下
「もう撫でんなって」
「良いではありませんか。減るものじゃないですし」
「禿げるかも知れねえだろ。毛染めで頭皮傷んでんだから」
「もう染めていらっしゃいませんし、大丈夫ですよ。多分」
「多分じゃ困るっつうの」
そう言ってから俺はソニアさんを見詰め、ソニアさんも俺を見詰め返して――刹那、どちらからともなく吹き出し、からからと笑い合った。
「ふふっ。左右田さんが禿げても、私は嫌いになんてなりませんよ」
「禿げる前提で話すなっつうの」
「うふふ、ああ――久しぶりに大笑いしました。やっぱり左右田さんを揶揄うのは楽しいです」
「揶揄ってる自覚があったのだけは、褒めてやんよ」
そう言って俺は、笑い過ぎて涙を浮かべているソニアさんの頭を、少し乱暴に掻き撫でてやった。
「ああっ、髪の毛がこんがらがらがってしまいますっ」
「がらが一つ多いって」
「ぐぬぬっ、もっと優しく撫でることを要求します!」
「はいはい」
しょうがねえ雌猫ちゃんだなあ――とぼやきながら、ソニアさんの髪を指で梳いてやる。相変わらず絹糸のように滑らかで、触り心地の良い金髪だ。
「ふふっ、気持ち良いです」
「そうかい」
「私も撫でてしんぜよう!」
また変な日本語を言い放ったソニアは、俺の髪を――頭皮には触れないように、丁寧に指で梳いてきた。一応、禿げないようにと配慮はしてくれたらしい。
「よしよしです」
「よしよし」
お互いの髪を、頭を撫で回し、よしよしと呼び掛けて――。
――何をしているんだ、俺達は。
ふと、我に返った。何をしているんだ俺は。
田中じゃあるまいに、よしよしと言いながらソニアさんを撫でるなんて。こんなところ誰かに見られたら、羞恥で死ぬ――ん?
視線を感じる。
出入り口を見る。誰も居ない。
天井を見る。誰も居ない――というか、居たら凄い。
床を見る。当たり前だが誰も居ない。
――まさか。
ゆっくりと、振り返る。
其処にあるのは、田中の入ったカプセルで――田中がカプセル越しに、此方を凝視していた。
あっ、起きてた。
「――わぁお! 田中さんが起きました!」
言うや否や、ソニアさんは田中のカプセルに駆け寄り――その蓋を開けてしまった。
「ちょっ、絶望のままだったらどうする気――」
「――ふっ、俺様の眼前でよしよしとは。よしよしの達人である俺様に対する挑戦状か? 良いだろう、貴様等をよしよし地獄に堕としてくれるわ!」
今の今まで寝ていやがった奴とは思えないくらい元気に立ち上がった田中は、傍に居たソニアさんを抱き締め――よしよしと頭を撫で回し始めた。
「よぉしよしよしよし」
「うふふっ、擽ったいです田中さんっ」
とても楽しそうにソニアさんの頭を撫で回している田中を見て、絶望はしていないかなと判断し――田中にそっと歩み寄ってみた。
すると田中は俺を見て――にやりと不敵に笑った。
「ふはっ! 左右田よ、貴様もよしよし地獄に引き摺り堕としてくれるわっ!」
「は? ちょっ――」
飛び退く間もなく、俺は田中に抱き締められ――ソニアさんと一纏めにされ、頭を撫でまくられた。
傷だらけだけど繊細に動くその手が、よしよしと囁く低くて優しいその声が、平均的人間の体温より低いその温もりが――田中が、すぐ傍に居る。
カプセルに隔たれていた時とは全く違う。
今、こうして、田中が――俺のことを抱き締め、あの頃みたいに撫でているのだ。
――あっ、やばい。
先程ソニアさんの所為で緩まされた涙腺が、またじくじくと痛み出す。
嬉しい。嬉しくて泣きそう。やばい。
「ふ、ふふっ――左右田さん、お顔が酷いことに、なってます、よ」
そう言うソニアさんは、泣き笑いで顔が酷いことになっていた。
「――ふ、ふはっ。貴様等、人間はっ、本当に――よくっ、泣くなあ――っ――」
先程までの尊大な田中の声が、とんでもないくらい涙声になっていて――吃驚して田中を見やると、未だ嘗て見たことのなかった、貴重な田中の泣き顔が其処に在った。
「――んだよ、泣き虫の俺より、先に泣くなよなっ」
タイミング、ずれちまったじゃねえか――と、俺は田中の胸に顔を埋め、涙腺を決壊させた。
「すま、んっ――すまんっ」
「うっせえよ馬鹿っ、勝手に犠牲になりやがって。馬鹿、阿呆っ」
「そうです、田中さんは馬鹿です。阿呆です! 私達を放って逝くなんて――あんまりですっ」
「っ――ごめっ、二人共っ――ごめんっ――」
其処からもう、俺も田中もソニアさんも――言葉が出なかった。
只管に泣いて、お互いを庇い合うように抱き締めて、慰めるように撫でて――此処に、確かに存在しているんだと確認し合って、安心してまた泣いた。
もう、一生分の涙を使い切ったのではないかと思うくらい泣き切ると、田中が涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を不敵に歪め、涙声で高らかに言い放った。
「制圧せし氷の覇王、復活!」
何だか無性に腹が立ったので、ソニアさんに目配せをし――ソニアさんと俺で同時に、田中の頭を軽く叩いてやった。
――――
あれから俺達は、皆ばらばらになった。
最後の一人が起きたことで、早速贖罪という流れになり――各々の才能が発揮出来る地へ行ってしまったのだ。
田中は絶望していた時に、様々な動物を絶滅寸前にまで追い込んでしまったため、それらを繁殖させるべく島を出た。
ソニアさんは絶望していた時に、国民達を絶望に引き摺り込んでしまったため、国民達を希望へ導くべく島を出た。
他の奴等も、自分のやらかしたことを償うために島を出て行った。
因みに俺は――島に残っている。
いや、取り残されていると言うべきか――閉じ込められていると言うべきか?
ソニアさんと田中のお蔭で、絶望から半身は抜け出すことは出来たのだが――。
――まだ貴方は絶望しているから、此処から出すことは出来ない。
なんて苗木に言われてしまい、こうして一人寂しく、南国の島に取り残されている訳なのである。
俺の名誉のために言っておくが、何も島でぼうっとしている訳ではない。
送られてくる機械の修理や製作、そして――絶望し切った奴等の更生を任されているのだ。
更生の仕方? 勿論あれだ、新世界プログラム・改のことだ。
何故「改」が付くのかと言うと、俺が皆を起こすため、アルターエゴと一緒に、改造に改造を重ねてしまったからである。
勿論、改悪ではなく改良だ。絶望していても俺はメカニック、改悪なんてことはしたりしない。
という訳で今の俺は、絶望絶望と五月蠅い阿呆共を物理的に――スパナのような物で――黙らせ、カプセルの中へ叩き込み、ちゃちゃっと更生させているのである。
半分絶望している俺が、絶望を更生させて希望に変えるなんて――絶望的に絶望的だよな。
なんちゃって。
「左右田君、乱暴は良くない――と思うよ」
「そうでちゅよ! もっと優ちくカプセルに入れてあげて下ちゃい!」
――ああ、訂正。
正確には俺一人じゃない。データを再構築して復活した、七海とウサミが居る――と言うべきか、在ると言うべきかは判らないが――とりあえず、パソコンの中には居る。
因みにアルターエゴはこの前、苗木達に回収されたので今は居ない。
「五月蠅えなあ。超高校級の絶望でありメカニックでもある俺に、指図する気か?」
「その口上、冗談でも止めて下ちゃい!」
もう左右田君は絶望じゃないでちゅ――と、必死にウサミが否定してくるので面白い。
何だかんだでプログラム内では良き教師をやっているし、モノクマが湧かなければ、俺達も楽しい南国生活が送れたのだろうなあ――と、意味のない「もしも」を考えてしまい、思わず苦笑を漏らす。
「笑い事じゃないでちゅ!」
「はいはい、ごめんなウサミ先生」
「判れば宜ちいでちゅ」
先生と言われて嬉しいのか、ウサミはにこにこ笑って俺を――液晶越しにだが――撫でた。
正確には撫でるような動きをしてきただけなのだが、俺を撫でたつもりなのだろうと、何となく理解した。
不覚にも、ウサミって可愛いな――と思ってしまったことは絶対に言わない。羞恥で俺が死ぬからな。
「――そういえば左右田君。今日が何の日か、覚えてる?」
はっと何かを思い出したらしき七海が、俺に質問を投げ掛ける。
はて、今日は何の日だっただろうか。暦なんて、現実世界に戻ってきてから碌に確認していない。
「ああ――判んねえや」
俺がそう言うと七海は、やっぱりね――と微苦笑を浮かべた。
「あのねあのね、今日はね――」
皆が遊びに来る日だよ――と、七海は嬉しそうに笑みを湛えた。
そうか、今日は皆が来る日だったのか――って。
「まじか」
「まじだよ」
と思うよ、もなしかよ。
「――やっべえ。掃除してないんだけど」
「仕方ない――と、思うよ? 左右田君が一人で島を管理してるんだし。こんな広い島、掃除し切れないよ」
「いや、居住施設を」
「其処って、左右田が寝泊まりしているところだよね? 其処は掃除しておこうよ」
「でっすよねえ――あ、今からじゃ間に合わねえかな?」
「あと一時間くらいで来る筈だから――無理だね」
でっすよねえ――と言って、俺は床に寝転がった。
「つうか、何でそんなぎりぎりになってから教えるんだよ。鬼畜かお前は」
「ごめんね、私も忘れてたんだ」
「うっわあ、まじ絶望。絶望的過ぎて絶望しそう」
「あわわっ。左右田君っ、気をしっかり保って下ちゃい!」
「冗談だって。こんな生半可な絶望で絶望出来る程、俺は絶望的に絶望してないっつうの」
「左右田君、ゲシュタルト崩壊しそうだから止めて欲しいな」
人工知能もゲシュタルト崩壊を起こすのか――なんて野暮なことは聞かず、俺は勢い良く飛び起きた。
「どう足掻いても間に合わねえんだから諦めるわ。来た奴等に掃除やらせりゃあ良いし」
「左右田君。プログラム内の時と違って、かなり性格悪くなったよね。図太いというか、大胆というか」
「そりゃあお前。殺戮兵器を造りまくって、人間ぶっ殺しまくって、何回も何回も殺されそうになって、それでもしぶとく生きてきた訳だし――元がへたれの小心者でも、必然的に図太くなるだろうよ」
「そういうものなの?」
「そういうもんだよ」
そういうものなのか――と不思議そうに小首を傾げる七海を一瞥し、俺は部屋から出て行った。
掃除はしないが――とりあえず、迎えにくらいは行ってやらねばなるまい。
用もないのに、態々俺なんかに会いに来る――愛すべき馬鹿共を迎えに行くくらいはな。
俺は久しぶりに高揚し始めた気分を抑えながら、廊下を只管に歩いた。
ソニアさんは相変わらず綺麗なのかなとか、田中の馬鹿は相変わらずの物言いなのかなとか、そんなことを考えながら――駄目だ、抑えられないくらい嬉しい。
超嬉しい。
また二人に――皆に会えるのが、凄く嬉しい。
嬉しい嬉しいと思っていたら、いつの間にか俺の歩き方はスキップに変わっていた。
――ああ、絶望的に希望が満ちてるなあ。
自分の中の絶望がまた少し小さくなった気がして、この島から出られる日も近いかもなあ――と感じながら、絶望的に明るい未来を想像して、からからと笑った。
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