上
南国の島に強制連行され、謎の修学旅行生活が始まってから現在に至るまで、俺様には一つだけ気になることがあった。
それは同じ修学旅行メンバーである、超高校級のメカニック――左右田和一のことである。
暑苦しい派手なつなぎ服――俺様の暑苦しい服装については棚に上げる――を身に纏い、これまた暑苦しいニット帽を被った、躑躅色の髪と瞳をした男だ。
余計な補足だろうが、髪と瞳は人工的なものだ。毛染めとカラーコンタクトによるものであり、生まれ付きのものではない。
と、軽く奴について説明をしたが、そんなことは関係ないのである。
俺様が気になっているのは、そう――奴の首に巻かれた包帯のことだ。
修学旅行が始まる前からずっと巻かれていて、外したところをまだ見たことがない。もう一週間以上は過ぎたのに、だ。
夜に一度、風呂上がりらしき時に突撃――急用があったからだぞ――したこともあったのだが、その時も包帯はしっかりと巻かれていた。
怪我をしているから巻いているのではないでしょうか――と、ソニアは言っていたが、生傷だらけの俺様には解る。怪我などしていないと。
怪我をしていたら大なり小なり痛みが生じる筈だ。だが奴は、平気そうな顔で包帯越しに首を掻いたりしている。
酷い傷痕があるんじゃないか――と、日向は言っていたが、古傷だらけの俺様には解る。酷い傷痕などないと。
古傷が痛むという言葉があるように、本当に古傷は痛む。特に酷い傷痕があるなら、尚更痛むこともあるだろう。だが奴は、天気が良かろうが悪かろうが、常に平気そうな顔をしている。
つまり、奴の首には怪我も傷痕もない――筈なのだ。多分。
いや、俺様の邪眼に間違いはない。ないったらない、ないのだ。
「――おい田中。何、人のことじろじろ見てんだよ」
そう言って俺様を訝しげに睨んでいるのは、件の男――左右田和一だ。
今はレストランにて朝食を取っている真っ最中であり、俺様の座っている席の前――テーブルの前には左右田が座っていて、奴はサンドイッチを齧っている。
簡単に言うと、向かい合わせという形で食事をしている最中である。
「いや、見てなどいない」
というのは嘘で、思いきり首の包帯を見ていました。
「あ? 思いっきり俺のこと凝視してたじゃねえか」
文句があるならはっきり言えよ――と言い、左右田はその凶悪で鋭利な牙をサンドイッチに突き立て、食い千切った。やはりばれていたか。
文句ではないが、言いたいことは――いや、聞きたいことはある。
勿論、首の包帯についてだ。気になって気になって仕方がない。
俺様以外の皆も、何となく気になってはいるようなのだが、誰一人として聞くことなく現在に至ってしまった。この現状は頂けない、もやもやする。
まあ――邪眼を持つ俺様には、大凡の見当は付いているのだがな!
「――左右田よ」
「あ?」
不機嫌そうに左右田が返事を寄越す。だが俺様は、臆することなく尋ねた。
「貴様の頸に巻かれし純白の結界――それは、貴様の内に秘めた混沌たる魔力を、外界に溢れ出させぬための封印だな?」
どやぁっ――という、自分でも解るくらいの自信満々な表情で、俺様は左右田に言ってやった。
決まった。そう思った――のだが。
「――はあ?」
左右田は呆れたように口を開け、俺様を見つめていた。可哀想なものを見るような目で。
可哀想なものを、見るような、目で。
――俺様は可哀想じゃない! ただちょっと残念なだけだ!
「き、貴様ぁっ! そのような目で俺様を見るな!」
「ああ、うん。まあ、その――大丈夫、きっとその病気もいつか治るから。多分」
び、病気扱いまでされた! 厨二病は病気じゃないもん!
「言うに事を欠いて俺様を、病に冒されし弱者扱いとは――許さん!」
もう怒った! その封印、引っ剥がしてやらぁっ!
俺様は席を立ち、左右田へと早足で歩み寄り、そして――左右田の首へと手を伸ばした。
「うわっ――ちょっ、殺される! 絞殺される!」
「殺しはせん、その封印を解くだけだ!」
俺様がそう言った瞬間、左右田は顔面蒼白になり――己の首を掴みかけた俺様の手を、がしりと握り締めた。
俺様の手首を粉砕する気かというくらい、強く握り締めている。かなり痛い。
「じょ、冗談だろ? 止めろって。悪趣味過ぎるぜ」
俺様の動きを拘束しながら、左右田は震える声で――怯えを孕んだ目で訴えた。
何だ、何を怯えている。
一体、その包帯の下に――何を隠している?
「左右田、貴様は――」
「――ちゅぅっ」
俺様が左右田に聞こうとした――その瞬間、気を利かせたらしい破壊神暗黒四天王が、一斉に俺様のストールから飛び出し、左右田に飛び掛かった。そして――。
「うわっ、やめ――」
――破壊神暗黒四天王が、左右田の首に巻かれた包帯を噛み千切った。吃驚した左右田は、俺様の手を離す。
はらり、と。包帯が剥がれ落ちた。
常に巻かれていたせいか、肌は他の部分より色白で――あれ?
何だ、あれは。
喉仏の辺りに――何かが生えている?
下から上に向かって、まるで天を衝くように――爬虫類のような金色の鱗が、びっしりと生えている。
「な、んだ、これは――」
ほぼ無意識に、好奇心でそれに手を伸ばしていた。
好奇心は猫を殺す――そんなことも忘れて。
「ちょっ、触るな――あっ」
ぺとり、と。その鱗のような物に触れた時、左右田がびくりと身体を震わせた。
しかし俺様は左右田の反応に気付くことが出来ず、その鱗に集中してしまっていた。
鱗は硬く冷たく、表面はつるりとしていて滑らかだった。まるで本物の、爬虫類の鱗のような感触だ。
しかし――鱗というものは普通、上から下に生えるものではないのか。
これじゃあまるで、龍の顎下に生えているという、逆鱗のような――。
「――っああああああっ!」
咆哮――と言っても良い程の絶叫が、突然レストランに響き渡る。その刹那、俺様の首が何者かに絞め上げられた。
何者かを見る。咆哮の主――左右田が、俺様の首を絞めていた。
「――そ、左右田! 何やってんだ!」
俺様と左右田の戯れをずっと傍観していた日向が、事の異常さに気付いて止めに入る。が――。
「――殺す、殺す殺す殺す殺す殺す殺す――殺す!」
左右田には日向の声が聞こえていないのか、呪詛のように殺す殺すと呟きながら、俺様の命を刈り取らんと首を強く絞め上げてくる。
拙い、意識が飛ぶ。
「止めろって左右田! 田中が、田中が死んじまう!」
「左右田さん! それ以上の暴虐は許しませんよ!」
日向に続き、ソニアも止めに入るが、左右田の殺意は――俺様の首を絞める手は、止まらない。
段々と、意識が遠退いていく。酸素が、脳に血が、いっていない。拙い、このままでは、拙い。
死というものが、明確な形となって今、俺様に下されようとしている。
――このままで良いのか?
俺様はこんな、理由の解らない殺意によって死ぬべき男か?
――いいや、違う。
俺様は、制圧せし氷の覇王は――こんなことで魔界へ強制送還されるような男ではない!
俺様は飛びそうになる意識を奮い立たせ、左右田を見る。
左右田は、怒りに我を忘れた獣のような目をしていた。
獣――獣、か。
俺様は無意識に、左右田へ手を伸ばしていた。
獣を宥めるにはどうすれば良いのか、俺様の身体は本能レベルでそれを知っていたから――。
「――よぉ、し、よし」
絞められた喉から、正しく声を絞り出しながら、俺様は左右田の頭を撫でた。意識的に喉は避け、耳や頬、髪を撫で、そして項に触れた時――。
「あっ」
――何か硬い物に指が触れ、左右田が小さく鳴いた。
そっと、項を再び撫でてみる。硬くて冷たい滑らかな――さっきの鱗のような物が生えている?
俺様がそれを確かめるように撫でいると、段々首を絞める力が弱くなってきた。心なしか、左右田も落ち着いてきているように思える。
――もしかして。
あらゆる魔獣と契約を交わしてきた俺様は、直感的に確信した。
此処が此奴の――弱点だと。
な、る、ほ、ど、な。
――超高校級の飼育委員の力、見せてやる。
「――よぉしよしよしよし」
締め上げる力が弱くなったお蔭で、俺様はほぼいつも通りに声を出すことが出来た。
項の鱗を撫でる。しつこく何度も何度も撫でまくる。強過ぎず弱過ぎずの絶妙な力加減で、何度も何度も何度もな。
その度に左右田は呻き、俺様の首を絞める手を緩め、そして――遂に、その魔手を離した。
俺様、大勝利。
「だ、大丈夫か田中」
日向が声を掛けてきたので、俺様は返事代わりに手を挙げる。
「左右田さん! 田中さんへの暴力、許しませんよ! 温和しくお縄をお参りしてください!」
間違えた日本語を使いながら、ソニアが左右田を叱り付けている。
しかし左右田はソニアに平伏せず、ただぼうっと自身の手を見つめていた。
――――
「生まれ付き、鱗が生えているだと?」
「お、おう」
ソニアの暴走を止め、正気を取り戻した左右田を尋問したところ――とんでもない事実が発覚した。
「鱗が生えるなんて、そんな病気あるの?」
「ふゆぅぅっ。皮膚が鱗状になる病気はありますが、こんなに立派な鱗が生える病気なんて――あ、ありませぇん」
小泉が尋ねると、罪木は半泣きになりながら答えた。
俺様も皮膚が鱗状になる病のことは知っているが――これは鱗状どころではない、鱗だ。完全なる鱗だ。
「ところでさ、左右田君は何でそれを隠していたの?」
気味が悪い程にこやかに、狛枝が左右田に質問をした。左右田はそれに対し眉を顰め、小さく答える。
「だ、だって。こんなん異常だろ? 引かれたくなかったし」
「引く訳ないじゃないか! 少なくとも僕は引かないよ。超高校級のメカニックである君が、そんな――神秘的で未知なる希望を有しているなんて、引くどころか押すよ! 押しまくるよ!」
――うん。よく解らない方向に暴走し始めた狛枝は放っておこう。
俺様は狛枝の態度に困惑している左右田に、声を掛けた。
「奇異の目に晒されたくなかったのは解った。だが――俺様を殺めようとするな」
うっ――と左右田が呻き、気拙そうに頭を掻いた。
「いや、あれは、その――すまねえ。で、でも、お前が悪いんだぞ」
俺の鱗に触るから――と言い、左右田は俺様を睨む。
「貴様、自分の行いを正当化する気か」
「ち、違えよ。あのな、喉の鱗は他人に触られると――その、むかつくっつうか、怒りで目の前が真っ白になるっつうか」
「怒りで我を忘れるということ、かな?」
「ああ、うん、それだ」
七海の発言に、左右田が首肯した。
「へえ――まさに逆鱗に触れるってやつだね!」
左右田君は龍なのかな――と、狛枝は嬉しそうに笑った。本気で言っているのか、冗談で言っているのか、此奴の場合はよく解らない。
「というかさあ、それって蛇の呪いとかじゃないの? 左右田おにぃって、如何にも蛇って顔してるし」
「あ? 蛇に呪われる訳ねえだろ」
くすくすと笑いながら、西園寺が左右田を貶す。それに対し左右田は、腹立たしそうに反論した。
「はあ? 何でそんなに自信満々で反論出来るのさ」
「俺は御社宮司様を信仰してんだよ」
「はあ? 何それ」
みしゃぐじ? それは確か――。
「――蛇の神、か」
「おっ、流石厨二病。詳しいじゃねえか」
厨二病は余計だこの野郎。
「へえ、左右田君って意外に信心深いんだね。希望に満ち溢れてるよ」
「まあ、親がそうだったからなあ。あと希望は関係ねえ」
「あははっ。でもさ――」
御社宮司様って、祟り神じゃなかったっけ――と、それはそれは楽しそうに笑いながら、狛枝が爽やかに宣いやがった。
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