凌いでいくしかない。
 だが、一人だけ気になる。




――――




 綺麗な字だな、と思った。
 だけど何処か無機質で、まるで機械で打ったかのようなボールペンの字だった。
 まあ、それは良いとして――人物を特定出来る文章がない。これでは誰の物なのか判らない。
 俺は心の中で持ち主に謝りながら、もう一枚紙を捲った。




――――




 修学旅行生活、二日目
 まともな人間が居た。
 彼は至って普通の人間だった。何となく、信用出来そうな人間である。
 しかし、まだ信じてはいけない。人間は裏切る生物なのだから。

 足りない、足りない、足りない、足りない、足りない足りない足りない足りない足りない足りない足り

 気になる。矢張り気になる。
 彼が気になる。同じ匂いがする。物質的にではない、精神的に同じ匂いがする。
 得意分野も関心の方向性も違うが、同類な気がするのだ。いや、同じ穴の狢なのだ。絶対そうだ、そうに違いない。




――――




 怖い――俺はごくりと息を飲んだ。
 誰のことを言っているのか、持ち主が誰なのか判らない。一人称も、人の名前すらも出て来ない。こんなにも無機質な字なのに、鬼気迫る何かを感じる。
 怖い、捨てたい。けどもう、後に退けない気がして――俺は更にもう一枚、紙を捲った。




――――




 修学旅行生活三日目
 彼は頗る良い人間だった。信用しても良いかも知れない。
 もし裏切られたら、■■してしまうかも知れない。

 たりないたりないなんでもいいからほしいたりないたりていないたすけてくれたりないのだたりない

 彼が愛おしい。あの微笑みを此方にも向けて欲しい。愛おしい。こんなにも他人に執着するなんて、らしくない。
 そうか、これは運命だ。会うべくして出会ったのだ。だからこんなにも愛おしくて■■■てしまいたくなる。■■が愛おしい。ずっと見ていたい。触ってみたい。ずっと近くに居たい。彼の傍にいる■■■を利用しよう。




――――




 ――何だよ、これ。
 所々が黒で乱暴に塗り潰されていて、文字が読めなくなっている。
 だけど何となく、良いことは書いていない気がする。知らぬが仏――なのだと思う。
 俺は事務的に、紙を一枚捲った。




――――




 修学旅行生活、四日目
 彼は良い人間だ。彼なら信用出来る。彼なら多分、裏切らない。裏切らない。裏切らせない、許さない、絶対に許さない、裏切らせない。裏切ったら■■してやる、だから、裏切らないで、お願いだから、■■、お願い

 足りない。

 心臓が止まってしまいそうだ。彼が話し掛けてくれた。つい邪険にしてしまったが、想いがばれずに済んだと思えば良い。彼の声が聞こえる。録音した、愛おしい彼の声が、聞こえるのだ。今も聞こえる。楽しい。今日は眠れそうにない。彼の声を聞き続けなければならない。脳に刻み込んで、刻み込んで、何度も何度も反復して、彼を感じるのだ、感じる、彼が此処に居る。居るのだ、此処に居る、此処に




――――




 俺の手が、震えていた。
 持っている手帳がぶるぶると震え、手汗で文字が少し滲む。文字から伝わってくる持ち主の異常さが、俺の精神を冒していく。
 それでも俺は、麻薬にやられてしまったかのように、紙を捲り続けた。




――――




 修学旅行生活、五日目
 ありがとう。彼は見込んだ通りの人間だった。裏切る筈がなかったのだ、疑っていた自分が情けない。
 でも、こんなに信じて、裏切られてしまったら、もう、駄目かも知れない。■■、裏切らないで、■■はしたくない。

 物作りは楽しい、足りない。足りない、つらい、身体が震える。

 偽りの愛を■■■に吐きながら、彼に罵声を浴びせる日々は、いつになったら終わるのか。もう堪えられない。彼が欲しい。彼の全てが欲しいのだ。だけど、こんな自分を受け入れてくれる筈がない。二人を分かつ壁は、あまりにも大きい。何故■■■なのだろうか。彼に■■■たい。彼の■■を■■たい。彼の■■を■■されて■■■■。彼が欲しい。愛し愛されたい。彼を自分だけのものにしたい、愛しています■■■■■。




――――




 ――狂ってる。
 こんなにも感情的で無機質な文章を、俺は今まで見たことがない。
 南国の島なのに、寒い。全身が冷水を浴びたように寒く、ぞくりと悪寒が疾る。
 だけどまだ、誰か判らない。いや、本当は何となく誰なのか判っている。ただそれを、認めたくないだけだ。
 怖いから。今まで普通に接してきた普通の友人が、こんな狂気を孕みながら普通を装って暮らしていなんて――認めたくない。
 だから俺は、確かめるのだ。違うと信じて。
 次が昨日の分だろう。恐らく、これが最後だ。俺は覚悟を決めて、紙を捲った。




――――




 修学旅行生活、六日目
 裏切ったら殺す。
 裏切らないで、嫌なんだ。頼むから、解体したくないんだ。だから信じてる、ずっとずっとずっとずっと信じてる、信じているからな、日向。

 矢張り足りない、鉄が足りない。もっと、鉄の匂いが欲しい。鉄の、あの噎せ返るような馨しい匂いが。この際もう、ヘモグロビンでも良い、鉄が欲しい鉄が欲しい鉄が

 ソニアが彼と図書館へ出掛けていた。羨ましい。妬ましい。彼は自分のものなのに、何故邪魔をするのだろうか。何故俺は男なのだろうか。彼が欲しい。全て欲しい。彼の為なら人も殺せる。彼が此方に振り向いてくれるのなら、何人か殺してしまおうかな。余計な者が居るから、彼は自分を選んでくれないのだ。そうだ、そうに違いない。この世から彼と自分以外の人間を消せば、選択肢は一つしかなくなる。素晴らしい、素晴らしい妙案だ。
 ああ、でも、日向は殺したくない。彼は親友なのだ、俺の大切なソウルフレンド。そうだ、彼は仲人役になって貰おう。そうすれば殺さなくて良い。彼の好きな人も生かしておけば、彼とその恋人は幸せになれて、此方も幸せになれる。万々歳だ。何もかもが、上手くいく筈。大丈夫、今までばれずに遣ってきたのだから。大丈夫。

 待っていてください。愛しい貴方へ、最高の贈り物をします。




――――




 ばさりと、手帳が地面に落ちた。
 震えが止まらない。喉がからからに渇いて、酷い眩暈がする。全身が寒くて堪らない。
 一つ一つの単語が、持ち主を特定させてしまった。愛しい貴方が誰なのかも、判ってしまった。
 六日目に、ソニアと図書館へ出掛けていたのは――。

「――日向」

 じゃりっと、後ろから土を踏み締める音がして、声が掛けられた。

「そ、左右田」

 俺は後ろを振り返り、其処に立っていた人物――左右田和一の名を呼ぶ。いつも明るい笑顔を振り撒いている彼は、人形のように無表情だった。

「日向、どうして此処に?」

 抑揚が殆どない、棒読みに近い疑問を投げ掛けられ、俺の心臓がどくんと跳ねる。怖い。恐い。逃げ出したい。
 返事も出来ず、全身を戦慄かせながら左右田を見ていると、彼はふと地面へ視線を向けた。俺も釣られて下を見る。
 其処にはさっきまで俺が見ていた手帳が、中身を晒したまま落ちていた。

「――中、見たのか?」

 左右田が手帳を見詰めながら、俺に話し掛ける。俯いている所為で、彼がどんな表情をしているのか判らない。

「あ、いや、その――」
「見たんだな」

 左右田が顔を上げ、俺を見る。少しでも良いから、怒るなり嘆くなりしてくれれば良かったのに、彼は先程と全く変わらない無表情だった。
 じゃりっと足音を立てて、左右田が俺に一歩近付く。思わず叫び出しそうになるも、声帯が全く機能しなかった。恐怖が最高潮になると、人間は声も出ないらしい。
 もう一歩、左右田が近付く。腕を伸ばせば触れることの出来る距離にまで近付かれ――今すぐこの場から逃げてしまいたかったが、足が凍り付いたかのように固まって動かない。

「日向」

 左右田が俺を見詰めながら名前を呼ぶ。恐怖で揺れる視線を左右田に向け、彼の目を見た。
 左右田の目は濁った汚水のように澱み、正気の光を失った狂気の闇を孕んでいた。

「お前は、俺を、裏切らないよな?」

 小首を傾げながら、左右田が無表情のまま訊ねる。狂気に満ちた躑躅色の瞳が俺を見据え、蜘蛛の糸のように視線が絡み付いてくる。
 逃げられない。そう確信した。

「――あ、ああ。俺はお前を、裏切らない。絶対に、裏切らない」

 震える声で俺が断言すると、左右田は口だけを笑みの形に歪め、ずっと信じているからな――と言って、地面に落ちている手帳を拾い上げた。
 壊れ物を取り扱うように、丁寧に土埃を手で払うと、左右田は――いつもと同じ明るい笑顔を作り、俺に向かって歌うように囁いた。

「ずぅっと、ずぅっと、信じているからなぁっ」

 そう言って、左右田は踵を返して去っていった。


 左右田を見送った俺は、張り詰めていた緊張の糸が切れ、地に膝を突いてへたり込んでしまった。
 力が入らない。立ち上がれない。身体中の力を使い果たしてしまったかのようだ。
 ふと、空を見上げてみる。いつもと変わらない、晴天だった。明日も晴天なのだろうか。
 明日も――いつもと変わらない生活は、存在しているのだろうか。
 左右田は今日、どんな日記を書くのだろうか。
 明日は?
 明後日は?
 明明後日は?
 左右田はどんな日記を書くのだろうか。
 日記を書く時、左右田はどんな表情で書くのだろうか。
 判らない。何もかもが、判らない。


 ――愛しい貴方へ、最高の贈り物をします。


 日記の最後に書かれていた一文。この「最高の贈り物」とは、一体何のことなのだろうか。
 判らない。
 何もかもが、判らない。
 俺は地面に蹲り、明日という日が無事に訪れることを祈った。何事もない、いつもと同じ生活が訪れることを。

[ 137/256 ]

[*戻る] [進む#]
[目次]
[栞を挟む]


戻る


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -