下
しんと、辺りが静まり返った。
うわあ、気拙い。
とりあえず俺様が訂正してやろうと思い、口を開きかけた――その時、左右田が狛枝に怒鳴った。
「日本の神様は大体祟るっつうの! 御社宮司様だけじゃねえよ!」
「えっ? でも、一年神主とか人身御供とか、あんまり良い神様には思えないけどなあ」
「ふっざけんな! 祟られんぞ!」
「あはっ、やっぱり祟るんだ」
むぎゃあああっ――と左右田が奇声を発して怒り出したので、俺様は奴の項にある鱗を撫でてやった。すると左右田は、見る間に落ち着きを取り戻した。
「田中、さっきも左右田の項を撫でて宥め賺してたけど――何かあるのか?」
流石日向。俺様が特異点と認めた男、良い観察眼だ。
「左右田の項に、喉と同じような鱗があるのだ」
「えっ、じゃあ撫でたらやばいんじゃ――」
「――ああ、それなら大丈夫だ」
自分で撫でても落ち着くし――と、左右田が言った。
「自分でもよく解んねえけど、項のは他人に触られてもむかつかねえんだよ。寧ろ――気持ち良いっつうか、落ち着くっつうか」
そう言いながら左右田は長い後ろ髪を掻き上げ、項を外界へ晒す。果して其処には――金色の鱗がびっしりと生えていた。
喉の鱗と同じ形状ではあったが、項のそれは生え方が違っていた。上から下にと――正常な鱗の生え方をしている。
「凄いよ左右田君。まるで蛇――いや、龍みたいだ。神秘的だよ! 希望に満ち」
「溢れてねえよ! つか、触んな。お前に触られるのは、気分的に、悔しい」
「あはっ、本当に温和しくなっちゃった」
狛枝は愉快そうに、玩具を弄る子供のように、左右田の項を撫で回している。
左右田は悔しそうに狛枝を睨んでいるが、その手を払い除けようとはしない。それどころか、もっと撫でろと言わんばかりに狛枝へ寄り掛かっている。
「あはは、左右田君に懐かれちゃった。僕みたいな下劣で愚鈍で無能な駄目人間が、超高校級のメカニックに懐かれるなんて幸運過ぎるよ! 僕、明日死ぬのかなあっ!」
何で死ぬかも知れないのに喜んでいるのだ此奴は。
「な、懐いてねえし。ちょっとした気の迷いだし」
「その割には僕にべったりだよね。これが所謂ツンデレってやつなんだね! 夢と希望に満ち溢れているよ!」
「ツンデレじゃ、ねえし」
いや、言動の不一致という点に関しては正しくツンデレだぞ左右田よ。
「にしても――結局、これは病気なのか?」
ふと、思い出したかのように日向が呟いた。
そうだった。呪いにまで話が飛んでツンデレに至ってしまったが――結局これは、何なのだろうか。
生まれ付き生えていたと本人は言っていたが――さて。
「――左右田よ。貴様の両親にも、その鱗はあるのか」
「ああ――親父にはあったな」
何てこったい遺伝ですか。
何の遺伝だ、何の奇病だ。
「げえっ、左右田おにぃって爬虫類か何かの子孫な訳? それとも、早く人間に成りたいとか言う妖怪の類?」
「違えよ! 俺は人間だっつうの!」
狛枝を漸く払い除けた左右田は、西園寺に向かって叫んだ。
「畜生、だから隠していたかったのに――田中のせいだぞ!」
お前が無理矢理剥ぐから――と言い、左右田は半泣きになりながら俺様を睨んだ。
剥いだのは破壊神暗黒四天王なんです――なんて言い訳は通じないだろうな。部下の失態は上司の責任だし、この世界は。
「左右田よ、その件に関しては俺様が悪かった――すみませんでした!」
「お、おう」
びしっと頭を下げてやれば、左右田は困惑した様子で俺様の謝罪を受け入れた。ふはは、覇王の謝罪に恐怖したか。
「まあ、ばれちまったもんはしゃあねえんだしよお。今更がたがた抜かすなよ」
それよりも、これからどうするかだろ――と、九頭龍が言った。尤もな意見だ。
「ど、どうするって――えっ? ま、まさか俺のこと解体するとか言わねえよな? 俺はされるよりする方が」
「ちげえよ馬鹿! 鱗剥ぐぞ!」
この解体中毒が――と、九頭龍が左右田に怒鳴り付ける。すると左右田は半泣きになりながら、解体中毒は病気じゃねえし――と訳の解らない弁解を返した。
「まあまあ、二人共落ち着いて落ち着いて」
狛枝の奴、やけに今日は仕切りたがるな。
「喉に触らなければ何の問題もない訳だし、別にどうこうする必要はないんじゃないかな」
僕としては左右田君の項を撫でて、アーバンな一夜を過ごしたいけどね――と言いながら、花村は左右田に熱い視線を送る。左右田は狛枝を盾にし、その視線から素早く逃げた。
「あはっ。左右田君、思わぬ弱点が露顕しちゃったね」
「じゃ、弱点?」
「えっ? だってそうじゃない。喉は正に逆鱗だから誰も触りはしないだろうけど――項は、別だよね?」
ちょっと撫でただけで、こんな下等で愚劣な僕にも気を許してしまうんだから――と言い、狛枝は再び左右田の項を撫でた。何か言い返そうとしている左右田だが、撫でられているせいか何も言えず、呻きながらされるがままになっている。
「ほら、こんなに温和しくなっちゃうんだよ? これはもう――」
やりたい放題だよね――と、狛枝はにっこり微笑んだ。
何がやりたい放題なんですか。
「やりたい、放題」
ぼそりと、日向が呟いた。
ちょっと特異点さん、あんた何を考えているんですか。顔が怖いですよ。
「へえ。なら――合法的に持ち帰りも可能、か」
機械に強い弟分が欲しかったんだよな――と、九頭龍が呟いた。
ちょっと極道さん、あんたも何考えているんですか。左右田に何をやらせる気ですか。
「じゃあ――左右田おにぃを私の奴隷にすることも出来るってことだよね!」
まあ、既に奴隷みたいなものだけどね――と、それはそれは嬉しそうに西園寺が言った。
ちょっと雛鳥さん、あんた――いや、此奴はいつも通りか。
「な、懐いてくれるんだ」
そっか、懐いてくれるんだ――と、譫言のように小泉が呟いている。
ちょっと写真家さん、あんた何を考えているんですか。あっでも、他の奴等と比べたら邪気を感じないから良いか。
ざっと、他の奴等の様子も見てみた。皆反応は違えども、左右田に対して何やら不穏な空気を漂わせている。
左右田もその空気に気付いたのか、再び狛枝を盾代わりにし、皆の視線から逃れるように隠れた。
「狛枝の後ろに隠れんなよ。ほら、おいでおいで」
「っだあああっ! 日向てめえ、俺を犬猫扱いすんじゃ――あっ」
狛枝の後ろに避難していた左右田を引き摺り出した日向は、左右田を抱き締め、項を撫で回した。途端に左右田は温和しくなり、日向の身体に寄り掛かる。
「おお、本当に鱗だ。つるつるしてて、触り心地が良いな」
「ううっ――まじ、やめろよ、日向ぁっ」
「良いじゃないか、減るものじゃないんだし。俺達ソウルフレンドだろ」
人として大事な何かが減るんだよ――と、左右田は唸るように言ったが、日向から離れる様子はない。
「ううっ。何で、こんな目に」
「良いじゃないか、気持ち悪いって拒絶されるよりは」
「そう、だけどよお。何か、やだ」
口ではそう言いながらも、左右田は日向の驚異的な胸囲に擦り寄っている。言動の不一致も甚だしいな。
「ねえねえ左右田おにぃ! その鱗、金ぴかで綺麗だよね! 一枚頂戴?」
「なっ、ふざけんな! 剥ぐの超痛えんだぞ、これ!」
「ええっ、けちぃっ」
けちって問題じゃねえよ――と言いながら、左右田は日向から離れ、西園寺に文句を吐いた。
「ねえ左右田。ちょっとさ、それ写真に撮らせてよ。顔を撮されたくないなら、首だけにするから」
「おっ、俺は見せ物じゃねえぞ!」
カメラを構えながら近付いてきた小泉に、左右田は日向を盾にして隠れてしまった。
「あっ、あのぉっ。私にも、その鱗――触らせて、頂けませんかぁ? あっ、興味本位とかじゃなくてですね! そのぉ、医学の発展のために――えへへ」
「ううっ――ま、まあ、それなら良いけど」
珍しく積極的に関わってきた罪木に絆されたのか、日向の後ろから出て来た左右田は、罪木に頭を垂れた。罪木は左右田の項に手を伸ばし、鱗を撫でる。
「ふぁぁあっ、本当に鱗ですぅっ! ど、どんな感覚なんですか?」
「あ? ああ――何つうか、皮膚の延長線、みたいな? 撫でられてるって、感じるし」
「ちょっとでも引っ張ると、痛いですかぁ?」
「いや、多少なら、別に。思いっきり、引っ張ると、超痛えけど」
鱗を撫でられているせいか、左右田の発言が顕著に途切れ途切れだ。
「和一ちゃん! さっき剥ぐの超痛えって言ってたっすけど、剥がれたことあるんすか!」
ドメスティックバイオレンスっすよ――と叫びながら、澪田がヘッドバンギングをし始めた。ヘドバンをする必要があるのか解らない。
「昔に、自分でな。やっぱ変だと、思ったから。剥げば、なくなる、かなって」
まあ、剥いでも、また生えてきたんだけどな――と、罪木の肩に額を乗せながら左右田が答えた。身を委ねたい衝動と、相手が女であることへの配慮が、その中途半端な寄り掛かり方を生んだのだろうか。
「は、剥いでも生えるんですかぁ? ふゆぅぅっ、周囲の皮膚ごと病巣を除去するしかないんですかねぇ」
「そんな、恐ろしいこと、言わないでくれよぉ」
左右田は半泣きになりながら、己の項をぐりぐりと撫でる罪木の肩に、額をぐりぐりと押し付けている。何だろう、かなり滑稽だ。
「まあまあ、そんな面白い――げふんげふん。日常生活に支障がないんだし、無理に治さなくても良いじゃない」
「お前、今、面白いって」
「言ってないよ! 僕みたいな何の取り柄もない屑如きが、超高校級のメカニックである君を面白いなんて――そんな、烏滸がましいにも程があるよ!」
じと目で睨んでくる左右田に、狛枝はいつも通りの自虐を交えて否定した。
が、俺様には解る。間違いなく此奴は、今の状況を面白がっている。現に此奴は、左右田のことを好奇と――何かよく解らない、とにかく危ない眼差しで見つめている。
希望に魅入られた狂人のことだ。放っておけば左右田がやばい。狛枝の希望で左右田がやばい。
ふと、俺様は考える。果してこのままで良いのかと。
狛枝は確実に終わっているが、他の人間も少なからずやばい。悲しいことに、特異点である日向もやばい。
先程の西園寺の発言もやばいし、花村も駄目だ。九頭龍もやばい。罪木も除去とか言っているし、もしかすると――うん、やばい。
他の奴等は危なくはなさそうだが、やばい奴等を止める気もなさそうだ。
――このままで良いのか、田中眼蛇夢よ。
幼気な龍の申し子が、絶体絶命の危機に陥っているのだぞ。
果して、このままで良いのか?
――いや、良くない!
超高校級の飼育委員である俺様が、哀れな魔龍を見捨てる訳にはいかんのだ!
「――左右田よ」
「んあ?」
「制圧せし氷の覇王であり、超高校級の飼育委員と謳われる、この俺様が――直々に貴様を飼育してやろう!」
あっ間違えた。飼育じゃなくて保護――。
「――へ、変態っ!」
「田中君ってむっつりだったんだね。希望と欲望に溢れてるよ!」
「犯罪一歩手前っすよ眼蛇夢ちゃぁぁんっ!」
「田中君もそっち系だったんだね! 親近感湧くなあ」
「きもっ。左右田おにぃを飼うとか、頭湧いてんじゃないのぉ? っていうか左右田おにぃは私のなんですけど」
「それは違うぞ! 左右田はソウルフレンドである俺の」
「がたがたうっせえぞ! 日向も左右田も俺の組に入りゃあ万々歳だろ!」
「流石です坊ちゃん」
「ふゆぅぅっ、それより除去しないと駄目ですってばぁっ!」
「左右田って食えんのかあ?」
「ふんっ、丸焼きにするか」
「無っ、食えんと思うぞ!」
「わぁお! これがジャパニーズ修羅場ですね!」
「すやぁっ」
うわあ、何かえらいことになっちゃったぞ。
左右田を見る。奴は現実から目を背けるように蹲り、自分で自分の項を撫でていた。
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