真っ赤な薊を親友の貴方に

 偶然だった。
 そういえば今日、彼奴の誕生日だったな――と昔を思い出し、複雑な気持ちになりながらも、暇潰しにコンビニへ行っただけだった。
 そう、それだけだったんだ。
 それだけだったから――まさか彼奴に会うなんて、思いもしなかった。

「――ああ、お久しぶりですね」

 道で声を掛けられて其奴を見た時、すぐには誰か解らなかった。
 でも、俺の名前を愛おしそうに呼んだ、その顔で――其奴が誰なのか理解した。

「――そう、だ?」
「ええ、左右田です。左右田和一ですよ」

 そう言って其奴は――左右田は微笑んだ。
 髪も瞳もピンクで、つなぎ服も蛍光色の黄色という派手な格好だったから、全く解らなかった。

「ず、随分、派手な格好だな」
「ちょっとしたイメージチェンジです」

 高校に入る寸前にこうなったので、所謂高校デビューというやつですね――と、左右田は可笑しそうに笑う。
 何故かその笑顔が作り物のような気がして、背中に冷たいものが疾った。

「そ、そっか。元気にしてたか?」
「ええ。工業高校に入りまして――それから、希望ヶ峰学園にメカニックとして入学しました」

 ――希望ヶ峰学園?

「希望ヶ峰って、あの――超高校級とかいう、凄い才能持ちばっかりが通う――あの学園?」
「ええ」

 俺の質問に対し、左右田はとても嬉しそうに首肯した。

「す、すげえな。昔っから機械弄りが得意だったけど、まさかメカニックとして入学してるなんて」
「私自身も驚いています。あんなに素晴らしい学園に、私のような人間が入学出来るなんて」

 毎日が幸せ過ぎて、堪らないのです――と、左右田は恍惚とした表情で、俺ではない何処かを見て笑った。

「そっ、か。良かったな」
「ええ」

 暫時、沈黙が訪れた。左右田は相変わらずにこにこと微笑み、俺のことを見つめている。
 それが何だか居心地悪くて――まるで、昔の罪を責められているようで――。

「――左右、田」
「はい?」
「――あの時は、ごめん」

 お前から逃げて、見捨てちまって――と、蚊の鳴くような声で俺が言うと、左右田は目を丸くして俺を凝視した。

「俺、怖かったんだ。カンニングの首謀者が、俺だってばれんのが。カンニングの件で、お前が皆から虐められ始めて、それを助けるのも――怖かった。標的が俺に、なるのが、怖かったんだ」

 気付けば俺は、泣いていた。人が行き交う大通りで、ぐずぐずと餓鬼みたいに泣いてしまっていた。
 そんな俺の様子に慌てた左右田が、俺の手を掴み、裏路地へと引っ張っていった。俺もそれに抗うことなく、温和しく付いて行った。
 そして人気のないところに着いた時、左右田は立ち止まり、俺のことを見詰めた。

「――あの」

 そう言って、左右田は俺の名前を呼んだ。

「私は、昔のことを怒ってなんていませんよ。昔は昔、今は今。過去は――切り捨てるべきなのです」

 左右田はそう言って、俺の涙を指で拭ってくれた。左右田の手は相変わらず、機械油と鉄の臭いが染み付いていた。

「だから、泣かないでください」

 外見は変わってしまったけど、その優しい笑顔だけは昔のままで――俺は衝動的に、左右田を抱き締めた。

「っ、ごめっ、ごめんなぁっ、左右田ぁっ!」

 ぐずぐずと左右田の胸に縋り付いて泣く俺に、左右田は子供をあやすような優しい手付きで、俺の背中を撫でて擦ってくれた。

「もう、泣かなくて良いんですよ」
「でもっ、でもぉっ!」
「――それよりも、貴方に渡したい物があるんです」

 そう言って左右田は、つなぎ服のポケットから――真っ赤な花を一輪取り出した。

「な――何の、花?」
「薊という花です。私の誕生花らしいです」

 情報が交錯していて、真実なのか解らないのですがね――と、左右田は苦笑した。

「た、誕生花? 何で、それを俺に?」
「貴方に――親友の貴方に、受け取って欲しいからです」

 そう言いながら左右田は、真っ赤な薊を俺に持たせ――。

「痛っ」

 ――俺の手に、薊の棘が刺さった。
 だけど左右田は俺の手を押さえ込み、薊を握り締めさせようとしてくる。

「い、痛いっ、痛いって」

 痛みを訴えても、左右田は手を離してくれない。
 何で――そう思って左右田の顔を見た瞬間、俺は全てを悟った。
 左右田はまるで、何の価値もないゴミを見るような目で――俺を見つめていたから。
 何の、価値もない、ゴミを見るような、目で。

「そ、左右田――」
「――親友さん」

 無機質な、左右田の声が耳元で聞こえた。
 その時漸く、俺は左右田に抱き締められているのだと気付いた。俺の手には、薊が突き刺さって揺れている。
 逃げられない、そう思った。

「私はさっき、一つだけ嘘を吐きました。何か解りますか?」

 甘ったるい、まるで恋人に愛を囁くような、そんな声で左右田が言った。
 左右田の手が、俺の腰を、背中を這い摺り回る。まるで蟲が身体中を這い回っているような、そんな錯覚に陥った。

「一つだけ、ですよ」

 一つだけ。
 一体それは――どれのことを指しているのだろうか。
 判らない。

「――愚かで哀れな親友さんに、ヒントをあげましょう」

 熱の籠もった、それでいて気味が悪いくらいに冷めた左右田の声が、俺の鼓膜をどろどろに溶かしていく。

「ヒントはですね――薊の花言葉です」

 花言葉。そんなの、俺は知らない。
 左右田を押し退けようと手を動かすが、昔から異常に力が強かった左右田に勝てる訳がなかった。
 途端にぎゅっと、息が詰まりそうなくらいに抱き締められる。

「――判りませんか?」

 俺の耳にそう囁きながら、左右田は俺の耳朶をがりっと齧った。激痛に思わず叫びそうになったが、強く抱き締められている所為で声が出ない。
 ぬるりと、頬に生暖かい液体が伝う。鼻を突くような不快な鉄の臭いで――この液体は自分の血なんだと悟った。

「もう一つ、ヒントをあげましょう」

 ――薊の花言葉は、復讐です。
 そう言って俺の血を舐め取った左右田に、俺は――全てを悟った。
 偶然じゃなかった。左右田は俺に会うために、あの道で待っていたんだ。だから花も用意していたんだ、俺に渡すために。
 人気のない裏路地に連れて来たのも偶然じゃない。何か理由を付けてでも、最初から俺を此処に連れて来るつもりだったんだ。
 そして此奴が、此奴が吐いた嘘は――。

「――さようなら、私の忌まわしい過去の親友」

 左右田の嬉しそうな声と共に、俺の意識は暗闇に堕ちた。




――――




「ふはっ! 左右田よ。貴様が生まれしこの忌み日を、俺様自ら呪い尽くしてくれようぞ!」
「呪うなよ! 口じゃなくて示すにしろよ!」
「ふっ、仕方ないな。貴様がそこまで懇願するのなら、呪いではなく祝ってやろう!」
「懇願はしてねえよ! でも、ありがとな!」

 今日は左右田の誕生日だ。
 幸いにも今日は学校が休みだったので、予てより計画していた誕生祝いを、俺様を含めた級友一同で行うことにしたのである。

「くすくす。仕方ないから祝ってあげるよ、感謝してよね。はいっ、扇子」
「高そうだな」
「高そうじゃなくて高――高くないもん! あんたみたいなモブに、高いのなんてあげる訳ないじゃん!」

 西園寺はいつも通りの毒舌を吐いているが、顔が真っ赤なので全く説得力がない。

「ははは。西園寺、ありがとな」
「ふ、ふんっ!」
「いやあ、ツンデレは素晴らしいですなあ! あ、僕からのプレゼントは料理だよ! 勿論ケーキも作ったから、一杯食べてね! 序でに僕の身体も食べて良いんだよ?」
「いや、お前の身体は要らねえわ」

 花村のセクハラに左右田の冷静なツッコミが入り、皆が笑い出す。
 そうして皆が次々と、左右田にプレゼントを渡していく。そして最後は――。

「ふはっ! 取はこの、制圧せし氷の覇王――田中眼蛇夢だ! 左右田よ、心して受け取るが良い!」
「一々大袈裟過ぎるっつうの!」

 全くハムスターちゃんは――と苦笑する左右田に、俺様は薔薇の花束をぶつけてやった。

「うわっぷ! な、何だこりゃ」
「薔薇も知らんのか貴様は」
「薔薇くらい知ってるっつうの! つうか、全部黄色いのな。薔薇って赤いもんじゃねえの?」

 そう言いながら左右田は、薔薇をまじまじと観察している。

「あはっ。そういえば黄色い薔薇って――誠意がないとか、別れようって花言葉なかったっけ」

 狛枝が笑顔でとんでもないことを宣い、空気が一瞬で凍った。
 ――はい?

「なっ、何だと! 何だそれは、俺様は知らんぞ!」

 本当に知らなかった。
 ただ、左右田のイメージカラーが黄色だったから選んだだけで――うわああっ、やばい。そんなつもりじゃないんだ左右田――。

「けけけっ、田中ってば慌て過ぎだろ。判ってるって。あれだろ、俺のイメージカラーで黄色にしたんだろ?」

 お、おお――流石だ、よく解っているじゃないか。

「ふ、ふはっ! 流石だ――と褒めてやろう。その通りです! 他意はなかったんです、ごめんなさい!」
「いやいやいや、怒ってねえって。ありがとな、すっげえ嬉しい」

 そう言いながら笑う左右田が天使に見える。多分幻覚だ。多分。

「あはっ、絶望的な花言葉を乗り越えるなんて――君達は本当に素晴らしいよ!」
「っだあああっ! 人の誕生日にまで変な試練を与えるなっつうの!」
「あはは、ごめんごめん。あっ、でもね。黄色い薔薇には――友情って花言葉もあるんだよ」

 それを先に言えよこの野郎。

「――狛枝よ。貴様とはいつか、雌雄を決さなければならないと思っていたのだ」
「えっ、田中君? うわっ――ちょっ、ごめんっ! ぼ、僕が悪かったよ! だから関節技はやめ――ぎゃあああああっ!」

 狛枝の情けない絶叫が、学園内に響き渡った。




――――




 部屋に帰った俺は、皆から貰ったプレゼントをきちんと仕舞い――田中から貰った黄色い薔薇を抱え、そっと抱き締めた。
 黄色い薔薇は友情の証。
 田中は花言葉を全く知らなかったようが、俺はそれを知っていた。
 だから狛枝が何を言おうと、動じることはなかったのだ。
 ――嬉しい。
 素直に、純粋に、嬉しい。
 喩え花言葉を知らなくても、そういう意味で俺に渡してくれたことに変わりはないから――とても、嬉しい。
 だって田中は――俺の大事な大事な親友だから。
 この薔薇は乾燥させて、一生大事にしよう。腐らせないように、しっかりと手入れをして。
 だって親友から貰った、大切な贈り物なのだから。
 勿論、皆から貰った物も大切にする。壊さないように、大事に大事にする。もし壊れても、才能を駆使して絶対に直す。直してみせる。
 だって友人から貰った、大切な贈り物なのだから。
 嗚呼――俺は今、とても幸せだ。


 でも――まだ、まだ駄目だ。
 まだ過去が――切り捨てるべき過去が、まだある。
 それらを全て切り捨てなければ、俺は安心してこの幸福に浸ることが出来ない。
 忌まわしい、忌まわしい過去だ。
 早く――早く、消さなきゃ。じゃないと俺は――。


 つなぎ服のポケットに手を入れ、ある物を取り出す。
 それは一輪の、ぐしゃぐしゃに潰れた薊の花。その凶悪な棘には、赤黒い物がこびり付いている。
 ――まだ、残っている。
 そっと、薊の棘を撫でる。赤黒い物は指に付くことなく、ぱらぱらと剥がれ落ちていった。
 ――まだ、まだ残っている。
 俺は――私は――早く、過去を消さなければならない。
 この漠然とした恐怖と不安から解放されるために――早く、早く――。


 ぐしゃりと、薊を握り潰した。棘が掌に突き刺さり、血が手首を、腕を伝い、肘からぽたりと落ちる。
 掌を広げる。其処に在るのは、ぐしゃぐしゃで、血塗れになった真っ赤な薊。
 まるでさっき切り捨てた過去みたいに、無様で惨めで穢らしい薊だ。
 ――嗚呼、早く捨てなきゃなあ。
 俺は薊を、ゴミ箱へ放り込んだ。

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