左右田は呼び込みをするべく、食堂から出て――辺りを見渡した。
 何故見渡したかというと、知人や友人、級友が居たらばれてしまうかも知れないからである。
 知っている人間が居ないことを確認し終わった左右田は、呼び込みを――高めの声で――行った。
 必然的に己へ向けられる好奇の目に、左右田は泣き出したくなったが――ぐっと堪え、作り笑いで呼び込みをする。
 もし彼の苦悩を読み取れる者が居たとしたら、その人間は彼を抱き締めて「もう良い、よくやったよ」と慰めてしまうくらいに――彼は本当に苦悩していた。
 何故、自分はこんなことをしているのだろう。
 何故、自分は生きているのだろう。
 今にも羞恥と屈辱で発狂しそうになる精神を、強靱な理性が世間体と友情という紐で縛り上げ、崩壊してしまわないように奮闘している。左右田和一は、そんな危うい状態で踏ん張っていた。
 踏ん張っていたのだが――。

「――ほう、花村の作りし馳走か。俺様に相応しい贄だな」
「あはっ、超高校級の料理人である花村君の料理が食べられるなんて――ああっ! 何て幸運なんだろう! 昨日車に轢かれそうになった甲斐があったよ!」
「ちっ、相変わらず五月蠅えなあ此奴は。少しは黙れよ、舌切るぞ」

 ――左右田の精神は、堕ち掛けた。
 尊大な物言いの真っ黒男。白髪頭の気狂い男。童顔で小柄なスーツの男。
 向こうから此方にやってくる、その三人は――明らかに左右田の級友だった。
 左右田は思った。このままでは拙いと。しかも最悪なことに、この三人は異常に勘が鋭い。少しでも接触しようものなら、すぐに正体が――左右田和一だと見破られてしまうだろう。
 それは何としても避けたい。避けねば、己の精神がやばい。
 そう考えた左右田は、食堂へ引っ込もうとした――のだが。

「ほう、お嬢ちゃん。可愛い顔してんじゃねえか」

 突然、訳の判らない変な男に絡まれてしまった。手首を掴まれてしまい、逃げられない。
 何しやがんだ糞モブ変態野郎――と、級友の女子を彷彿とさせる台詞を吐きそうになるが、左右田は堪えた。
 振り払うのも殴り倒すのも蹴り飛ばすのも容易いが――此処は花村の食堂前であり、客も居る。それに、問題を起こして花村に迷惑を掛けてしまうのは申し訳ない。
 故に彼は穏便に、丁寧に――にっこり笑って男に話し掛けた。

「あの、すみません。手を離して頂けないでしょうか」
「んなこと言うなよ。お嬢ちゃん、ちょっとだけおじさんと散歩行こうや」

 何が散歩だ、この弩変態短小包茎芋面糞野郎が――と、級友の女子以上の暴言を吐きそうになるが、何とか左右田は堪えた。
 普段はすぐに取り乱したりする彼だが、いざという時の我慢強さは人並み以上にあるようだ。
 左右田は小さく深呼吸をし、己の手首を握っている男の手に、自由な方を手を添える。

「すみません、今は忙しいので」
「じゃあ、後なら良いんだな」

 殺してばらばらに解体してから山に捨てんぞ馬鹿が――と、級友の極道が言いそうな台詞を飲み込み、引き攣り掛けた口角を真一文字に引き締め、左右田は目だけ笑顔の形にした。

「すみません、そういうお誘いは受け付けておりませんので」
「はあ? 何でだよ、ちょっとくらい良いだろうがよ」

 殺してやる。此奴、絶対殺してやる――と、爆発寸前の憤りを内々で煮え滾らせながら、それでも左右田は必死に堪えた。
 理性的であるが故に、彼は今まで我を失う程に憤慨したことはない。だがしかし、この非常事態に非常識な馬鹿が絡んできたことで――強靱な理性が、消滅し掛けていた。
 もう後一回、精神を揺るがせる何かがあれば、左右田はいとも容易く発狂してしまうだろう。
 そんな状態にまで追い込まれた彼に――天使の皮を被った悪魔が三人、舞い降りた。

「――貴様、其処の雌猫が拒絶しているだろう。執拗に食い下がるな、恥を知れ」
「やれやれ。学園祭に招待されたお客様だからって、やって良いことと悪いことの分別くらいは付けて欲しいよね。超高校級の皆に迷惑が掛かっちゃうよ」
「はっ。良い歳したおっさんが、こんなところに来てまで何してんだか。んなくだんねえことは、外でやってろや」

 そう、左右田が回避したかった三人である。
 幸か不幸か、左右田と男の異常な雰囲気を察した三人が、左右田――とは露知らず――を助ける為に、男との間に割って入ってきたのだ。

「なっ、何だよてめえ等。餓鬼はあっち行ってろ」

 しっしっと三人を手を振る男に、童顔で小柄なスーツの男――超高校級の極道である九頭龍冬彦が、ずいと前に出た。

「餓鬼だと? てめえ舐めてんのか。極道に楯突こうたあ――良い度胸してるじゃねえか、ごるああああっ!」

 そんな小さな体躯に、一体どれだけの力があるのかと思う程の怒声だった。
 辺りがしんと、静かになった。
 怒鳴られた男は、九頭龍を頭の先から足の先まで見回して――さあっと顔面蒼白になり、左右田の手首を解放して、転けそうになりながら逃げ出した。どうやら九頭龍が超高校級の極道だと気付いたらしい。勘の良い男である。
 もし九頭龍に噛み付いていたら、彼は二度と日の目を拝むことが出来なくなっていただろう。運の良い男である。

「へっ、度胸ねえなあ。さて――おい、大丈夫か?」

 逃げていく男を見送った九頭龍が、左右田に話し掛けた。
 左右田は思った。非常に拙いと。
 図らずも三人に助けられるという形になってしまった以上、礼を述べねば失礼である。しかし、喋ってしまうと気付かれるかも知れない。だが、助けて貰っておいて礼を言わないなど、傲岸不遜も甚だしい。
 常識と非常識を天秤に掛け、苦悩に苦悩を重ねた結果――左右田は、礼を述べることにした。やはり性根が真面目な男故、どうしても無視は出来なかったのである。

「――あ、ありがとうございました」

 聞こえるか聞こえないくらいの、高めの声で礼を言い、左右田は綺麗にお辞儀をしてみせた。
 礼は述べたいが、やはりばれるのは怖い――そんな葛藤が生み出した、苦渋の決断であった。

「へっ、別に構いやしねえよ。けどよお、てめえももう少ししゃきっとしろよ。あんな馬鹿くらい、さっさと追い払えや」
「九頭龍君。幾ら予備学科相手でも、そんなこと女の子に言っちゃ駄目だよ」
「ふっ、脆弱なる雌猫よ。精々足掻き、己の魔力を高めていくが良い」

 ばれなかった――と、左右田は安堵した。
 勘の鋭い三人が、自分の正体に全く気付いていない。
 やった、助かった。このままさっさと食堂で料理を食べて、さっさと出て行ってくれれば万々歳だ。
 高難易度の試練を乗り越え、左右田は達成感に打ち震えた。
 ――だが、現実は非情である。

「――左右田さん! ちょっと中を手伝って貰えますか?」

 予備学科の彼が、食堂から出て来て左右田を呼んだのだ。
 そう。左右田を、呼んだのだ。
 三人の傍に居る、左右田に向かって。

「――そうだ?」
「そうだ、って――左右田?」
「左右田、だと?」

 もし左右田和一が、左右田という名字ではなく、ありふれた名字であったなら――何の問題もなく誤魔化せただろう。
 しかし――悲しい哉。左右田などと云う珍しい名字は、そうそう在りはしない。
 三人が左右田を見る。まじまじと見る。まさかと思いながら、左右田を見る。
 そして――気付いてしまった。


 先程助けた彼女が、彼女ではなく彼であり、しかも――自分達の級友である左右田和一、本人だということに。


 暫時、静寂が辺りを包む。
 九頭龍は気拙そうに頬を掻き、真っ黒男――田中眼蛇夢は引き攣ったような笑みを浮かべて硬直し、白髪頭――狛枝凪斗は目を輝かせながら、左右田をじっくりねっとり見詰めている。
 鈍感な予備学科の彼は、よく判らない空気に頭を傾げながら――再び左右田の名前を呼んだ。
 いや、呼んでしまった。
 刹那、左右田の理性が――ぶちりと引き千切れ、消滅した。

「――ふふっ」

 左右田が微笑んだ。理性の光が喪失した、仄暗い黒眼が眼鏡越しに三人を射抜く――いや、射殺すように捉える。
 瞬間、三人は恐怖した。
 極道である九頭龍でさえも、小心者で臆病者な堅気でしかない左右田和一に――恐怖したのだ。


 こんなことを、聞いたことがあるだろうか。
 普段は温和しい、または真面目な人や、明るく賑やかな人程――切れると怖い、と。
 普段と切れた時の振る舞いの落差が、恐ろしさを増幅させているとか――普段切れない分、鬱憤が溜まりに溜まって爆発するから怖いとか――切れ慣れていないから、必要以上に切れてきて怖いとか――色々な理由があるだろうが、左右田和一は全てに該当していた。
 その所為か、将又生来の悪人面の所為か――左右田の憤怒と狂気は、極道さえも恐怖させる域にまで達していたのである。

「ふ――ふふふふっ」

 左右田は笑う。
 笑っている。笑い続けている。穏やかで、優しくて――狂気と怒りに満ちた、壮絶な笑みを浮かべている。
 三人は思う。
 何故自分達は、此処へ来てしまったのだろうと。
 何故自分達は、気付かない振りをして逃げなかったのだろうと。
 後悔してももう遅いのだが――後悔せずには、いられなかった。

「――お客様、どうぞお入りください」

 左右田の、粛々とした高い声色が三人に掛けられた。
 有無を言わさない、言わせない――限りなく威圧に近い、脅迫の念が込められた眼差しも含めて。


 ――ばらしたら、ばらす。


 完全に見開かれた左右田の目は、三人にそう脅しを掛けていた。
 お互いを見合わせた三人は、左右田に向き直り――お邪魔します、と言って頭を下げ、監獄にぶち込まれる囚人のような表情と足取りで、食堂へと入っていった。




――――




「――よく判らないって。何で嫌なのか、理由はないのか?」

 南国特有の暑い空気の中、日向創が左右田和一に尋ねる。すると左右田は、ううん――と唸り、エプロンドレスを睨み付けた。

「何つうか――見てるだけでむかついてくるっつうか、腹立たしくなってくるっつうか――何か苛々してきて、頭がおかしくなりそうなんだよ」

 怒気を――いや、殺気を孕んだ左右田の声音に、日向は思わずびくりと肩を震わせた。左右田は日向の怯えに気付くことなく、怨敵とばかりにエプロンドレスを睨め付けている。
 今まで色々な左右田の表情、声を聞いてきた日向だったが――こんな表情と声の左右田を、日向は知らなかった。
 日向は思った。これ以上、触れてはならないと。

「――そ、そうか。ごめんな、嫌な物見せて」
「あ? ああ――まあ、もう止めてくれよ。これを俺に見せんのは」

 左右田はそう言って、日向に微笑んだ。穏やかで、優しくて――有無を言わさぬ拒絶の意志が込められた、そんな目をして。
 日向はそんな左右田を見て、無言でぎこちなく頷くと――電子手帳を開き、エプロンドレスをペットにプレゼントして消し去った。

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